2024年11月14日に羅府新報に掲載された記事です。

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 我が家のサンクスギビングでは毎年「サンクスギビングジャー」という瓶を食卓を囲む人数分用意し、そこに一人ずつ今年感謝だったことを書き入れ、食事の後にそれをシェアする、という習慣があります。それはそれで素敵な時間ではあるのですが、一年を振り返る時、感謝なことや嬉しかったことだけでなく、色々なトラブルや困難も思い出します。っs

 例えば1年前は、冷蔵庫と食洗機と洗濯機と炊飯器とパン焼き器が一気に壊れたことを思い出しました。さすがに感謝できません。でもよくよく考えると私たちはいつも、なんらかのトラブルや困難にも囲まれています。ですから、そのようなことが私たちに起こる時、驚いて「どうしてこんなことが?」と思うのではなく、それもまた受け止めることが自分の人生に誠実に向かい合うことなのかな、と思わされるようになってきました。

 私はサンクスギビングの時だけでなく、1日、1週間、1ヶ月、1年などの区切りの時に、自分自身を振り返る時を持つようにしています。振り返る中で、自分にとって喜びや生きる力、また神さまの存在を近くに感じさせてくれたことを思い出します。反対に自分にとって疲れさせ、がっかりさせたこと、神様から離れているように感じてしまったことも思い巡らします。それらの事柄に対して、「悪かったな、こうしたら良かったな。」と思うような反省会をするのではなく、ただただ自分の心に向かい合い、「あれは、本当に嬉しかったな。あの時はすごくがっかりして心折れたな。」ということを意識します。

 そして、それを神様の前に持っていき、そのことに関して神様が自分に何を語ってくださるかということに静かに耳をすませるのです。時にはそのことに関して何か新しい視点が与えられることもあるし、単に神様の優しい眼差しを感じるだけのこともあります。でも、そのように自分の喜びも、悲しみも、感謝も、挫折感も、丸ごと神様に持っていくときに、神様からいただくのは、平安と喜び、慰めであることが多いのです。

 

 この夏、山にキャンプに行って帰ってくる途中、夜中に道の真ん中で車が動かなくなってしまいました。私は「電波の通じない山じゃなく、街の中で止まって、家族に迎えを頼むことができて本当に感謝だったね。」と言いました。それはもちろん本当なのですが、後からそのことを振り返った時思い出されたのは、動かなくなった車を後ろから押しながら「昔、車が止まった時お父さんと一緒に車を押したことがあったんだよね。」と楽しそうに言った娘の友人の姿や、「こういう経験が家族や友達との結束を強くするんだよ。」という娘の笑顔でした。車が止まったのはトラブルでしたが、それはトラブルで終わることはなく、そこにも慰めや喜びをも神様がもたらしてくださったのだな、と思います。

 このサンクスギビング、みなさんも一年を振り返り、ぜひ感謝を数えてみてください。そして感謝と共に、大変だったこと、辛かったこと、また寂しかったこと、苦しかったことも、一緒に思い起こし、神様の前にもっていってみるのはどうでしょうか。神様がそのことを通して新しい視点を与えてくださるかもしれません。そしてそれがみなさんを神様にもう一歩近づけるきっかけを与えてくださるかもしれません。

 

「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」(ピリピ4:6-7)