今こそ教育勅語の精神を見直そう | 『秘術・前世探査開運法』から魂のルーツを知る!

今こそ教育勅語の精神を見直そう

【今の乱れた時代こそ、教育勅語の精神を見直そう】

躾と教育、愛国心、国旗・国歌についての私見を述べてみることにしました。異論・反論があろうかと思われますが、様々な不正や不祥事、凶悪犯罪が連日のように報道されている昨今、一人ひとりが、何故、こんなな情けない日本になってしまったのか、何が原因なのか、何処で歯車が狂ってしまったのかなどを真剣に考え、じゃぁ、軌道修正するには一体、何が優先されるべきのかを探っていきたと思います。

尚、ところどころに、私が平成12年に著した第三作目の『比治山陸軍墓地ガイド副読本』( B5判 160頁 比治山陸軍墓地を守る会刊行・国立国会図書館より、貴重な文献として3冊目の文化財扱いに指定される)より引用した箇所があることを念のため付記しておきます。皆様のご意見・ご感想をお寄せ下さい。

偏見を捨てて教育勅語を見直す必要

将来の日本を担う若い世代にとって、今の日本は、将来に希望が持てず、不安材料ばかりが目に付くのが実情です。では、21世紀は何を指針として、いかに生きれば良いかのか、この答えは躾と教育にあります。日本の再生は躾と教育にかかっていると言えましょう。それには、世界の多くの有識者やリーダーが称賛している明治の教育勅語を、偏見を捨てて、真摯に見直して見ることが必要ではないでしょうか。

教育を国づくりの基礎として重要視された明治天皇が、真の教育とは単に知識を修得することのみに偏重せず、立派な人間形成を目的とすべきであるとのお考えで、勅語をあらえあされました。終戦後、この勅語は学校では教えられなくなりましたが、しかし、翻訳されて外国の指導者にも採り上げられた、世界に誇れる教育の真髄が凝縮されています。その結びの箇所にもあらわされているように、時代や国境を越えて人々が如何に生きるかの指針として、大いなる意味を持っています。

偏った政治や思想の論議の材料とすることなく、素直に新しく、学んでみることが大切です。そうすれば、そこに調和のとれた個人と社会、個人の育成と社会繁栄の源泉を見つけることが出来るでしょう。

では次項で、若い方々に理解がしやすいように、教育勅語の全文を現代的に解説してみます。

〔教育勅語〕現代語訳

私(明治天皇)が、わが国の歴史と国民性とに基づいて、あるべき教育の方向を静かに考えてみるに、私の祖先の神や、祖先の天皇が、国造りを始められたのは、遥かな昔のことで、国民の幸せを願い、善政に励まれた結果、国民の間に打ち樹てられたご恩徳は、海よりも深いものであった。

わが国民の側でも、歴代の天皇にまごころ(忠)を尽くしてお仕えし、おのおの其の父母に孝養を尽くし、国民のすべてが心を一つにして、世々国民の美風を作りあげたのであるが、これこそ、わが国柄の輝かしい長所であって、教育の根源も、やはり此処にある。

国民は、それぞれ父母に孝養を尽くし、

兄弟姉妹が親しみあい、夫婦は仲睦まじく、かくして平和で明るい家庭をつくり、

友人は真心をもって互いに信じあい、

自分の身は、つつしみ深く高ぶらないように保ち、民衆に広く愛を及ぼし、

学問を修得し、技術を学習し、かくして知能を向上させるとともに、人格を完成するよう努力し、進んで国家・社会の利益を拡大し、社会奉仕をおしすすめ、

常にわが国の礎である憲法(註・明治憲法)を尊重し、国法を守って、秩序を乱さないようにし、

万一危急の事態が突発した場合、国民は義勇の心を奮い起こし、一身を国家に捧げ、かくして、天地とともに永続する皇位を、守りたすけねばならぬ。

このようにすれば、忠誠善良な私の国民であるだけでなくさらに、それによって、国民の祖先が遺された良風を、十分に明らかにすることになるであろう。

以上述べた道は、まことに私の祖先の神や、祖先の天皇が、後の代に遺された御訓であって、子孫である私と国民とが、一緒になって遵い守らねばならないもので、これは、時の古今を問わず、いずれの時にも通用するし、さらに国の内外を問わず、どんな国にも通用できる。

私は、国民と一緒になって、此の道を胸中深く銘記し、すべての人々が同じ一つの精神をもつようにと願っている。

 明治23年10月30日

  御名御璽