「根本的な才能とは、自分に何か出来ると信じること」とレノンは語った。
その通りだと思う。
まずは自分の可能性を肯定し、自信を持ち、信念とする。それがなければ何も始まらない。
例えば、プロ野球選手になりたいと本気で願う子供がいるとしよう。彼が何故にプロ野球選手を目指したのかは分からない。周囲の子供と比べて少し野球が上手だったとか、あるいは父親が熱狂的なタイガースファンとか。単純な憧れだけかもしれないし、動機は何でも構わない。
当然、少年野球に夢中になり、中学に進学すれば野球部に入る。ひょっとすると高校は地元の野球強豪校へ進むかもしれない。
だが、そんな彼が十年後に、本当にプロ野球選手になっている可能性は極めて低い。
言い方を替えれば、プロになんか滅多になれない。なれるわけがない。
だからと言って、最初から諦めてしまえば夢の実現への微々たる可能性を捨てることになる。
夢を諦めなかった人がプロになる。でも夢を抱き続けた人々の中で、それを実現できるのはほんの一握りでしかないのだ。
この線引きが難しいものだ。いつ現実を受け入れて、長い間、目標にしてきた夢を諦めるか。
思い入れの強い分だけ、ある程度の実力が備わっている分だけ、諦めは悪くなるのかもしれない。
極端な例を挙げたが、誰だって心の中に捨てきれない願望がきっと残っている。
それが具体的ではないとしても「このまま終わりたくない」とか、「きっと自分はもっと変われるはずだ」といった漠然とした理想の自己実現への欲求があると思う。
俺にもある。いまだにある。
というか、ここにきて自己変革への欲求がますます強くなっている。おそらくは年齢的に人生の残りがぼんやりと見え始めたからなのかもしれない。
そこで思うのだ。
「別に変わらなくてもいい。今のままでもいいや」って思えれば、随分と気が楽なのに、と。
日頃、そんなことを考えている最中に気になるタイトルのメールが届いた。
差出人は数年前にヒプノセラピーに興味を持った時、メルマガ登録をしていた心理カウンセラーからだった。
結局、ヒプノセラピーは受けずに終わった。だって高いんだもん。三万くらいするんだぜ?
ただの興味本位だけで、得体の知れない初対面のセラピストに高額を支払って催眠術をかけてもらうなんてイカレてるだろ?
ま、とにかく届いたメールは以下の通りだ。
:::::::::::::::::::::::::::::::::
題「変わりたい人は変われない」
「変わりたい人は変われない」とはどういうことでしょうか?
●自分に自信のない人が、資格を取ったり、大きな目標達成を目論むなどして、自信の無さの払拭を試みる
●あがり症の人が「このままの自分ではダメだ」との思いから、人前でリラックスして話すためのトレーニングに通い始めた
●自分のことを暗い性格、後ろ向きの性格だと思っている人が、無理に明るく振る舞い性格を変えようとしている
・・・・・等など。
こうした「自分を変える努力」は非常に高い確率で失敗に終わる、ということです。
なぜでしょうか?
カウンセリングでは、クライエントは「自分を変えたい」との思いからセラピストのもとを訪れます。
すると、そのクライアントの要望をセラピストは正当な目的として受け入れ、セラピストはあらゆる知識や技術を動員してクライエントの悩み、問題の解決を試みます。
しかしながら、そうしたクライアントとセラピストによる両者の努力はクライアントの心の中に大きな葛藤を生み出す結果となります。
すなわち、「変われないダメな自分(アンダードッグ:負け犬)」と
そんなダメな自分を否定し、「変わるべきだと正論を主張する自分(トップドッグ:勝ち犬)」とが心の中で激しく対立するからです。
「変われないダメな自分」とそんなダメな自分を否定・非難する「変わりたい自分」との間の葛藤状態に入ってしまうと、苦しいばかりで、悩みや問題を解決することも、自分を変えることもままなりません。
次回の「ビリーフチェンジ入門講座」のテーマは、『変わりたい人は変われない』です。
「変わりたいけど、変われない」の罠から抜け出す方法についてお話しいたします。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::
こいつは面白いと思った。
普通、こうした心理カウンセリングでは「貴方は確実に変われますよ」と大げさに謳うのが一般的だろう。誰しもが自分を変えたいと思ってセラピーを受けるのだから。そこを「変われない」と言い切るところが俺の好奇心を刺激した。
また上記にある「トップドッグ」と「アンダードッグ」という概念、つまり自分の内面に相反して存在する二面性が葛藤を生むとの説明にも合点がいく。
さて、その葛藤をどう処理するのだろう?ネットで調べてみると「センタリング」と呼ばれる「二面性の中間点、いわゆる落しどころ」を探すようだ。
でも、どうやって?また、どこをもって中間とするの?
