「一本のロウソクになれるか」
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かつて、私が赴任した中学校には、ちょっとした“修羅場”が広がっていました。 校内暴力、登校拒否、牛乳瓶の投げ落とし……。握りバサミが校庭に落ちていたこともあります。
先生たちは朝の1限目を“自習”にして、問題のある生徒の自宅まで通っていました。 教育とは、時に「忍耐と対話の集大成」なのだと思い知らされる瞬間です。
その頃、私は哲学者の森信三(シンゾウではない、のぶぞう)氏が主宰する読書会に参加するようになり、 現場での体験を報告する機会を得ました。
すると、森先生はこうおっしゃいました。
「田中さん、あなたのやっていることは宗教ですよ。 子どもの心の奥深くにある痛みを理解し、その欲することを汲み取って実践する。 それが、現代の宗教なのです」
その一言は、私の価値観を大きく揺さぶりました。
教育とは、“知識を教える”こと以上に、“生き方を示す”ことなのだと。
ある読書会では、出席者の教師が「校内暴力が止まらない」と嘆いたとき、 先生は鋭く問いかけられました。
「それで、あなたは何をしましたか」
この質問に答えられなかった教師に対し、森先生はこう続けられます。
「満員の講堂が停電したら、ロウソク一本で騒がずに済む。 あなた自身が“そのロウソク”になろうとする覚悟はありますか?」
読書会で森先生にこう尋ねられることが、次第に私にとって“心のルーティン”になっていきました。 「この1週間、あなたは何をしましたか」
その問いに答えるために、日々を“行動”で満たそうとするようになったのです。
先生がご高齢で歩行も難しくなってからは、二人だけの読書会を月2回開くようになりました。 やがてそれも「この本は理解できました」と先生の一言で終了となり、 直後に寝たきりの状態となられました。
私の家には「清虔」と書かれた一枚の色紙が飾られています。 森先生が不自由な右手で、私の定年退職を祝してしたためてくださった言葉です。
清く、そして虔(つつし)み深く。 先生は生涯、その姿勢を貫いた人でした。
🛎️エピソード:別の視点からの教育論
ところで最近、ニュージーランドでは「森林教室」が注目されています。 自然の中で過ごす時間が子どもたちの集中力や情緒を育むそうで、 教室の枠を越えた“環境教育”が新しいスタンダードになりつつあるとか。
「ロウソク一本」の覚悟に加えて、教育の“場”そのものも再発明されているのかもしれませんね。
森氏のモットーである「一日不読、一日不喰(1日に読まないなら、食べることをせず)」を実践し続けました。電車で移動中、必ず本を読んでいたそうで、座れなければ吊り革につかまってでも読むほど、読書を大切にしていたといわれています[3]。忙しい日々の中でも、この習慣は途切れませんでした。
また、森さんが「休息は棺桶に入ってから」と語るほど、精力的に活動し続けた人物でした。この言葉は、日々を大切にし、自分の役目を果たす姿勢を象徴しています
ものすごいブラック企業です笑
📜 1.戦後の混乱期に“幻の講義録”を生んだ背景 森信三の代表作『修身教授録』は、昭和13〜14年に大阪天王寺師範学校で行った講義を生徒が筆記したもの。驚くべきは、教科書を一切使わず、人間の生き方や教育の本質を語ったこと。しかもこの講義録は、戦後の混乱期に自費出版され、彼の息子が会社勤めを辞めてまで支えたという逸話があります。
はがき魔だった? 森は毎日数十枚のはがきを手書きで送る習慣を持っていました。講演で出会った人、手紙をくれた人、志を同じくする人々に、即座に返信。しかもそのはがきを複写して保存するよう勧めるなど、記録魔でもありました。彼のはがき文化は、今も「実践人の家」で継承されています。
哲学者なのに“石好き”だった? 晩年、森は「私のことを尋ねられたら『西洋哲学を学んだがピッタリせず、ついに全一学に到達して安定したが、それ以外には唯、石が好きだった』と答えてほしい」と語っています。彼は石に宇宙の理を見出すほどの愛好家で、講演先でも石を拾っていたとか。
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