結婚して間もない頃、妻とハワイ旅行に出かけた。そこで学生時代にバイトしていた会社の社長に出くわした。「出くわした」と言っても、こちらが一方的に相手に気付いただけだ。免税店のエスカレーター数段上に社長は家族と一緒に並んで乗っていた。
エスカレーターを後ろ向きに乗る人は少ない。大抵は階上を見据えている。社長も前を向いており、背後の俺に全く気付かなかった。学生時代のように髪も長くないし、ヒゲなんか生やしていたので見ても分からなかったのかもしれない。俺は社長の後姿を見つめながら声を掛けようか悩み、結局は声を掛けぬままでやり過ごしてしまった。
声を掛けるのを躊躇ったのは不義理があったからだ。
社長の経営する広告代理店は御茶ノ水にあり、大学5年生の俺はそこでアルバイトをしていた。学校には週に2日ほど通えばよかった。数単位を落として留年していたからだ。学生課で紹介してもらったバイト先で、社長も明大のOBだった。こちらのの不甲斐ない留年事情も理解して、よくしてくれた。
俺の仕事は広告原稿を出版社へ持参したり、広告の掲載誌を取りに行ったり。今のようにインターネットが普及する以前の話だ。
ある日「話がある」と言われ、社長と昼食を取りに出た。そこで「ウチで働かないか」と誘われた。「お気持ちは嬉しいけれど音楽がやりたいので」と断った。
半分は本音だった。
当時、ミュージシャンを志していた。が、もう半分の真意は別にあった。脱毛器具や、二重目蓋を作るアイライナー等の安っぽい広告を作る、社員5名ほどの無名の広告代理店などに就職したくなかったのだ。
俺の卒業時期はバブル崩壊前で部屋には決して大げさではなく、本当に「山のように」就職用の会社案内資料が届いていた。
その後、俺は社長の紹介でさらに怪しげな会社、アダルトビデオメーカーでバイトすることになる。ここが、また絵に描いたようなダメな会社で、半年ほどで辞めた。代理店の社長からは「辞める時は必ず相談しろ」と強く言われていたが、実際に辞める時には相談しなかった。
それから数年を経て、ハワイで偶然に社長と遭遇したのだった。
今となればあの時、声を掛けていれば良かったと思う。それをきっかけに、違う方向へ人生が動いていたかもしれない。そう考える理由は小さな代理店への未練でも、自分の現状を憂いてでもない。
奇跡的な偶然だと思えるからだ。「何かの縁」としか思えないからだ。
想像してもらいたい。
バイトの頃に足繁く通った神田駿河台の定食屋で会ったわけではない。日本から遠く離れた異国の島、そのショッピングセンターのエスカレーター上での遭遇なのだ。
生活を異にする知人同士が、異国の、せいぜい10mほどの直線状に並ぶ確率ってどれほどなのだろう。滅多にあることではないのは間違いない。
そうした偶然には「見えざるものの意思」が働いているように思える。言い換えれば「神の思し召し」だろうか。しかし俺は不義理もあったので千載一遇の出会いを反故にしてしまった。
その後、社長と会うことは二度とない。挨拶をするだけでも、お茶を飲むだけでも良かった。偶然としか呼びようのない遭遇は「一期一会」と捉えて大切にすべきなのだろう。そうしなければ後悔が残る。
話は先週へと変わる。少々遅い昼食を取りに家を出た。カレーを食べようと思ったが駐車場はいっぱいであった。諦めて、すぐ近くの寿司屋の駐車場に車を乗り入れ、一人で寿司を食った。カレー屋の駐車場が満車なのも縁なのだ。俺はそう考えるタイプだ。
適当に注文して腹八分目で店を出た。たまの贅沢、好きにネタを注文したところで3千円程度で満足してしまう。車に乗り込んで、さてどうしようかと考えた。自由で気ままな独り者の休日だ。家電店とコーヒー直売店に買い物があった。目指す店舗は方角的に海側か山側になる。気分的に俺は山側を選んだ。これも縁である。
「千葉ニュータウン」と呼ばれる地域には郊外型の大きなスーパーや量販店が立ち並ぶ。
まず、目に入った大型家電店へと入った。1Fにはドンキホーテと100円ショップ、2Fが電器店になっている。
2階へのエスカレーターに乗っていると腕の辺りをトントンと叩かれた。
「ヨーボー?」と見知らぬオバちゃんが俺の顔を覗きこんでいる。
ヨーボーは子供の頃からのあだ名だ。相手の顔を数秒ほど凝視すると誰だかが判明した。