一旦、興味を持つと覗いてみないと気が済まない性分である。
俺は上記の「入門講座」を申し込んでみることにした。で、平日の雨が降る夜、出勤前にわざわざ怪しげなセミナーを受けに出かけていった。
続きは、また後日。
また、そのセラピストはアメブロやっているようなので名前を出すのは差し控えます。
その通りだと思う。
まずは自分の可能性を肯定し、自信を持ち、信念とする。それがなければ何も始まらない。
例えば、プロ野球選手になりたいと本気で願う子供がいるとしよう。彼が何故にプロ野球選手を目指したのかは分からない。周囲の子供と比べて少し野球が上手だったとか、あるいは父親が熱狂的なタイガースファンとか。単純な憧れだけかもしれないし、動機は何でも構わない。
当然、少年野球に夢中になり、中学に進学すれば野球部に入る。ひょっとすると高校は地元の野球強豪校へ進むかもしれない。
だが、そんな彼が十年後に、本当にプロ野球選手になっている可能性は極めて低い。
言い方を替えれば、プロになんか滅多になれない。なれるわけがない。
だからと言って、最初から諦めてしまえば夢の実現への微々たる可能性を捨てることになる。
夢を諦めなかった人がプロになる。でも夢を抱き続けた人々の中で、それを実現できるのはほんの一握りでしかないのだ。
この線引きが難しいものだ。いつ現実を受け入れて、長い間、目標にしてきた夢を諦めるか。
思い入れの強い分だけ、ある程度の実力が備わっている分だけ、諦めは悪くなるのかもしれない。
極端な例を挙げたが、誰だって心の中に捨てきれない願望がきっと残っている。
それが具体的ではないとしても「このまま終わりたくない」とか、「きっと自分はもっと変われるはずだ」といった漠然とした理想の自己実現への欲求があると思う。
俺にもある。いまだにある。
というか、ここにきて自己変革への欲求がますます強くなっている。おそらくは年齢的に人生の残りがぼんやりと見え始めたからなのかもしれない。
そこで思うのだ。
「別に変わらなくてもいい。今のままでもいいや」って思えれば、随分と気が楽なのに、と。
日頃、そんなことを考えている最中に気になるタイトルのメールが届いた。
差出人は数年前にヒプノセラピーに興味を持った時、メルマガ登録をしていた心理カウンセラーからだった。
結局、ヒプノセラピーは受けずに終わった。だって高いんだもん。三万くらいするんだぜ?
ただの興味本位だけで、得体の知れない初対面のセラピストに高額を支払って催眠術をかけてもらうなんてイカレてるだろ?
ま、とにかく届いたメールは以下の通りだ。
:::::::::::::::::::::::::::::::::
題「変わりたい人は変われない」
「変わりたい人は変われない」とはどういうことでしょうか?
●自分に自信のない人が、資格を取ったり、大きな目標達成を目論むなどして、自信の無さの払拭を試みる
●あがり症の人が「このままの自分ではダメだ」との思いから、人前でリラックスして話すためのトレーニングに通い始めた
●自分のことを暗い性格、後ろ向きの性格だと思っている人が、無理に明るく振る舞い性格を変えようとしている
・・・・・等など。
こうした「自分を変える努力」は非常に高い確率で失敗に終わる、ということです。
なぜでしょうか?
カウンセリングでは、クライエントは「自分を変えたい」との思いからセラピストのもとを訪れます。
すると、そのクライアントの要望をセラピストは正当な目的として受け入れ、セラピストはあらゆる知識や技術を動員してクライエントの悩み、問題の解決を試みます。
しかしながら、そうしたクライアントとセラピストによる両者の努力はクライアントの心の中に大きな葛藤を生み出す結果となります。
すなわち、「変われないダメな自分(アンダードッグ:負け犬)」と
そんなダメな自分を否定し、「変わるべきだと正論を主張する自分(トップドッグ:勝ち犬)」とが心の中で激しく対立するからです。
「変われないダメな自分」とそんなダメな自分を否定・非難する「変わりたい自分」との間の葛藤状態に入ってしまうと、苦しいばかりで、悩みや問題を解決することも、自分を変えることもままなりません。
次回の「ビリーフチェンジ入門講座」のテーマは、『変わりたい人は変われない』です。
「変わりたいけど、変われない」の罠から抜け出す方法についてお話しいたします。
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こいつは面白いと思った。
普通、こうした心理カウンセリングでは「貴方は確実に変われますよ」と大げさに謳うのが一般的だろう。誰しもが自分を変えたいと思ってセラピーを受けるのだから。そこを「変われない」と言い切るところが俺の好奇心を刺激した。
また上記にある「トップドッグ」と「アンダードッグ」という概念、つまり自分の内面に相反して存在する二面性が葛藤を生むとの説明にも合点がいく。
さて、その葛藤をどう処理するのだろう?ネットで調べてみると「センタリング」と呼ばれる「二面性の中間点、いわゆる落しどころ」を探すようだ。
でも、どうやって?また、どこをもって中間とするの?
一旦、興味を持つと覗いてみないと気が済まない性分である。
俺は上記の「入門講座」を申し込んでみることにした。で、平日の雨が降る夜、出勤前にわざわざ怪しげなセミナーを受けに出かけていった。
続きは、また後日。
また、そのセラピストはアメブロやっているようなので名前を出すのは差し控えます。