「ノルウェーの森」は爆発的に売れた村上春樹の小説の題名にも使用されたビートルズの曲。1965年発売のアルバム「ラバーソウル」に収録されている。俺が生まれた年だ。
ジョン・レノンの作品で、曲中でジョージがインド楽器「シタール」を用い、独特の色彩を添えている。

さて、この「ノルウェーの森」だが、本来は違う歌詞で作られたという説がある。
具体的には「Norwegian Wood」が実は「Knowing She Would」だったという話。
「ノーウェジアン・ウッド」と「ノーウィン・シー・ウッド」、音の響きは似ている。
「knowing she would」の意味は「彼女がヤらせてくれるって分かってる」ということ。
つまり、歌詞に当てはめると、1.2のような違いが生じる。

♪俺にくっついてた女、いや俺がくっついていた女と言うべきかな。
彼女は俺を自分の部屋へ招いてくれた。
1.いいもんだよね、「ノルウェーの森(ノルウェーの家具)」
2.いいもんだよね、「彼女がやらせてくれるって分かってるのは」

明らかに後者の方が辻褄が合うし、いかにもジョン・レノンらしい。
この説は事実だろうと俺は思っている。
ジョンが曲を持ち込んだ際、おそらくポールとのやりとりで「さすがに、そのままじゃマズイだろ?」となって、似たような言葉に置き換えたに違いない。
歌詞を続けると、こんな話の流れになっている。

「泊まっていけば?」と彼女は言った。
「どこでもいいから座ってよ」と言われても椅子はない。
仕方なく俺はラグに腰を下ろしてワインを飲んで時間を潰した。
深夜二時までおしゃべりして、そこで彼女は「もう寝なきゃ。朝から仕事なの」と言って笑った。
「俺はヒマだぜ?」と言っても相手にされず、しょうがないから風呂場で寝た。
目が覚めると俺は一人きり、小鳥は飛び立ってしまった。
だから俺は暖炉に火をくべた。いいよね、ノルウェー風の家具。

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話は、がらりと変わる。
元同僚の女がいる。俺より二十くらい年下だから三十歳くらい。
彼女が離職して、しばらくしてから彼女の親戚が住む秋田の花火大会へ一緒に出かけたことがあった。一昨年の夏のことだ。俺と、同僚男性と、彼女の三人で東京から車で向かった。
本来は大人数が参加する予定だったが、結局は三人で行く羽目になった。高速代、ガソリン代、桟敷席の料金、日帰りは難しいために宿泊費用となると一泊の旅行にしては相当に金が掛かる。
他の参加希望者の多くを尻込みさせた理由はそこだと思う。

昼間は夏の日差しに干上がるほど炙られ、花火大会の最中には雨に降られたり、なかなかハードな旅行ではあった。しかし「日本三大花火」の一つに数えられる大曲の花火はこれまでに見た事もない規模の美しさだった。

その秋、彼女の父親が亡くなった。長患いだったようだ。彼女から訃報を受けた俺は、花火大会へ同行したよしみから通夜へと顔を出した。ただ、仕事前だったので線香を上げただけで会場を離れた。「また連絡するよ」とだけ告げて夜勤の仕事へ向かった。

だが、それ以降、俺から連絡することはなかった。しなかったと言うよりも連絡する用事がなかったのだ。俺はまめにLINEで仲間にメッセージやスタンプを送るタイプではない。用事がなければ連絡はとらない。

そして、しばらくしてから気付くと彼女が俺のLINEの友達リストから消えていた。
「ま、いいや」と思った。
実際に丸一年、俺から連絡することも無かったわけだし、その程度の間柄なのだろう。
お互いに連絡を取らぬままに日々が過ぎていった。

今年の夏、会社の仲間を通じて彼女から再び秋田の花火大会へと誘われた。どうせ人数調整の人集めに決まっている。
「花火も何もさぁ、アイツ、俺をLINEの友達から切ったんだぜ!?親父さんの通夜にも顔を出したのに」
仲間にそう返しながら、どうしようかと考えた。結局、俺は花火大会へ行くことにした。

理由は少々「縁を感じた」からである。
彼女は一度、俺の視界から消えた。仲間を通じて連絡を取ろうと思えば出来るだろう。ただ、学生時代のクラスメート同様、ある瞬間を境に接点が無くなったわけだ。
これは好き、嫌いの問題ではない。恋愛に限らず、人は出会いと別れを繰り返す。
ただ、彼女は再び俺の世界へと戻ってきた。それを面白いと捉えて、花火大会へ向かった。

花火大会後も度々、連絡が来るようになった。俺も返信する中で距離が縮まってきた。そして、花火へ向かう車中で彼女が「ウクレレを弾いてみたい」と話した経緯もあり、俺のウクレレを貸してあげることになった。どこで手渡すかを話す中、二人で日帰り温泉へ出かけることが決まった。
俺は夕食付の宿を予約しておいた。

新宿からロマンスカーで箱根へ向かった。宿に着き、風呂に入り、ウクレレの手ほどきをしてから夕食を取り、再び部屋でウクレレのレッスンをした。彼女はとても覚えが良かった。すぐに「カノンコード」と呼ばれる、多くの楽曲で用いられる循環コードが弾けるようになった。そうこうしている内にすっかりいい時間になってしまった。