いささか老けたオバちゃんはMだった。
Mとは小3時に同じクラスだった。席は斜め後ろで、タレ目の可愛い女の子だった。
俺は彼女を好きになった。一人の女の子に強い恋愛感情を抱いたのは最初だったように思う。つまり初恋だ。しかし30年前の小学3年生、好きだからといって何が出来るものではなかった。
それでも何人かでよく一緒に遊んだ。行き先も決めずに電車に乗って終点の駅まで行き、折り返して帰ってくるなんて遊びもした。小学3年生にとって、それは大冒険だった。
当時はあちこちに点在した草地に一緒に寝転んで、生意気に空なんか見上げて話をしたりもした。
生まれて初めてチョコをもらったのも彼女からだ。今でもよく覚えている。ハート型のチョコレートと骸骨のキーホルダーだった。キーホルダーは彼女がカバンに付けていたのを俺が欲しがったのだ。
「いいな、それ。ちょうだい?」と頼んでも彼女は「ダメ」と言って、くれなかった。
校門の前で待ち合わせ、チョコレートを受け取った。一緒に骸骨のキーホルダーもくれた。
そのまま走って家へ帰った。帰宅して、チョコを頬張りながら摘んだ指先に揺れる骸骨を眺めた。未経験の感情が胸に湧いた。それは狂おしい気持ちだた。
せっかく仲良くなれたのに翌年にはクラス替えがあった。違うクラスになっても彼女は毎年チョコレートをくれた。が、ひとたび相手との間に恋愛を意識してしまうと、たちどころに話が出来なくなってしまった。以降は毎年チョコレートを受け取るだけの関係になった。彼女と再び同じクラスになれたのは中学2年の時だった。
中3の夏休み前、クラスの男子5~6人で食べ放題の焼き肉屋に行った。
隣りのテーブルのオヤジにビールを飲まされ、すっかり気分が高揚した中3男子は帰り道の公園で「明日、好きな女子に一斉に告白しよう作戦」をぶち上げた。
裏切りは許されない。中学生男子のバカな約束は絶対なのだ。
翌日、告白合戦が繰り広げられた。教室内は軽いパニック状態となった。教壇の上で誰かがいきなり告白を始め、後ろの黒板前でも誰かが求愛している。俺もM子を屋上に呼び出して手紙を渡した。ずるいけれど俺には勝算があった。だって、毎年チョコレートを貰っているのだ。
それでも返事が来るまでは不安だった。翌日、OKの返事を貰ってMと付き合うことになった。
しかし、一緒に夏休みに盆踊りに出かけたくらいで、その後は受験やら何やらで忙しくなってしまい、密な関係に発展することはなかった。交換日記どころか、ろくに話をすることもなく時間が過ぎた。そして、ある晩秋の放課後に彼女から手紙を貰った。
「最近のあなたは好きではない」というような事が書かれていた。下校途中にそれを読んで、俺は空き地にその手紙を丸めて捨てた。それでMとの交際は簡単に終わった。
高校に進学してから、中学時代の悪友とMを呼び出したことがある。
悪友とMは同じ高校へ進学したのだ。しかしMは入学して、ひと月足らずで高校を辞めていた。中学時代も多少は不良っぽかったが、高校進学で本格化した。家でプラプラしている彼女に電話をかけて、卒業した中学校のそばで待ち合わせた。
しばらくして遠くから歩いてくる彼女を見て俺は呆気に取られた。
道の向こうから黒い柄のマッチ棒が近づいてきた。髪は金髪のアフロヘアだった。それに黒いチャイナドレスを着ていた。どこからどう見ても、絵に描いたような、純度100%の不良少女だった。
でも実際に話してみると中身は変わらずに気さくなままだった。
その日からMと俺との、小3以来の純粋な友達付き合いが始まった。
恋愛感情なし、肉体関係なしの関係だが、俺とMにはそれがフィットしたのだ。
当時、近隣では有名な不良とMは付き合っていた。しかし、その彼はある夜に母校の中学校の屋上から転落死してしまう。
突然に彼氏を失って、泣いてはシンナーを吸って暮らすMに同情したものの、長々と思い出話をされるのにはうんざりした。それでも高校をサボっては彼女のアパートでコーラを飲みながら日中過ごしたり、彼女の勤めるスナックに友人を連れて飲みに出かけだり、時には全く関係のないアパートの電気代まで払わされたりしながらも友達付き合いを続けた。
そんな関係を続けたのは彼女の徹底した不良ぶりや荒廃ぶりが中途半端な自分と比較して小気味よく、面白かったからだ。しかし、さすがに「パパ」と呼ばれる妻子持ちの中年男性との間に出来た子供を産むと言い出した時には反対した。しかし破天荒な彼女は愛人の身でありながら私生児を産んだ。
