70 racing project

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T.YOSHIKAWA Official blog

奈良県は十津川村
「神様に呼ばれないと辿り着けない」と言われるスーパーパワースポット『玉置神社』

もう今日から7月に入ってしまいましたが
六月の山行は梅雨の晴れ間を探して、6月22日(土)に登拝に行ってきました
今回は前日早めに就寝して余裕を持って3時過ぎに出発
この時期は夜明けが早く日の出の時刻は5時前です
日の出を山頂でには少し遅いですが、深い霧を抜けて5時過ぎに駐車場着
車から降りると景色はまるで高天原、早起きは三文どころではない絶景に息を呑みました
これは山頂はもっと凄い景色に違いないと思い、急いで用意して頂上を目指して出発
早朝のキリッとした空気を感じながら、期待を胸に軽い足取りの気持ち良い山歩きです
前回楽しませてくれたテレビ塔の赤い石楠花はすでに枯れ果て、時の流れの儚さを実感
そして人気のない静かな山頂からは、言葉にできない絶景が待ち受けていました
雲海の先には青い海が、そして空の青とのグラデーションって、こんなことがあるんですね!
「もうここから動きたくない!」と真剣に思ってしまいました
そよ風に吹かれながらの気持ちの良い時間を過ごさせていただき、正に後ろ髪を引かれる思いで山頂を離れました
そしていつものように玉石社から神社に降りてお参りを済ませ、御朱印を頂いて六月の玉置山登拝も無事に終りました

 

 

記紀の一説に玉置神社の創建者である崇神天皇の逸話が語られています
即位7年、「昔皇祖大いに聖業高く国は盛であったのに、朕の世になり災害が多い。その所以を亀卜にて見極めよう。」と詔して、神浅茅原に幸して八百万の神を集めて占った
すると倭迹迹日百襲姫命に大物主神が乗り移って自分を祀るよう託宣した
神の教えのままに祭祀を行ったが霊験がなかった
そこで天皇は沐浴斎戒して宮殿を中を清めて、「願わくば夢に教えて、神恩を示してほしい」と祈った
するとその夜の夢に一人の貴人が現れ自ら大物主神と称して「もし我が子の大田田根子を以って我を祭ればたちどころに平安となる。」と告げた
続いて倭迹速神浅茅原目妙姫・大水口宿禰(穂積臣遠祖)・伊勢麻績君の三人がともに同じ夢を見て、大物主神と倭大国魂神(大和神社祭神)の祭主をそれぞれ大田田根子と市磯長尾市(いちしのながおち)にせよという神託を受けた
そこで天皇はおじの伊香色雄に命じて物部の八十平瓮(やそひらか)を作らせ、大物主神の子とも子孫とも言われる大田田根子を探し出して大物主神を祭る神主とした
三輪山を御神体とする大神神社の始まりである
また市磯長尾市を倭大国魂神を祭る神主とし、八十万(やそよろず)の群神を祭った
すると疫病は終息して五穀豊穣となった



 

崇神天皇がおこなった亀卜(きぼく)とは、卜占(ぼくせん)の一種でした
鹿の骨などを焼いて亀裂の出来具合で占う太占(ふとまに)と呼ばれる卜占もあるようです
卜占では古代中国で行われた亀甲占いが代表的です
「超自然的現象の顕れ」=「神の意」が抜け落ちて現代の占いに繋がったと考えられます
日本神話の誓約(うけい)もこの形のものと推測できます
海外では旧約聖書のサムエル記の中に、預言者サウルが「ウリム」「トンミム」と呼ばれる物を用いて占うという記述があります
トランプ占いなどのカードやサイコロ、賭博の道具などが、本来は卜占の道具であったのではないかと言われています

崇神天皇の項に語られる託宣とは何か
神の意を伺う事、また、その時伝えられた言葉を託宣(たくせん)、または神託(しんたく)とも言います
道具により神の意を推し測る占いに近いものと、トランス状態になったシャーマンの口から伝えられるものとに分けられ、何かを媒介にする点では同じものと考えます
神懸かりになった巫・巫女(呪術者・祈祷師)倭迹迹日百襲姫命の口から発せられた言葉も託宣でした
巫女とされる倭迹迹日百襲姫命は、このシャーマン(一時的に意識が失われ、神が代わりに降りて人格を支配するとされる)であった思われます
ときには神でなく悪霊や動物霊の類が降りることもあるといいます
巫女では古代日本の卑弥呼や、シャーマンでは旧約聖書の「イザヤ書」などが有名です



 

