3/24ルーちゃんは虹の橋に行きました。
この日のことを私は忘れない。いや、一方でちゃんと思い返せない。
私は今立ち直れないでいます。これじゃいけないとわかってるけどどうにも気持ちの整理がつかない。
苦しくて悲しくて寂しくてたまらなく。
ルーちゃんが戦ってるとき、必ず家に連れて帰り一日でも長く穏やかな日々を過ごしてもらう為、マイナスな話はほぼ封印してきました。
私たちと同じナガサは生きられない それはわかってました。だけどこんなことって。
でも、ルフィはほんとに頑張って頑張り抜いた
えらかった
だから、頑張ったこと、ゆっくりゆっくり記録してます
とってもキツいけど。
そして、同じ病気、DIC、また、ワンコの全ての病気の発見、治療がよい方向になりますように長く生きられますように心から願っています。
亡くなってから結果がでました。ルーちゃん やっぱり血管肉腫でした。
ルーちゃんは脾臓に腫瘍がある おそらく血管肉腫で、いつ破裂するかわからない。しかもすでにお腹の中で出血している。破裂しないように、まずは緊急手術するしかないです
余命は通常1から3ヶ月が一般的。それすら叶わないかもしれない。予後は極めて悪い。でも、このままだと数日の命。余命宣告。
とにかく、今の辛さを改善してあげること、
そのため手術しました。
今の状態は脾臓を摘出し、出血している状態にはそれしかない。と言う診断されて3/20に手術になりました。
わかった時、絶望感でたまらなかっけれど
私はこの時から可能性がゼロではない。少しでも長くルフィにとっていい時間を過ごさせてあげることこの想いでいました。
この時点でまだ病名が告知なかったけれど、無理矢理聞いた上で私がめげちゃだめ。絶対大丈夫!私が一瞬でもダメだと思ったらだめだ 絶対大丈夫!と誓いました。それが長くないかもしれなくても。
少しでも穏やかでルフィが楽しく過ごせる日々が欲しかった。もう少し時間ください。そう願って信じてました。
ルフィが頑張ってたから。
手術に送り出す日このままお別れになる可能性があるとなんとも残酷な話で締め付けられる思いでした。
だけど、入院までの二日、破裂しないように、体力つけられるように食べたいものあげて、笑顔でマッサージしていました。理由はだって です。免疫力あげたかった。代わってあげたかった。
絶食になった朝、お母さんご飯は?と聞いてきて、生きようと頑張ってるルフィに弱気にならないと奮い立ちました。
ごめんね手術だから今は我慢してね、終わったらなんでも食べられるように用意しておくよ。だから頑張ろうね!大丈夫だよ 良くなるよ 待ってるよと送り出しました。わかったよと言った気がしてます
今になると なんのために我慢させたかわからない。なんでも好きなもの食べさせてあげたかった、、
この時の苦しさ、でも、大丈夫大丈夫
お母さんが守るからね!そう送り出しました
この後ボクは帰ると言いました
またおうちに帰り大好きなウマウマを沢山食べさせてあげようと思いました。忘れませんこの時を。
この後手術し、夜になってきた連絡は、結果は 残念ながら肝臓転移はあった出血もたくさんしていたけれど、脾臓は全摘できて幸い現在出血は止まっていました
しかし、お腹の中で出血していた血の量は400ml、それを戻す、あとやはり輸血は必要で、輸血に協力してくれたワンちゃん飼い主さんのおかげで200ml合わせて600ml輸血しました。
結果はけして良好ではなかったし、肝臓に無数の小さな転移もしてる 取れなかった。
取れなかったけどでも術後は良好でした。出血も止まってた。感謝しかありませんでした。
1ヶ月なのか半年なのかもっと!なのかわからないけど出来るだけ長く一緒にいられますようにと願いました。まさかうちに帰れないなんて こんなに早いなんて思いもしなかった。
ようやくきた連絡で