俺も彼女も揃いの浴衣姿だ。ウクレレの音だけが響く個室に二人きりでいる。押し倒そうと思えばすぐにでも出来るが、どういうわけだか、そういう気持ちにはならなかった。
聖人君子ぶるわけではない。俺は最初からヤッてしまう気満々でいたのだ。しかし、その一歩を踏み出すのに躊躇いがあった。何と言えばいいのか、とにかくセクシャルなムードに欠けた。

いよいよ宿を出ないと帰れない時刻になった。
「どうする?俺、もう帰るの面倒臭いんだけど」と言うと、彼女は泊まっても構わないと答えた。
(決まりだ!これはOKってことだろ?)
早速、フロントに電話をかけて宿泊に切り替えた。そして我々は一泊することになった。
再度、温泉に浸かることにした。日曜の夜なので、深夜の露天風呂は貸し切り状態だ。夜空を見上げると秋の風が木の葉を揺らしている。夕食時「もしもに備えて」飲んでおいたバイアグラの類が効いてしまい、これから部屋に戻ってすることを夢想すると俺自身は完全に天を仰いだ。風呂から上がれないほどだった。

部屋に戻って酒を飲みながら話をし、再びウクレレを弾いた。腰が痛いという俺の上に跨って、ベッドでマッサージをしてくれたりもした。だが、どうしても襲い掛かる気にはなれなかった。風呂で想像していたほどに目の前の彼女はセクシーではなかった。すっぴんに丸顔で、酒に酔って「~みたいな(笑)」とさして面白くない冗句を連発する彼女に鼻白んでいた。

「そろそろ寝ようか」
俺たちは、それぞれのベッドにもぐりこんで明かりを消した。
(いよいよ、か。どうする。行かなきゃ失礼なのか。期待しているのかな)
目がさえてしまい、寝付けそうになかった。
「俺、そっちに行くかもしれないけど」
暗がりの中で、そう誘い水を投げてみると「蹴とばしますよ(笑)」と返事があった。
そこで「もう、いいや」と思った。
したいのか、したくないのか、自分でもよく分からない。
でも、歓迎されないのに襲い掛かる気などさらさらない。
無理やりしようとは思わない。もうそういう歳ではないのだ。
俺は入眠剤を飲んで眠ってしまうことにした。

翌朝、目を覚ますと彼女はまだ眠っていた。
声をかけると起きて、俺たちは朝湯へ入った。
朝食は箱根湯本駅の近くか、あるいは小田原まで戻って取ることにしてホテルを後にした。

その後も、俺と彼女の関係は続いた。
10月中は毎週、デートした。一緒にバーへ出かけたり、映画を観に行ったり。もちろん、費用は全て俺が持つ。「ご飯をご馳走してくれるおじさん」でも俺は構わなかった。逆に、彼女と交際をして結婚し、一緒に所帯を持つなんてことはこちらも考えられない。何というか、性格や趣味、嗜好といった根本的な部分がまるでフィットしないからだ。それでも年下の女と待ち合わせてデートするのは気分が華やぎ、楽しくもあった。

先々週末のことだ。彼女と東京駅近くで飯を食う約束をしていた。電車で向かう最中、彼女からLINEが入った。そこには「妊娠したかもしれない」と書かれていた。
そういえば温泉の帰り道に「少し前に不倫した」と告白していたのだ。「何だよ。納得いかねえよ、その話。何なの、俺とのその差は・・・」なんて、ふざけて返したりしていた。
どうやら、その同級生の妻子持ち男性のと間にデキてしまったらしい。

食事の後、カフェで俺は自分なりの見解を語った。俺も離婚して、元妻はシングルマザーとして娘を育てている。俺は養育費の支払いはもちろんのこと、学費や諸々の金のかかることはできる限り面倒をみてきた。それでも女手一つで子供を育てるのは大変なのだ。
彼女には、まだまだ選択肢が残されている。今回のことは残念だがあきらめて、別な男性と幸せな結婚をして、旦那と一緒に子育て出来る可能性だって多分にある。

だが彼女は現時点、シングルマザーとして、その不倫相手の子供を産もうと考えているようだ。
お腹に子を宿した女性の気持ちは分からないので、俺は余計な口出しはしないことに決めた。
ただ、ちょっとした疑似恋愛的な彼女との関係は魅力を持たなくなった。
これが「縁」なのか?俺がこれから彼女に何をしてやればいいのだ。俺くらいの年齢になると許容範囲は若い頃よりも広くなる。初婚だろうと、バツイチであろうと、特に問題はない。ただ、子持ちの女を好きになるケースとはわけが違う。回避出来るはずの茨の道を自ら選んだ彼女に俺が関与してサポートする気なんかさらさらない。

彼女が不倫したのは俺と温泉へ出かける一週間前の話だ。
俺は温泉で彼女と関係を持ってしまった場合を想像してみる。ひょっとすると自分のDNAを持たない他所の男の子供を「俺の子」として育てる羽目になったかもしれない。
運がいいのか、悪いのか、よく分からない。
でも、これだけは言える。
神様は俺の元へろくな女を寄越さない。