その頃から、だんだん疎遠になった。子持ち女と学生では同い年でも、住んでいる世界が違ったのだろう。やがて俺も結婚して子供も生まれた。たまに開かれる同窓会で顔を合わせたりもしたが、男は女性に対して即物的な見方をする。でなければキャバクラなんて店に人が集まるわけがない。己のビール腹は棚に上げ、友達付き合いとは言えども徐々に中年化する同級生に興味は失われていく。
先日は8年ぶりの再会だったが、電気店の前で立ち話をするに留めた。最後に会ったのは俺の離婚前だった。こちらの現在に至る経緯を説明するのも面倒だし、彼女の近況にも興味はない。
メールアドレスも知っているのだ。で、ごくたまにメールが届いても素っ気ない返事をしていた。
「パパ」とは数年前に切れたのは聞いていた。子供はもう18歳になるという。両親や姉夫婦と郊外に家を購入して暮らしているらしい。そんな近況を聞かされ「じゃ、また」と手を振って別れた。夜にはメールが届いた。「そのうち、また」と返信しておいた。
ハワイの時と同様、この広い地上のわずか数メートルの直線上に同時刻に人が並ぶ。
やはり、そこに「縁」を感じずにはいられない。
カレーを諦めて寿司にしなければ、車を走らせる方向を山側にしなければ、それこそ車のアクセルの踏み加減がわずかに異なっただけでも彼女と会うことはないのだ。
ただ今後、俺の方から彼女に積極的にコンタクトを取るつもりはない。よほど気が向かなければ会って食事をしたり酒を飲んだりすることもない。
でも、この偶然の廻り合わせに「何らかの意図」が潜んでいるのかは見届けたい。「単なる偶然」か、それとも「運命の再会」なのか。
全く歓迎はしないが、下手すると赤い糸で結ばれているのかもしれない。
今さら彼女に女としての興味は一切ないのだが、偶然にエレベーター上に並んだ縁の行方には多少なりとも興味がある。
(この文章は数年前に別のブログに上げたものを引用した。彼女とはさらに後日談がある。そのあたりはパート3として書くかもしれない。書かないかもしれない)
ユーミンって、本当に天才だな。俺の中では国内最高のメロディーメーカー。
エスカレーターを後ろ向きに乗る人は少ない。大抵は階上を見据えている。社長も前を向いており、背後の俺に全く気付かなかった。学生時代のように髪も長くないし、ヒゲなんか生やしていたので見ても分からなかったのかもしれない。俺は社長の後姿を見つめながら声を掛けようか悩み、結局は声を掛けぬままでやり過ごしてしまった。
声を掛けるのを躊躇ったのは不義理があったからだ。
社長の経営する広告代理店は御茶ノ水にあり、大学5年生の俺はそこでアルバイトをしていた。学校には週に2日ほど通えばよかった。数単位を落として留年していたからだ。学生課で紹介してもらったバイト先で、社長も明大のOBだった。こちらのの不甲斐ない留年事情も理解して、よくしてくれた。
俺の仕事は広告原稿を出版社へ持参したり、広告の掲載誌を取りに行ったり。今のようにインターネットが普及する以前の話だ。
ある日「話がある」と言われ、社長と昼食を取りに出た。そこで「ウチで働かないか」と誘われた。「お気持ちは嬉しいけれど音楽がやりたいので」と断った。
半分は本音だった。
当時、ミュージシャンを志していた。が、もう半分の真意は別にあった。脱毛器具や、二重目蓋を作るアイライナー等の安っぽい広告を作る、社員5名ほどの無名の広告代理店などに就職したくなかったのだ。
俺の卒業時期はバブル崩壊前で部屋には決して大げさではなく、本当に「山のように」就職用の会社案内資料が届いていた。
その後、俺は社長の紹介でさらに怪しげな会社、アダルトビデオメーカーでバイトすることになる。ここが、また絵に描いたようなダメな会社で、半年ほどで辞めた。代理店の社長からは「辞める時は必ず相談しろ」と強く言われていたが、実際に辞める時には相談しなかった。
それから数年を経て、ハワイで偶然に社長と遭遇したのだった。
今となればあの時、声を掛けていれば良かったと思う。それをきっかけに、違う方向へ人生が動いていたかもしれない。そう考える理由は小さな代理店への未練でも、自分の現状を憂いてでもない。