夢による託宣は本当にあるのでしょうか
夢(ゆめ)とは、 睡眠中あたかも現実の経験であるかのように感じる、一連の観念や心像のこと、または睡眠中にもつ幻覚のことです
睡眠中の脳活動にはレム睡眠とノンレム睡眠がありますが、1957年に夢は主にレム睡眠の状態にみられる現象であることが明らかになりました
視覚像として現れることが多いものの、聴覚・触覚・味覚・運動感覚などを伴うこともあります
通常、睡眠中はそれが夢だとは意識しておらず、目覚めた後に自分が感じていたことが夢だったと意識されるようになります
しかし、稀にではありますが、自分が今見ているものが、夢であることを自覚することが出来る場合もあります
「夢とは何なのか」ということについては、「古代からある信仰者の理解」、「20世紀の心理学者の理解」、「現代の神経生理学者の理解」、それぞれが大きく異なっているので、それらを区別して考えます



 

古代から現代までの信仰と夢への理解はどういうものだったのでしょう
古代人の間には、睡眠中に肉体から抜け出した魂が実際に経験したことがらが夢としてあらわれるのだ、という考え方が広く存在していたようです
夢は神や悪魔といった超自然的存在からのお告げである、という考え方は世界中に見られます
古代ギリシアでは、夢の送り手がゼウスやアポロンだと考えられていました
『旧約聖書』の中でも、神のお告げとしての夢は豊富に登場します
有名なところでは、例えばアビメレクの夢のくだりなどがあります
中世の神学者トマス・アクィナスは夢の原因には精神的原因、肉体的原因、外界の影響、神の啓示の4つがある、としています
バビロニアにおいては夢の解釈技法が発達し、夢解釈のテキストまで作られていました
古代の北欧でもやはり人々は夢解釈に習熟しており、ある種の夢に関しては、その解釈について一般的な意見が一致していたといいます
たとえば、白熊の夢は東方から嵐がやってくる予告だ、という共通の認識がありました
ユダヤ法典には、エルサレムに12人の職業的夢解釈家がいたことが書かれています
ネイティブアメリカンの一部の部族には、夢を霊的なお告げと捉え、朝起きると家族で見た夢の解釈を話し合う習慣がありました
古代ギリシアにおいて夢は神託であり、夢の意味するものはそのままの形で夢に現れているため「解釈を必要としない」(アルテミドロス)と考えられていました
夢占い(あるいは夢判断)では、夢は見た者の将来に対する希望・願望を指すか、これから起きうる危機を知らせる信号と考えられています
また、夢でみた現象がそのまま実現する夢を予知夢と呼び、可能性がある夢を詳細に検討する場合もあります
一例として、『沙石集』には、熊野の阿闍梨が地頭の娘に一目惚れして、会いに行こうとしたが、船上で寝た際、その後の13年間を夢の中で見てしまい、我に返って、修行に戻った話があります
東洋で古来からの夢占いの解説書として用いられてきたものに真書、偽書などの諸説はあるものの、『周公解夢全書』や『神霊感応夢判断秘蔵書』(伝、安倍晴明著)などがあり、日本での夢占いの分野における参考書的存在や底本として用いられる場合があります



 

現代の夢に関する科学はどこまで進んでいるのでしょうか
夢をみるプロセスに関しては様々な科学者が提唱を行っており、オーストリアの精神科医ジークムント・フロイトは夢は無意識の願望が現れたものと考えました
また、DNA(デオキシリボ核酸)の二重らせん構造の発見で知られるイギリスの科学者フランシス・ハリー・コンプトン・クリックは、夢は脳にとって不要な記憶を消去している過程であるとしました
1953年には急速眼球運動(rapid eye movement、REM)を伴う睡眠フェーズであるレム睡眠が発見され、夢は本格的な科学研究の対象として扱われるようになりました
しかし、レム睡眠の発見後もフロイトやクリックなどの仮説の科学的立証はできておらず、夢には未だにほとんどが謎です
一方で主にノンレム睡眠中に生じやすい脳波のデルタ波がノンレム睡眠とレム睡眠の切り替えに作用しており、学習や記憶形成に関与していることが明らかになっています
また夢の内容を直接読み出す研究も行われています
ある調査では、視覚の夢96%、聴覚の夢25%、動く夢19%、味覚の夢2%、触覚に関する夢1%、嗅覚の夢0%、という結果になったようです
また別の調査では、視覚85%、聴覚69%、触覚11%、嗅覚7%だったようです
圧倒的に視覚的な夢が多いのは、ヒトが視覚に頼る生活をしているためで、先天性全盲者は視覚ではなく視覚以外の感覚を感じる夢を見るようです
嗅覚が発達している大脳皮質を持つ動物の場合は嗅覚の夢を見ている可能性が高いようです
深層心理学においても、無意識の働きを意識的に把握するための夢分析という研究分野があるようです



