🌸 出家は“心の解放”であった

瀬戸内寂聴(小説家・僧侶)は、出家してから一度も後悔したことがないと語ります。「自分の心から解き放たれた感覚こそが、今の最大の自由なのです」と述懐するその姿には、深い悟りと穏やかさが宿っています。

かつては怒りに囚われたこともあったけれど、今は「これは仏が与えてくださった試練」だと受け止め、楽になったと告白。この視点の変化が、彼女の人間性を内側から照らしているように思えます。

 

📖“自分の力”から“他者の恵み”へ――信念の転換

作家として成功した理由を「才能・努力・運」だと信じていた時期もありました。しかし今では「それはすべて、人々や見えない力が導いてくれた」と感じているそう。著書の売れ行きまでも“他力の恵み”と見なすその謙虚さには、瞑想と祈りを重ねた人ならではの達観が感じられます。

まるで、「私の役割が終われば、仏が自ずと筆を止めさせるだろう」と言わんばかりです。潔さが光る…。

🧘‍♂️ 今東光師とのご縁――生死を“喰らう”境地

瀬戸内氏が天台宗に入るきっかけとなったのは、破天荒な高僧・今東光先生との邂逅。晩年、ガンに侵されても「ガンを焼鳥にして食ってやる」と笑い飛ばすその姿勢に、命との向き合い方の極意を見たと語ります。

まさに、生死を笑いながら飲み込む境地。粋すぎるエピソードですね…。

 

💌 毎日の出会いを“最期”と受け止める覚悟

「会って別れた瞬間は永別かもしれない」――瀬戸内氏は日々そう感じながら生きています。

講演では「夫が会社に行く時、必ず帰ってくるとは思うな」と語り、日常を“最後かもしれない”瞬間とすることで、愛情の質が劇的に変わると説きます。一期一会の心がけは、人生をより濃密に生きる術なのかもしれません。

この一瞬を全力で愛すること。簡単だけど、誰もが忘れている“人間の本質”ですね。

 

📚 関連プロフィール(筆者) 瀬戸内寂聴(作家・僧侶):https://ja.wikipedia.org/wiki/瀬戸内寂聴

たまに じゃくしょう と発音する人がいるが、じゃくちょう です

 

 

🥢 こぼれ話①:「寂庵文庫」で起きた小さな奇跡

京都・嵯峨野にある瀬戸内寂聴の私塾「寂庵」では、来訪者が書き残すメモに「人生が変わった」と記す人が多くいるそうです。ある日、無言だった青年が帰り際に一言「ありがとう」とだけ残した瞬間、空気が震えたという逸話が…。言葉より心――それを教えてくれる場所です。

 

🦢 こぼれ話②:鴨川に落とした数珠の話

かつて寂聴氏が鴨川で数珠を失くしたところ、翌朝、僧衣姿の見知らぬ青年が「これですか」と手渡してきたというエピソードが伝わります。青年の名も素性も分からぬまま、「仏の使いだったのかもしれません」と語ったとか。まるで夢のような“仏縁”の瞬間です。

 

 

🫖 ちょっと おしゃべり

最近、“寂聴語録”が若者の間で再ブームになっているとか。「恋して苦しめ。苦しみこそが成長だ」という言葉がSNSで話題に。デジタル世代にも響く寂聴節は、時代も性別も超えて生き方のヒントをくれますね。

 

🪷 尼僧になっても恋をした? 瀬戸内寂聴さんは51歳で天台宗の尼僧となりましたが、出家後も人間らしい感情を否定せず、むしろ肯定していました。なんと85歳のときには、48歳年下の既婚男性と恋愛関係にあったと語っています。その相手はIT企業の経営者だったとか。

彼女は「出家しても煩悩は消えない」と公言し、欲望や愛情を否定することなく、むしろそれを文学の源泉として昇華させました。密教の修行中に護摩焚きの炎を「エロティック」と表現したこともあり、仏教と人間の本能を独自の視点で融合させていたのです

 

 

 

🖋️ 死に対するユニークな視点 自らの死について語ることも多かった寂聴さんですが、「死ぬのが怖いなんて思ったことない。だって、次に何に生まれ変わるか楽しみじゃない?」と笑っていたエピソードも残っています。彼女は死を終わりではなく、“次の物語の始まり”と捉えていたのかもしれません。

 

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