奇跡的な偶然だと思えるからだ。「何かの縁」としか思えないからだ。
想像してもらいたい。
バイトの頃に足繁く通った神田駿河台の定食屋で会ったわけではない。日本から遠く離れた異国の島、そのショッピングセンターのエスカレーター上での遭遇なのだ。
生活を異にする知人同士が、異国の、せいぜい10mほどの直線状に並ぶ確率ってどれほどなのだろう。滅多にあることではないのは間違いない。
そうした偶然には「見えざるものの意思」が働いているように思える。言い換えれば「神の思し召し」だろうか。しかし俺は不義理もあったので千載一遇の出会いを反故にしてしまった。
その後、社長と会うことは二度とない。挨拶をするだけでも、お茶を飲むだけでも良かった。偶然としか呼びようのない遭遇は「一期一会」と捉えて大切にすべきなのだろう。そうしなければ後悔が残る。
話は先週へと変わる。少々遅い昼食を取りに家を出た。カレーを食べようと思ったが駐車場はいっぱいであった。諦めて、すぐ近くの寿司屋の駐車場に車を乗り入れ、一人で寿司を食った。カレー屋の駐車場が満車なのも縁なのだ。俺はそう考えるタイプだ。
適当に注文して腹八分目で店を出た。たまの贅沢、好きにネタを注文したところで3千円程度で満足してしまう。車に乗り込んで、さてどうしようかと考えた。自由で気ままな独り者の休日だ。家電店とコーヒー直売店に買い物があった。目指す店舗は方角的に海側か山側になる。気分的に俺は山側を選んだ。これも縁である。
「千葉ニュータウン」と呼ばれる地域には郊外型の大きなスーパーや量販店が立ち並ぶ。
まず、目に入った大型家電店へと入った。1Fにはドンキホーテと100円ショップ、2Fが電器店になっている。
2階へのエスカレーターに乗っていると腕の辺りをトントンと叩かれた。
「ヨーボー?」と見知らぬオバちゃんが俺の顔を覗きこんでいる。
ヨーボーは子供の頃からのあだ名だ。相手の顔を数秒ほど凝視すると誰だかが判明した。
いささか老けたオバちゃんはMだった。
Mとは小3時に同じクラスだった。席は斜め後ろで、タレ目の可愛い女の子だった。
俺は彼女を好きになった。一人の女の子に強い恋愛感情を抱いたのは最初だったように思う。つまり初恋だ。しかし30年前の小学3年生、好きだからといって何が出来るものではなかった。
それでも何人かでよく一緒に遊んだ。行き先も決めずに電車に乗って終点の駅まで行き、折り返して帰ってくるなんて遊びもした。小学3年生にとって、それは大冒険だった。
当時はあちこちに点在した草地に一緒に寝転んで、生意気に空なんか見上げて話をしたりもした。
生まれて初めてチョコをもらったのも彼女からだ。今でもよく覚えている。ハート型のチョコレートと骸骨のキーホルダーだった。キーホルダーは彼女がカバンに付けていたのを俺が欲しがったのだ。
「いいな、それ。ちょうだい?」と頼んでも彼女は「ダメ」と言って、くれなかった。
校門の前で待ち合わせ、チョコレートを受け取った。一緒に骸骨のキーホルダーもくれた。
そのまま走って家へ帰った。帰宅して、チョコを頬張りながら摘んだ指先に揺れる骸骨を眺めた。未経験の感情が胸に湧いた。それは狂おしい気持ちだた。
せっかく仲良くなれたのに翌年にはクラス替えがあった。違うクラスになっても彼女は毎年チョコレートをくれた。が、ひとたび相手との間に恋愛を意識してしまうと、たちどころに話が出来なくなってしまった。以降は毎年チョコレートを受け取るだけの関係になった。彼女と再び同じクラスになれたのは中学2年の時だった。
中3の夏休み前、クラスの男子5~6人で食べ放題の焼き肉屋に行った。
隣りのテーブルのオヤジにビールを飲まされ、すっかり気分が高揚した中3男子は帰り道の公園で「明日、好きな女子に一斉に告白しよう作戦」をぶち上げた。
裏切りは許されない。中学生男子のバカな約束は絶対なのだ。
翌日、告白合戦が繰り広げられた。教室内は軽いパニック状態となった。教壇の上で誰かがいきなり告白を始め、後ろの黒板前でも誰かが求愛している。俺もM子を屋上に呼び出して手紙を渡した。ずるいけれど俺には勝算があった。だって、毎年チョコレートを貰っているのだ。
それでも返事が来るまでは不安だった。翌日、OKの返事を貰ってMと付き合うことになった。
