母の誕生日プレゼントにお菓子でも買おうと残業上がりにららぽーとに寄ってクッキーやマドレーヌの詰め合わせを選んだ。先月の父の誕生日にウィスキーをあげたので、公平さを期すためである。
多くの店舗が並ぶショッピングモールだが個人的に欲しい物は一つもなかった。というか、興味が湧かない。服も、帽子も、靴も、ひとまずは飽和状態なんだな。
それに、若い頃のように格好つけてみたところで、所詮は冴えない中年オヤジだ。ほとんどの店を素通りして唯一魅かれて入ったのは九州・沖縄の物産店だった。
そういえば先日、職場の同僚三人で喫煙所で一服する中、俺を除いた二人が「ヴィレッジ・ヴァンガードって面白いですよね。何時間居ても飽きない」と口を揃えて熱く語られ「Fさんだって、あーいうの、好きじゃないですか?」と同意を求められたが素直に「うん」と首を縦に振る気にもなれず「うーん」と適当に呻っただけだった。
俺が通った御茶ノ水の大学近くには「ガラクタ貿易」という「ヴィレッジ~」よりもさらにエッジの効いた雑貨店があって頻繁に覗いたものだが、それとて二十年以上前の話で、当時はカウンターで「ネットください」というとマリファナパイプ用の目の細かな円形の鉄網を出してくれたし、ガラスケースの中には水パイプやラッシュなんかも並んでいて、ちょっとした「ヘッドショップ」的な趣があった。いかがわしくて、怪しげで、ずっとイケていたのだ。
それに比べるとイオンモールなんかに出店している今の「ヴィレッジ~」の品揃えなんてのはティーン向けにしか思えず、センスは嫌いではないけれど基本的に無害かつ安心安全な商品ばかりだし、また50近くなって今さら可愛い雑貨類を自分用に買う気には、さらさらなれない。
さて、同僚と話す中で、ふと「自分にとって魅力的な店って何だろうな?」と考えを巡らせてみると何故だか思い浮かんだのは楽器屋でもCDショップでもない、デパートなどで期間限定で催される物産展の様子だった。そして想像通りに、数百店が軒を連ねるららぽーとで気になって入店したのは九州・沖縄地方のアンテナショップのみ。
物珍しい食品や調味料を眺めて歩くのは楽しい。しかし結局、購入したのは「うまかっちゃん」という、とんこつ味の袋ラーメンだけだった。何だかんだ言っても、その程度である。
プレゼントのクッキーと「うまかっちゃん」の袋を提げて、11時を回ったので「げんかつ」というとんかつ屋に入った。重ねた薄い豚肉を柔らかく揚げてあり、実に美味しい。少しばかり早い昼食を取ってから帰宅して寝た。休みだったので目覚ましをかけずに快眠した。
夕方、携帯の着信音で目覚めて、充電器とケーブルで繋がれたスマホを枕元に手繰り寄せると娘からのLINEで、滑り止めの大学に合格したと記されていた。
通称「大東亜帝国」と呼ばれるレベルの私大だが、ひとまずこれで現役での大学進学が決まったわけだ。あとは今月末に受ける「日東駒専」レベルの結果次第。どちらに決まろうと、女の子だし、楽しい大学生活を送ってくれれば十分。俺には、これから学費工面の問題が振りかかるわけだが、今年は年に一度の長期休暇も申請ぜず、恒例の海外旅行もあきらめて金を貯めてきたので何とかなるはずだ。先のブログにも記したように、下劣かつ無責任な理由で離婚した男の、親としての最低限の責任と考えている。
「大学って、こんなに簡単に入れると思わなかった」と娘からのLINEにはあった。しかし、本来はそう簡単ではない。娘だって一般受験では今回の滑り止めにすら合格できなかっただろう。
都内唯一の私立商業高校に進学した娘だが、高三の今日まで無遅刻無欠席を貫き、それこそ足を骨折しても松葉杖で登校した。また部活ではバド部のキャプテンを務め、毎朝5時に家を出て朝錬にも通い続けた。定期試験だって、それなりの結果を出してきたのだろう。そうした積み重ねがあったからこそ推薦枠がもらえたのだ。
だから「いや、簡単じゃないよ」と返信した。上記の内容に触れ、日々の努力が報われたのだと褒めてあげた。ただ、これから一般受験をする周囲の友達には寒くて、辛くて、厳しい季節が訪れる。そういう仲間への気遣いを忘れるな、と諭しておいた。
偉そうなことを娘に述べながら、自分自身を振り返ると実に不甲斐ない親父だと自覚する。そんなダメ人間がダメ人生の中で最底辺を味わった数年間の恥辱にまみれた日々を「ホワイトアルバム」という題名をつけて、まとめようとしているのだ。これを娘が読んだら、どう思うだろう。先に書いた1、2の段階はピークだ。どういう意味かと言うと、離婚が成立したあたりは遊ぶ金にも余裕があって、生活も気分的にも楽しかったのだ。以降、ひたすら転落の一途を辿る。