 

夢分析の古典としてはジークムント・フロイトの研究、あるいはカール・ユングの研究が広く知られています
そこでは夢の中の事物は、何かを象徴するものとして位置づけられています
これらは神経症の治療という臨床的立場から発展しており、夢分析は心理的側面からの神経症の治療を目的とした精神分析のための手法の一つになっています
フロイトは『夢判断』で、人が体験する夢を manifest dream(顕在夢)と呼び、それは無意識的に抑圧された幼児期由来の願望と、この願望と結びついた昼間の体験の残滓からなる夢のlatent thought(潜在思考)が、検閲を受けつつdream work(夢の仕事)によって加工され歪曲されて現れたものだ、としました
ただし、フロイトによる夢分析に限ると、性的な事象に紐付けられた説明があまりに多く、そのまま現代人や日本人に適用するのは無理がある、とする説が多いようです
例えば、銃が男性器を、果実が女性器を、動物が性欲や性行為を象徴するなどとされたりしています
これには、当時の禁欲的な世相が反映されているとする説や、フロイト自身が抑圧された性的願望を抱いていたために偏った解釈をしているとみる説が多いようです
フロイト学派のエーリヒ・フロムは、象徴というのは人類がかつて使っていた言語だが現代人はそれを忘れてしまっているのであって、夢というのはその象徴という言語で語られる無意識の経験であるとし、象徴の解釈によりその真の意味を理解することが可能だとしました
カール・ユングは、夢は、意識的な洞察よりもすぐれた智慧をあらわす能力があるとし、夢は基本的に宗教的な現象だとしました
ユングによると、人間の無意識のさらに深い領域には全人類に共有されている集合的無意識があり、古代から継承されたアーキタイプ(元型)が宗教・神話・夢といった象徴の形で現れるとしました
ユング研究家の河合俊雄氏は夢の「ストーリー性」を重視し、ストーリーの変化は心の変化であり、夢分析で重要視されるとしています
例えば同じテーマの夢を繰り返し見る「反復夢」では、ストーリーが月日の経過とともに変化していきますが、「怖い夢」でも何度も反復してみるうちに、恐怖の対象が自分に対して実害がないことが分かり、それを楽しむことができるようにすらなり、こうした変化で心理的な症状も変わってくることがあり、繰り返し見る夢がどう変わっていくか、心理療法における「夢分析」ではこの部分が大きな意味を持つとしています
もう一つのポイントは「象徴性」で、例えば白蛇は普通の蛇よりも象徴性が高く特別な夢だが、スピリチュアルな意味や、癒やしの意味がある可能性があります
また、夢には逆説的な意味があり、例えば自分が死ぬ夢では、実際に死ぬことはなく、むしろ自分が大きく変わる、よい意味の可能性があり、悪夢は一般によい夢であり、発達障害の患者では、楽しい夢しか見ない人は比較的多いようです
しかし、治療が進むにつれ、怖い夢や、宿題をし忘れる夢などを見始め、しっかりした意識が形成されてくるそうです
すなわちネガティブな夢を見るということは、課題を持ち、解消しようとしていることを意味するようです
さらには正夢についても言及し、宝くじが当たるなどの大成功する夢を見たら、好機と捉えて行動するのもよいとしています
ただし夢には多少の誤差があり、宝くじが株であったりするばあいもあり、夢は多義的であり、一義的な解釈をすべきでないとも発言しています
現在では夢分析も改良され、広く現代人の実情を考慮した分析が多いようです
自分で自分の夢分析をするためのガイドブックや事典なども出版されており、何がしらの自己分析・自己発見の役に立つことも多いようです



 

夢に関してのお話はまだまだ続くのですが、長すぎるので今回はここまでとします
まぁ、夢に関することが何千年探求してもほとんど解っていないということです
夢と宗教も密接に繋がっていることが解っていただけたのではないでしょうか
私が何度か申し上げた「インスピレーションは神からのメッセージ」という意味もご理解頂けたと思います

全く意識なく発してしまう言葉や突然の行動など、経験されたことがある方も多いと思います

いいねがほとんど付かなかった前回の意識と宇宙でしたが、その中で述べた意識の数秒前にすでに行動は決定されているということに繋がっていくのです

昔はつきものを落とすとか、除霊してくれるちゃんとした人が、地域に必ず1人や2人は居たものです

今はそういう系統の人はいても怪しくて近寄れません

なのでそういうことを、自身が考えて対処するしかない時代になってしまいました

夢に関連したお話はまた次回、もう少しだけしたいと思っています
でわでわまた