出血多量は回避、一山越えましたよ。へマグリット値も21%までなりました。それでも危険域だけど、12パーセントからの改善は喜ばしい。その連絡でホッとし感謝でいっぱいでした。このままDICを起こさなければと言うことでした。
よかった DIC起こさないで。
そのはずが、そのはずが
翌朝一変しました。
朝連絡がありへマグリット値が12%まで下がり口の中の粘膜質がと言うことで、状態が非常に悪い早いうちに面会に来てくださいと。多分、DICを起こし始めてますと。
食べ始めた朝ごはんも食べられるはずもなく
絶望感でいっぱいの中約束の時間に面会。
その時の面会で必死に頑張るルフィを目の当たりにしました。足は浮腫み、息は荒く、貧血、頭を起こせるかがバロメーターと言われだけど、やっと上げてる感じだけど 頑張って上げてる。ただひたすらマッサージしました。ルフィがこんなに頑張ってるのに泣いちゃダメ!そう言い聞かせて必ず良くなるよ。お母さんが絶対守るからね!と何回も言いました。
その後院長と話。ここで連れて帰るか治療続けるかの選択をする必要があった。
私たち家族で意見が割れた。
状態はかなり悪い、おそらくDICを起こしだしてる。危険な状態です。一方病院にいればその時に必要な処置はできますとのこと。
DICになったら予後は悪い しかもすぐにでも危険。でもゼロではない、痛み止め含め必要な処置をすぐできる病院にいるか、そうははっきりは言わないがあきらめて看取る為家に連れて帰るか、もちろんおうちという環境でよくなり歩いて通院できた仔もいることはいる。ただこの状態で連れて帰るのはかなり厳しい状態です。連れて帰っても毎日点滴に来ないとダメです。それをどちらか選択。
さっき頑張ってるから弱気にならないと言っだけど、これ以上頑張らせていいのか、正直私はずーっとそばにいてあげたいそう私は思った。でも、辛い時に薬をすぐあげられない。うちは階段の二階、毎日通院して点滴打つ必要がある
それはルフィにキツい思いさせないか?
そして、それはあきらめることになるんじゃないか。実際そうなるということだった
そもそも、それ以前に手術して辛い思いさせるべきだったのか。もちろん、連れて行った時点で手術しか選択肢はなかった。すでに出血し、破裂寸前だったから。わかってる。
だけど、結果恐れていたDICを起こし始めている。これじゃ もし、このDICで奪われることになったら、何のために痛い辛い思いさせて常にそばにいてあげられない。なんで手術させた?そう思いました。はっきり言うと後悔でした。
後悔、後悔、ただ後悔。
ここでDICから回復することは厳しい状態だけど、まだわからないということでした。
術後DIC起こし始めて今苦しいのにそれでどうするかなんて、、
そもそも手術させてよかったの?やらなければいずれは出血多量になる それはわかってます。
でも、
これじゃ血管肉腫以前じゃないか 私は正しかった?ルーちゃんに余計つらい思いさせただけじゃないの?
ルーちゃん お母さん正しかったの?いろいろ混乱しぐるぐるしました。
この時点でどうするかかなり揉め、最終的に私の判断になりました。即決できず、一度持ち帰りました。
もう、後戻りはできない。どうしよう。
決定的な判断材料は、入院まえからのルーちゃんのものすごい頑張りでした。今も生きようと現在もものすごい頑張りでした。行くと喜んで起きたりお水頑張って飲んでみせたり手の上に顔乗せたりお話ししたりぱんぱんに腫れた足を動かしたり食べれないけど食べようとしたり、泣かずにはいれないほどがんばりみせてくれていました。ルーちゃんはまだ生きたいんだよね
だから、リスクを言われるようにすぐ対処してくれる状況にいた方がいいと
でも、正直なところは
わからないことだらけでした。壊れそうでした
でも私が壊れてる場合じゃない。辛いのはルフィだ。しっかりしろよ私!