しかし、一緒に夏休みに盆踊りに出かけたくらいで、その後は受験やら何やらで忙しくなってしまい、密な関係に発展することはなかった。交換日記どころか、ろくに話をすることもなく時間が過ぎた。そして、ある晩秋の放課後に彼女から手紙を貰った。
「最近のあなたは好きではない」というような事が書かれていた。下校途中にそれを読んで、俺は空き地にその手紙を丸めて捨てた。それでMとの交際は簡単に終わった。
高校に進学してから、中学時代の悪友とMを呼び出したことがある。
悪友とMは同じ高校へ進学したのだ。しかしMは入学して、ひと月足らずで高校を辞めていた。中学時代も多少は不良っぽかったが、高校進学で本格化した。家でプラプラしている彼女に電話をかけて、卒業した中学校のそばで待ち合わせた。
しばらくして遠くから歩いてくる彼女を見て俺は呆気に取られた。
道の向こうから黒い柄のマッチ棒が近づいてきた。髪は金髪のアフロヘアだった。それに黒いチャイナドレスを着ていた。どこからどう見ても、絵に描いたような、純度100%の不良少女だった。
でも実際に話してみると中身は変わらずに気さくなままだった。
その日からMと俺との、小3以来の純粋な友達付き合いが始まった。
恋愛感情なし、肉体関係なしの関係だが、俺とMにはそれがフィットしたのだ。
当時、近隣では有名な不良とMは付き合っていた。しかし、その彼はある夜に母校の中学校の屋上から転落死してしまう。
突然に彼氏を失って、泣いてはシンナーを吸って暮らすMに同情したものの、長々と思い出話をされるのにはうんざりした。それでも高校をサボっては彼女のアパートでコーラを飲みながら日中過ごしたり、彼女の勤めるスナックに友人を連れて飲みに出かけだり、時には全く関係のないアパートの電気代まで払わされたりしながらも友達付き合いを続けた。
そんな関係を続けたのは彼女の徹底した不良ぶりや荒廃ぶりが中途半端な自分と比較して小気味よく、面白かったからだ。しかし、さすがに「パパ」と呼ばれる妻子持ちの中年男性との間に出来た子供を産むと言い出した時には反対した。しかし破天荒な彼女は愛人の身でありながら私生児を産んだ。
その頃から、だんだん疎遠になった。子持ち女と学生では同い年でも、住んでいる世界が違ったのだろう。やがて俺も結婚して子供も生まれた。たまに開かれる同窓会で顔を合わせたりもしたが、男は女性に対して即物的な見方をする。でなければキャバクラなんて店に人が集まるわけがない。己のビール腹は棚に上げ、友達付き合いとは言えども徐々に中年化する同級生に興味は失われていく。
先日は8年ぶりの再会だったが、電気店の前で立ち話をするに留めた。最後に会ったのは俺の離婚前だった。こちらの現在に至る経緯を説明するのも面倒だし、彼女の近況にも興味はない。
メールアドレスも知っているのだ。で、ごくたまにメールが届いても素っ気ない返事をしていた。
「パパ」とは数年前に切れたのは聞いていた。子供はもう18歳になるという。両親や姉夫婦と郊外に家を購入して暮らしているらしい。そんな近況を聞かされ「じゃ、また」と手を振って別れた。夜にはメールが届いた。「そのうち、また」と返信しておいた。
ハワイの時と同様、この広い地上のわずか数メートルの直線上に同時刻に人が並ぶ。
やはり、そこに「縁」を感じずにはいられない。
カレーを諦めて寿司にしなければ、車を走らせる方向を山側にしなければ、それこそ車のアクセルの踏み加減がわずかに異なっただけでも彼女と会うことはないのだ。
ただ今後、俺の方から彼女に積極的にコンタクトを取るつもりはない。よほど気が向かなければ会って食事をしたり酒を飲んだりすることもない。
でも、この偶然の廻り合わせに「何らかの意図」が潜んでいるのかは見届けたい。「単なる偶然」か、それとも「運命の再会」なのか。
全く歓迎はしないが、下手すると赤い糸で結ばれているのかもしれない。
今さら彼女に女としての興味は一切ないのだが、偶然にエレベーター上に並んだ縁の行方には多少なりとも興味がある。
(この文章は数年前に別のブログに上げたものを引用した。彼女とはさらに後日談がある。そのあたりはパート3として書くかもしれない。書かないかもしれない)
ユーミンって、本当に天才だな。俺の中では国内最高のメロディーメーカー。