今月18日に、二度目のセミナーに参加する予定だったが結局行けなくなってしまった。
二回目の様子を含めて書くつもりだったが、それが叶わずに一度だけの体験リポートとなる。


十一月末の雨降る夜、御茶ノ水駅で下車してセミナー会場へと急いだ。
十分ほど遅れて目的地に到着し、こわごわとレンタル会議室の鉄製の扉を開けると明るい室内には想像したより多くの人がいた。五、六十名だと思う。

漢字の「二」のように、部屋の両脇に椅子を並べて中央部分を空けてある。そのスペースに、向かい合わせで椅子が二脚置かれ、一つにカウンセラーの男が座り、話をしていた。

年齢は俺とさして変わらない。休日の開業医、あるいはレストランオーナーのような印象、つまり自営業者特有のムードだ。良く言えば自由堂々とした雰囲気、悪く言えば軽い傲慢さが透けて見える。伸ばした髪には、毛の流れに沿って軽くメッシュが入っていた。

観客は女性が八割を占め、三十代から五十代辺りが中心。これは予想通り。
係りに案内されて空席に腰を下ろすと、周囲の人たちは皆、真剣にセラピストの話に耳を傾け、熱心にメモを取っていた。

俺もノートは持参していたがバッグから出さずに、とりあえず話を聞いた。聞きながら場内を観察した。
ホワイトボードに記された言葉からテーマが窺えた。「心と体調不良の関係」のようだ。

セラピストの話を要約すると
「心と身体の不調は繋がっている。痛みが生じている部位が心へとメッセージを送っていると捉えてみると思わぬ原因が見えてくる」
そんな感じだろうか。
ここまでは特筆すべきこともない、至極当然の話だ。

「痛みの感じる部位、例えば肩こりならば肩が発する声に耳を傾けてみる。何故、痛みを生じさせてるのかを訊ねてみる。そうすると『最近、疲れすぎていませんか?』なんてことに思い至るかもしれない。また、そのメッセージを理解することによって痛みも和らぐ場合がある」

場合によっては、そういうこともあり得るだろう。「病は気から」という言葉だってある。しかし、このところずっと悩まされ続けている俺の激しい歯痛は、たとえ歯ぐきと直接会話できたとしても絶対に収まらない。確信できる。

少し白けた気分でいると「じゃ、ちょっと実際にやってみましょうか」と言ってセラピストは希望者を募った。何人かが手を挙げて、その中から一人が選ばれた。
ふくよかな体型の女性だ。会場の男女比も無視できないが、こういう場で個人的な悩みを洩らしてでも何かを貪欲に得ようとする度胸というか図々しさは女性ならではだろう。

選ばれたその女のどこに不調があったのか。また、それに対してセラピストがどのようなアドバイスをしたのかは覚えていない。記憶に残らない程度の内容だったのだろう。

「~さん」と指名した女を名前で呼んだのを見て、仕込みか、あるいは講座の常連なのかも知れないと踏んだ。そう考えてみて、ふと思い至った。
このセラピーは「プロのセラピスト養成講座」なのだ。だから皆、真剣にノートなんかとっているのだ。

セラピストが次の希望者を募った。
痩せた背の低い女が選ばれ、中央の椅子に腰を下ろした。

女の悩みは
「職場で怖い人間と思われている。皆、自分のデスクの前を下を向いて通る。確かに自分でも怒りっぽい性格だと思う」
というような内容だった。

当人にとっては切実な悩みなのだろう。
もっとおおらかでありたい、人々に好かれる人間でありたいと願うのに、現実はそうはいかない。怒り、悲しみ、妬みといったネガティブな感情に支配されてしまう。

理想と現実のギャップ、これが精神的葛藤を生むというのはセラピストのメールの文面そのままであるし、真実だろう。また、誰もが内面にそうした葛藤からのフラストレーションを抱えているように思う。

セラピストはそんな女の性格、人格を形成するのに意味を持ったであろう過去の出来事に迫った。彼の唱える自己改革の方法は「潜在意識の書き換え」である。

「人は十五歳くらいまでに、それまでの経験を基にして『在るべき自分像』を作り上げる。それが、そのまま生きていく上での指針となる。その勝手に自分で作り上げた信念のようなもの(「ビリーフ」と呼ぶ)を修正することによって自分が自分に課した呪縛から放たれ自由になれる」と説いている。
俺が知りたいのは、その書き換えの方法だった。

セラピストは、まず女の「周囲に認めてもらえない」という自己認識に目をつけた。そうした心理が生じる原因は、遡ってみると「子供の頃、母親に十分に褒めてもらえなかった」ことから生じているようだった。

