たとえ環境に


権力に


時代の流れに



声を殺され



夢を打ち砕かれ



この身を焼かれても



私の心の自由は奪えない



私は知っている



忘れてはいけないと



ずっと魂に深く深く刻んできたから



自分さえ諦めなければ



見離さなければ



いつだって自由になれる




どこへだって行ける




そこに空間は存在しない




縛られたって怖くは無い




屈したりはしない




怖がるものか




屈するものか




権力



名声



何を基準にしたかわからぬ正義



それに怯え、自ら考える事をやめてしまった群衆




愚かだと鼻で笑われ、憐れまれ




いつだって強欲で立場の強いものに虐げられて来た




正義という大義名分の悪魔にこの身を傷つけられて来た



だが、私の思想、心までは刄や銃弾は届くまい




私にはわかる




彼らこそが虚しく



そして哀れな事を




何一つ




誰1人として




私の想念までは奪わせない 



魂は



想いは



死んでいない





『 私は私だ 』 





『 私の心はどこまでも自由だ 』




『 たとえ、この命が尽きようとも 』






〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


友人のブログを読んでいてまたムクムク出て来た過去世の想い(記憶)。表面に出ると、面白い事にシンクロや引き寄せが重なる。偶々その月に入っていたサブスクで『チ。』を見た。想いが重なり魂が震えた。

私の『多数決で決まる集団思想が嫌』『嘘をつきたく無い(自分にも他人にも)』『好きな事を奪いに来る勢力に負けたく無い』と言う異様な(笑)までの我の強さはこの人達の想いを背負っているのだろう。1人じゃ無く男も女も複数人(自分でもわから無い)分背負ってるし、後押ししてくれてる。

なんだかかっこいい側だけど、その前はきっと逆の立場側もやってるので、なっちゃいけ無いと言う恐怖(怒り)もはらんでいると思う。


自分を表現する事に小さい頃から憧れはあったけど、怖さもすごく伴っていたのはこれらの記憶と家庭環境からだろう。何故表現したいか?何が目的?と自問自答を繰り返していたけど、



『皆んな、私を見て!ここに来れば自由だよ!こんな私でもなれるんだよ!』



と、言う事をこの身を持って体現したいんだなぁと最近思う。



さぁ、彼等に恥じぬ様にまた自分に喝を入れなければ!!