👶 薬師町で育ったふたりの人生の交差点 

1954年鹿児島市薬師町に生まれた筆者と、22年前同じ地で誕生した「経営の神様」稲盛和夫氏。その土地の縁が、京セラでの長き仕事人生と深い師弟関係の源だった。 筆者が新卒で入社した1978年、社長を囲む懇談会で最初の対話が交わされる。高収益にもかかわらず福利厚生が薄いことを質問すると、稲盛氏は厳しい目で睨みながらも情熱をもって答えてくれた。 筆者曰く、この“生意気”が後の人生を変える原動力だったという。

 

📚 留学と抜擢:特命秘書としての始動 米国ジョージ・ワシントン大学で首席卒業し帰国後、稲盛氏が政府の行政改革審議会で要職に就くと同時に、筆者は突然“特命秘書”に選ばれる。 その後も時に叱られながらも、率直な意見をぶつける「生意気なスタンス」を保ち続ける。 稲盛氏は「皆には気を遣え。だが、俺には何でも言え」と柔と剛のバランスを保ち続けた。 この言葉に、筆者は生涯の信頼を感じたという。

 

🖊 60冊の言葉と記憶のノート 中学生以来、日記とメモ癖のある筆者は、京セラ退任時にはノートが60冊に達していた。 致知出版社の藤尾秀昭社長(https://www.chichi.co.jp)がそれを評価し、「言葉の抜粋で書籍をまとめるべき」とアドバイス。 最初は“メモ帳”と呼ばれた自身が、今や稲盛氏の“思想記録装置”となり、後世に残すべき任を担うことになった。

 

🗣 出しゃばれ。陰に隠れるな。 京セラの役員になった頃、稲盛氏は「俺の影に隠れてる場合じゃない。表に出て、学びを伝えろ」と奮起させた。 その姿勢は筆者の成長を促し、“学びの継承者”へと昇華させた。 やがて会合や会食にも同席するよう命じられ、その場で吸収する機会を得る。「便利だから呼んだ」は「育てたいから」に変わった。 この変化が、単なる仕事の補佐役ではない“魂の継承”であることを感じさせる。

 

🧠 ことばが語りかけてくる不思議な感覚 60冊のノートを読み返す作業の中で、「この言葉を取り上げて」と言葉に呼びかけられているような瞬間があった。 それは、稲盛氏が語りかけてくるようでもあり、筆者にとって非常に神秘的な経験だったという。

 

💬 ちょっと おしゃべり ところで筆者のように、師匠との出会いが人生を変えるケースって、案外多いですよね。 「最初に叱られた人ほど長く付き合う」って言われることもあるけど、案外本当かも。 筆者が最初に「福利厚生どうなってるんですか?」って聞いた一言、あれがすべての始まりだったと思うと、本当に面白い。 私も誰かにそういう影響を与えられたらいいな、なんて思ったりします。 それにしても、手書きの60冊…すごすぎる。

 

こぼれ話1:稲盛和夫氏が初めて京セラの社員食堂を見た日 稲盛氏は当初、食堂の設置に懐疑的だったという。「時間の無駄じゃないか」と考えていたが、社員の満足度が上がったと知るや否や、「これが経営だ」と認識を新たにしたらしい。 このように、“理”で始まり“情”で動いた人だったという印象。

 

🪶 こぼれ話2:稲盛氏が愛読していた以外な本 稲盛氏は実は『宇宙戦艦ヤマト』の原作小説を読んでいたそうです。 物語の中の“使命”と“犠牲”の概念に心を打たれ、「人は大義のために動く」という信念に通じるものを感じたとか。 これはほとんど知られていない話。

 

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参謀 大田嘉仁

 

 

稲盛和夫が再建したJALの、シミュレーターゲーム