後悔は後で考える
ルフィがどうしたいか、それを考えました
朝に亡くなることが多いのでその際は連絡できませんと言われました。スタッフがきてケアしてからの連絡になると。
次から次へとキツい。
一縷の望みを信じていく、これだけが支えだった。
手術の日も言われたので入院してから私は夜寝れなくなった。そして電話が怖くてたまらなかった。
眠れなかった。朝になる前に起きて祈って祈って夜明けと共に近所の神社にお願いにまわりました。ウグイスが神社で上手に鳴いてた。
東京でいウグイスの歌聞けるなんて
とっても救われた気がして録画した。
帰ってルフィの洋服をひたすらマッサージして、自分にもルフィにも 大丈夫!絶対大丈夫 頑張ろうね!一緒にいるからね!
電話に怯えながらそうやって過ごしました。
夜病院の前に行ってルフィがんばれ!って叫んだりもしました。
一瞬たりとも不安な気持ちを持たないよう
喝を入れてた。
不安だった病院の休診日にも先生の配慮で面会させてもらいひたすらマッサージといろんなお話しました。大好きなペットスウェット飲んでくれてペロペロしてくれた ものすごい頑張っていた。
文句も言ってたし笑
翌日朝連絡したら数値が少し上がりました!朝支えてだけど自力で歩いたと。もしかして右肩上がりと少し嬉しい話もらって
喜んで喜んで。
二回の面会行くと体起こして喜んで
かわいかった。
食べて体力つけないとねとその日はなんとか食べてくれるものを考えた。
しかし、自慢の細く長い足がもうぱんぱんになってた。
翌日の朝もまたお参りに行った
桜も咲いて朝焼けがキレイな朝、真っ直ぐ遠くまで見えた綺麗な朝の景色だった。その道をずーっと真っ直ぐ行くと病院だった。
前の日調子良かったから、まさかだった。
朝電話したら、ものすごい調子悪く、へマグリット値が12%に下がったということだった
時間に面会に急いで行くと、がばっと起き上がり倒れた
貧血で。
待ってたんだ
ちょっとリバースして大きな息になり、少し落ち着いて息が小さくなり焦ったけど、次第に落ち着いてきた
貧血で、びっくりしたんだとその時は思いホッとした。
時間ギリギリまでマッサージし、たくさん話し、一回目の面会から帰った
またすぐ来るからね、起き上がらないでねんねして待っててねと、離れがたいけど、また数時間後だし、面会時間過ぎてるし、そーっと眠ったところで出た。まさか、まさかこの時が、とは思わなかった。
帰り道、主人に少し覚悟しなきゃいけないと言われた。覚悟なんかしない するもんか。だから返事しなかった。
この日は朝のお見舞いに母は来れなかったので、状態をLINEして、母は好きな焼き芋持って行くと言いました。主人も仕事で一度外出しました。すぐに電話が鳴った。
「ルフィちゃん、心臓が早くなってるのですぐきてください。」
すぐに主人と母に連絡、母は病院に行っていて連絡とれず、主人は幸い近くにいたのですぐ戻ってきた
うちからルフィの病院まで車で10分、その時に限って渋滞。途中から私は走った。
だけど病院に着いたら、←この時間病院は外来受付時間外 若い看護師さんにちょっとお待ちくださいと言われ、病院中ピーって鳴り響いてた。瞬間に間に合わなかったとわかった。
少しして1人の先生が今心臓マッサージしてるのでちょっとお待ちくださいと。
え?順番違くない?と思ったけど
はいしか言えず。
少しして、もう1人の先生が走ってきて
ルフィちゃん心臓が止まっちゃいました、、心臓マッサージと挿管とかしてるのでちょっとだけ待ってくださいと言われました。
この時の気持ち覚えてない、
その後すぐ呼ばれて、入った時ルフィの顔見ていて壊れました。触ったらまだあたたかい、嘘だよね?こっち見てるよね?こんなに泣いたのジェニーの時以来だ、泣き叫びました。
やだやだよ!ごめんね ルーちゃんごめんね!