セラピストは客席から一人の女を呼んだ。おそらく、ざっと見渡した中で一番若いと思われる女だ。セラピストの助手なのかもしれない。

男というのはしょうもない生き物で女の集団を目にすると、その中から最も自分にとって好ましい対象を見出そうとする習性がある。おそらく本能的なもので、それを利用した端的な例が「AKB48」商法だろう。

例に洩れず、俺も他人がシリアスな悩みを打ち明けている場面でも向かいの客席の中から好ましい女を無意識で探していた。そして「最もご一緒したい」と感じたのが、セラピストに呼ばれた女だった。
「いいなぁ、セラピスト・・・。オフィスで、気が向いたらあの女とチョメチョメしているのだろうか?」
下種な勘ぐりをする。

呼ばれた女は母親役をする。幼い頃の悲しい思い出にまで遡った女の横に自分も椅子を置いて座ると、無言のままで、悩める女をやさしく長いこと抱きしめ続けた。

「いいなぁ・・・。これで二千円(講座受講料)なら悪くない」
再び、下種な思いが過ぎる。

母親役の抱きしめによるヒーリングが終わると、今度は彼女の怒りの感情の根っこにある出来事にメスを入れた。小学生時にクラスメートの男子三人から受けたイジメが原因のようだ。

セラピストは彼女の目の前に椅子を三脚並べた。そして、その椅子を自分をイジメた男子三人に重ねるよう促した。
ゆっくりと穏やかに言葉を続けながら、女に「椅子=悪ガキ三人組」というイメージを描かせた上で彼は驚きの行動に出た。

どこから持ち出したのか、彼の手には大きな模造紙を丸めた筒が握られていた。そして、椅子に向かってその紙筒を思い切り振り下ろしたのだった。

パーン、パーン!!
もの凄い音がした。突然響いた音に、セラピストの急変した態度に、場内の誰もが息を飲んだ。
パーン!!ガシャーン!!
引っ叩くだけでは足りないのか、彼は三つ目の椅子を蹴り倒した。
会場は完全に静まり返っていた。

男の俺が驚くほどだ。女性はさらにビックリしたに違いない。精神的にもショックを受けたはずだが、それこそがセラピーなのだろう。生ぬるい慰めの言葉を重ねたところで、そんなものはうわべだけで、人の心の奥底にまで届くはずがない。
「俄然、面白くなってきたぞ」
俺はセラピストのパフォーマンスに引き込まれていた。

その後、どうしてそんな行動をとったのかを穏やかな口調に戻ったセラピストが解説してカウンセリングが終了した。
先のふくよかな女の時よりも大きな拍手が起こった。

二時間のセラピー後、残り三十分はプロフェッショナル養成講座の案内となる。俺は夜勤の仕事があるし、セラピストになるつもりもないのでそこで席を立つことにした。
一人だけ早めに会場を出ると、御茶ノ水駅へと引き返した。

最初はつまらないと感じたが、終わってみると意外と満足感があった。
あれくらいのパフォーマンスを見せてくれないと、わざわざ足を運んだ甲斐がない。

後日、俺はアマゾンでセラピストの本を買ってみた。
そして、もう一度くらいセッションを見てみたいと、翌月に東京で開催される同様の養成講座を再度予約した。

アマゾンから届いた本は一時間もあれば読める程度の内容だったが、何となく潜在意識の変革方法が知れた。

簡単に言うと「自分の潜在意識を別人格として意識して、その別人格から現実の自分を眺めてみる。そして、現実の自分を許す」ということだ。
まだ実際に、本に記された通りに自己改革を実践していないので効果のほどは分からない。

でも、人は心の在り方次第で行動や感情が容易に左右される生き物で、今後はそうした心の在り方がますます重要視される時代になる気がする。あくまでも個人的な感触でしかないが。

職場の同僚であるN氏はアメリカの大学で心理学を専攻していた。その彼に聞いた話では「薬を出せるか、出せないかが大きい。心療内科と違って、心理カウンセラーなんて儲からない」とのことだった。

二千円という受講料は、レンタル会議室の使用料、自分の交通費やスタッフの手間賃も考えるとさして儲かる額ではない。今回のセッションはプロになりたい人々を45万/10日間で養成する本講座への導入でしかないのだ。それでも、俺のように好奇心のみで知らない世界を覗きたがる人間にはなかなかに面白い内容であった。

2014年度のアマゾンでの書籍売り上げ1位は自己啓発本である。
そうした事実が、多くの人々が物理的にではなく精神的な充足を求めていることを物語っているようだ。

では、メリークリスマス。