3.11
あの日から8年が経ちました。
あの日の衝撃は今も忘れられません。
当時転職して1ヶ月目の会社にいました。
大阪でしたが、8階で、ビルがぐるぐると回るように揺れました。
震源地も分からず、上司がとりあえずすぐにご実家に無事を知らせる連絡をしなさいと言ってくださり、四国に住んでいる母に電話し、そちらは大丈夫?と今思えば素っ頓狂な質問をしていました。
しばらくして震源地を伝えるニュースがあり、徐々に被害状況が分かってきました。
週明けに東北出張を予定していた先輩方はキャンセル。出張先の会社の方々の安否も分からずひたすら心配していました。
関東の大学に通っていた弟が、実家からの移動中で新幹線の中におり、名古屋から大阪に引き返してきてうちに泊まりました。
2人で津波の映像を見て言葉を失います。
私は大学の時、ボランティアについて研究するゼミに入っていました。とても珍しいと思います。
そのため、阪神大震災に遭われた方々へのインタビューをさせていただいたり、新潟県中越地震が起きた時には実際にボランティアとして現地に何度か行きました。
そして防災についての卒論を書きました。
そんな私が、この地震の時は社会人になり、機動力もなく、ただただどうしよう、何かしたい、でも何が出来るか分からない、と、戸惑うだけでした。
会社の給料から天引きされる募金の呼びかけがあったため、当時の私からしたら出来る限りの高額を選び、なぜか震える手でクリックしたことを今でも覚えています。
こうして何かに書くことは初めてですが、やっぱり鮮明に覚えています。
私はあの時何も出来なかったことを後悔しています。
でも、こうして3.11が来る度に思い出して、子ども達に伝えていきたいと思います。
毎日が当たり前に来ることの幸せと、もしものために備える大切さ。
もしもの日が来た場合にも、支え合って乗り越えること。
幼い子ども達なので、すぐに伝わらないと思いますが、日々を過ごす中で、大事なことに気付いてくれるといいなあ。
そして母は、家の防災グッズを見直して、もしもが来た日にも出来るだけ家族が落ち着いて過ごせるように備えたいと思います!