ただひたすら泣きました。
間に合わなかった
そんな、、
そばにいてあげられなかった
ごめんねごめんね 辛い思いさせてごめんね
先生も泣いて見送ってくれた。
車に乗ってすぐ、主人が
ルーちゃんドライブだ!と言いました。
ルフィは車に乗るのが大好きだった。
2人で泣きました
ルーちゃんをうちに連れて帰って家の前に着いたらそこに母が到着 すごいタイミングだった。
母も涙流しながら3人で家に運んだ。
あったかくて重かったな
出て行く時にすごい勢いで出たから、ルフィが帰った時、入る前にモアナが泣き叫んでブルブル震えてた
わかるんだ 兄ちゃんのこと。
今まで緊張感でいっぱいで、ルフィが頑張ってるから泣かない弱音は吐かない、絶対連れて帰ってたくさん好きなもの食べさせて、そんなこと考えてた糸がこの時切れました。
その反動がすごかった
話、できなくなった
夫、母以外にルフィの話しようとすると、震えが止まらなく、いや、入院して何度も震えそうになったけど止めてきた。
でも、今は止められない。震えが来て呼吸ができなくなる
その時いなかった院長から夜になって電話があり、その日の朝、朝までルフィを見ててくれて朝方交代するまでルフィの調子良くこれは帰れると思ったそうだ。
朝5時前窓を開けたら、入院してから初めてしっかり体起こして目を細め外の空気を感じてたと。
ルフィはその時調子よくて、早く来ないかな、おうちに帰りたいなと思っただろうと思った。私が朝ルフィの病院の方角を眺めてお願いし祈ってたその時間に。待ってた。
たまらなかった。
その後具合悪くなりどんな気持ちで待ってただろう。どんなに心細かっただろう。だから来た時起き上がったんだ。
頑張らせたこと、手術したこと、いろんなことが後悔で崩れた
院長が私たちがどんなにルフィを大切にしていて一縷の望みにかけて 回復を願っていたかはすごく感じていました。助けられなくてすみませんと声かけてもらった。
後日、結果と支払いしに病院に行った時も、みなであの処置で正しかったか話し合った。ルフィちゃん頑張ったのに助けてあげられなかったことを申し訳なく思うと言ってもらった、
何日もかけ記録したけど、わかりづらくて、
本来ならちゃんとお礼伝えなきゃいけないのにごめんなさい。
ルフィがお空に旅立つまでの間、まるでただいつものように 寝ながらこちらを見てるようだった。話してマッサージして、、
とうとう、送る日が来ました。
嫌で嫌でたまらなかった。
主人、母、モアナと見送りに。
自分の気持ち、悲しくて悔しくて以外全く思い出せない。
ルフィを最後見送った後、強風が吹き桜吹雪が舞った
泣きました
今年はその後桜並木見れなかった。
ルーちゃんへの申し訳ない気持ち、判断、数々の後悔、去年の9月のことがあったのに気づけなかった、最後にそばにいれなかったこと、寂しさ、悲しさ、いろんな気持ちでいっぱい。
ギリギリの精神状況で保てたのは奇跡、希望 そのことからいられたけど、今はそれが全て壊れました。
ルフィは怖がりで頑固でお散歩もそんなに好きじゃないし、どこに行っても 私たちの後に常にべったり。アレルギーで 毎日いろんなルーティンがあった。生活の中心。それがない。
フラットなのに泳ぎが苦手。
虹の橋
大丈夫かな。
何かあるとルフィに話して支えてもらった。
優しくて、モアナのことかばったり、いつも私たちのこと見ててくれたり。
ルーちゃん、会いたいよ。
帰ってきてよ
今日で21日、辛い時も楽しい時もいつも私のそばにいて、私の全てでした。そこら中に面影があり
まだまだ受け入れられなく苦しいし、気持ち整理つかないし前進できない。
だけど、壊れててもこれだけは言える。ずっとずっと大切に思ってるよ。触れなくても一緒にいるよ。うちの仔になってくれてありがとう。
たくさんたくさん幸せもらった。ありがとう。
気持ちが落ち着いたら、と思ったけれど
全然、むしろ日に日になので、ここでお礼伝えさせてください。
すがる思いでお願いしたエール、お友達の温かい言葉、お花、ルフィへの贈り物、私たちの体を気遣って差し入れいただき感謝でいっぱいです 説明がなかなか出来なくて申し訳ないのにあたたかいお気持ちに感謝しかありません。
どれだけ救われたかわかりません。
ほんとにほんとにありがとうございました。