本田宗一郎のデザイン哲学に学ぶ 👓
💡「良い物をつくるには良い物を見ろ」
本田技研工業の創業者・本田宗一郎(技術者であり経営者)は、ものづくりに対して常に妥協せず、「優れた製品を作るには、まず優れたものに触れろ」と繰り返し語っていた。特にデザインについては、ユーザーの感性を読み解くことが重要だと説いていた。初代NSX発表時には、日本のスーパーカーらしからぬデザインに、皆が圧倒され、中古車市場では今でも高嶺で取引されている。
🚗 アコード開発での摩擦
初代ホンダ・アコードの四ドア仕様を設計する際、社内のデザインチームは三ドアモデルの延長として開発を進めていた。しかし本田氏は「四ドアを買う層は、まるで違う価値観を持っている」と強調し、高級感を前面に出すべきだと主張。鍍金の装飾やサイズ感の変更などを強く求めた。
一方、当時の担当者たちは「高級車は他社の分野」と考えていたため、意識のズレが生じる。本田氏は連日のように「お客の気持ちを理解していない」と叱責し、社員の視点の偏りを問題視した。
🛡️ 織田信長・豊臣秀吉の鎧からの気づき
ある日、担当者が「高級品は自分の生活には馴染まない」と訴えた瞬間、本田氏は烈火のごとく怒り、「歴史上の豪華な鎧を作ったのは、名もない職人たちだ!」と叫ぶ。つまり、自身の暮らしのレベルに縛られる必要はなく、想像力と共感こそが上質な製品を生む鍵だという哲学を語った。
🧠「形は心なり」という言葉
筆者が40歳になった時、「かたち=こころ」という概念が胸に響いた。見た目の美しさは、心の在り方を映す鏡であり、真摯に考え抜いた結果生まれるものだと、歳を重ねるほどに実感するようになった。
🌱こぼれ話:ホンダの制服改革と顧客目線
80年代、ホンダの工場スタッフの制服が一新され、明るめの色使いとカジュアルな形が採用された。背景には「整備スタッフに対しても、顧客が親しみを持てること」が狙いだったという。これも本田氏の“見られる立場”の哲学に通じている。
🔧こぼれ話②:アメリカ市場を見据えたデザインの変更
ホンダは80年代初頭、北米市場への本格進出を図る際、「アコード」のデザインをアメリカ好みに変更。ボンネットの立体感やクロームパーツを意識的に追加し、結果的に「輸入車らしさ」が評価され大ヒット。本田氏の「見る力」は海外でも通用した。
☕ちょっと おしゃべり
最近、デザイナーと工学者がAIにデザイン相談するケースが増えてきているそう。人間的な“感性”をAIが学習することで、企業の新製品がより直感的に進化しているんだとか。どこまで共感できるかが、未来のモノづくりの鍵になりそうですね。
📎本田宗一郎についての情報
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/本田宗一郎
🛠️ ホンダ最後のライトバン『パートナー』の隠れた名車ぶり
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商用車なのに4輪ダブルウィッシュボーンで快適な乗り心地。
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実は走りも良く、コアなファンに愛された“羊の皮を被った狼”だった。
ホンダは「常識に挑戦する」ことを恐れないメーカー。だからこそ、時代を先取りしすぎてしまうこともあるけれど、それがホンダらしさでもあります。
●グランツーリスモ1のディーラーごとに違うBGMは、
ホンダが一番カッコイイ! 絶対にソニーの開発者はホンダファンダ笑
ホンダ自動車は「夢を追い求める」企業として知られていますが、ユニークな挑戦や発明で世界を驚かせてきました。たとえば、軽トラック「T360」は360ccの高回転DOHCエンジンを搭載していて、当時の常識を覆す仕様でした
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