✨教師の矜持・徳永康起の異端にして誇り高き道
📚 教員は「授業」で勝負するのだ
徳永康起(熊本県内で最年少校長となった教育者)は、校長職に就いて5年で自ら辞し、再び一教師として現場に戻った。 その信念は「教師は教壇で教える者」という単純かつ揺るがないものだった。
この潔い選択により、各校の校長に疎まれる一方、学級崩壊寸前のクラスを受け持つ度に奇跡のような再生を果たす。 授業を待ちきれない子どもたちが、担任室から徳永を騎馬戦のように担ぎ「ワッショイ」と教室へ連れていくほどだった。 まさに、教育という営みへの真剣さと情熱が溢れていた。
🍱 昼食は“遊び時間”に変わる
戦後すぐ、昼食の持参ができない子どもたちが昼になると姿を消し、校庭でただ遊んでいた。 それを見た徳永は、以降いっさい昼食を取らず、その時間を子どもたちとの遊びに充てた。
晩年まで続いたそのスタイルは、単なる断食ではなく“共に居る”という優しさの実践。 この逸話、心がほんのり温まります…
🔪 ナイフ事件の静かな解決劇
ある日「昨日買ったナイフがなくなった」と泣く児童。 徳永は内心、盗んだ子の心情を察し、黙って文房具店へ走り、同じナイフを再購入。
誰にも責めず、盗られた児童の机にそれをそっと戻し、全員に「もう一度探してごらん」と声を掛ける。 「ありました!」と喜ぶ姿に、「むやみに人を疑うな」と語りかけた。
そして、その盗みを働いた子は涙を浮かべて先生を見つめた。 …この静かな叱責と愛情、凄すぎませんか。
✈️ 特攻隊から届いた最後の言葉
そのナイフ事件から数年、戦時中のある特攻兵士が遺書の送り先に選んだのは、徳永先生ただ一人だった。
「先生、ありがとうございました。あの日から、あなたのように生きたいと思いました。」 そして「これから国のために飛び立ちます」と綴られていた。
…言葉になりません。魂に触れるってこういうことなのかもしれません。
💡こぼれ話①:児童の居場所を守り続けた“職員室ナイト”
校長室ではなく、あえて児童のそばにいる職員室を居場所にした徳永。 毎朝一番乗りで教室前の掃除を自らし、子どもたちが気持ちよく学べる場を作り続けたという。
校長就任後も変わらずその習慣は続き、「先生が掃除してるから僕もやる」と児童たちが自然に集まりはじめたとか。 その姿勢こそが、教育界の灯台だったと言えるでしょう。
🧠こぼれ話②:一度だけ児童に叱られた日のエピソード
とある遠足の日、雨天にも関わらず決行を強行した徳永。 ぬかるみで靴を汚した児童に「ああ、ごめん」と謝ったその瞬間、児童が「先生、謝るときはちゃんと立って言わなきゃダメだよ」と正される。
その日以来、謝罪は必ず直立で行うようになったとか。 まさか、徳永先生にそういう日があったなんて…人間味たっぷり!
🗨️ちょっと おしゃべり
ところで最近の教育現場では、AI教材やオンライン授業が急速に広まっていますよね。 でも、こうした温もりや気遣いを含む“人間らしい教育”は、どんなにデジタル化しても欠かせないはず。
やっぱり「教える」って、“伝える”以上のものだと改めて感じさせられます。 それにしても、ワッショイで先生を運ぶって発想…最高すぎます(笑)
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