恥ずかしいだけの、言い換えれば「他人には言えない話」だが、そんな話こそ他人からすれば面白いのもよく分かっている。ただ、それをわざわざこの場に晒す必要があるのかとの疑問は生じてくる。
また一旦、ネット上に晒してしまえば写真でもテキストでも手の届かないところまでコピペされ拡散される可能性を孕む。それを覚悟してまで己の恥ずべき過去の悪行を語るのかという問題だ。また暗く哀しい時期のことを思い出すのは精神的にも楽ではない。
ただ、書こうと決めた理由は一つ。これをきっかけに着手しなければ、おそらくこの先、この物語に手を入れて完成させることはないだろうと感じるからだ。
最近、よく思うのは「死」についてである。「死にたい」とか「死にたくない」ではなく「いつの日か、必ず死ぬんだよなぁ」という漠然とした自覚が芽生ている。そういう年頃なのだ。
この世から消えてしまう前に、自分の暗黒時代をまとめ上げておくのも悪くない。どれだけの人の目に触れるかは俺には関係ない。個人的に重要なのは完成させるか否かだけである。
そんなわけで休みなので、これから校正して第二弾をアップしようと思う。
本文は限定公開にするから、読みたければその時に申請してください。
最近、車の中では延々と「ゴルトベルク変奏曲」。55年録音よりも81年の方が好きだ。
多くの店舗が並ぶショッピングモールだが個人的に欲しい物は一つもなかった。というか、興味が湧かない。服も、帽子も、靴も、ひとまずは飽和状態なんだな。
それに、若い頃のように格好つけてみたところで、所詮は冴えない中年オヤジだ。ほとんどの店を素通りして唯一魅かれて入ったのは九州・沖縄の物産店だった。
そういえば先日、職場の同僚三人で喫煙所で一服する中、俺を除いた二人が「ヴィレッジ・ヴァンガードって面白いですよね。何時間居ても飽きない」と口を揃えて熱く語られ「Fさんだって、あーいうの、好きじゃないですか?」と同意を求められたが素直に「うん」と首を縦に振る気にもなれず「うーん」と適当に呻っただけだった。
俺が通った御茶ノ水の大学近くには「ガラクタ貿易」という「ヴィレッジ~」よりもさらにエッジの効いた雑貨店があって頻繁に覗いたものだが、それとて二十年以上前の話で、当時はカウンターで「ネットください」というとマリファナパイプ用の目の細かな円形の鉄網を出してくれたし、ガラスケースの中には水パイプやラッシュなんかも並んでいて、ちょっとした「ヘッドショップ」的な趣があった。いかがわしくて、怪しげで、ずっとイケていたのだ。
それに比べるとイオンモールなんかに出店している今の「ヴィレッジ~」の品揃えなんてのはティーン向けにしか思えず、センスは嫌いではないけれど基本的に無害かつ安心安全な商品ばかりだし、また50近くなって今さら可愛い雑貨類を自分用に買う気には、さらさらなれない。
さて、同僚と話す中で、ふと「自分にとって魅力的な店って何だろうな?」と考えを巡らせてみると何故だか思い浮かんだのは楽器屋でもCDショップでもない、デパートなどで期間限定で催される物産展の様子だった。そして想像通りに、数百店が軒を連ねるららぽーとで気になって入店したのは九州・沖縄地方のアンテナショップのみ。
物珍しい食品や調味料を眺めて歩くのは楽しい。しかし結局、購入したのは「うまかっちゃん」という、とんこつ味の袋ラーメンだけだった。何だかんだ言っても、その程度である。
プレゼントのクッキーと「うまかっちゃん」の袋を提げて、11時を回ったので「げんかつ」というとんかつ屋に入った。重ねた薄い豚肉を柔らかく揚げてあり、実に美味しい。少しばかり早い昼食を取ってから帰宅して寝た。休みだったので目覚ましをかけずに快眠した。
夕方、携帯の着信音で目覚めて、充電器とケーブルで繋がれたスマホを枕元に手繰り寄せると娘からのLINEで、滑り止めの大学に合格したと記されていた。
通称「大東亜帝国」と呼ばれるレベルの私大だが、ひとまずこれで現役での大学進学が決まったわけだ。あとは今月末に受ける「日東駒専」レベルの結果次第。どちらに決まろうと、女の子だし、楽しい大学生活を送ってくれれば十分。俺には、これから学費工面の問題が振りかかるわけだが、今年は年に一度の長期休暇も申請ぜず、恒例の海外旅行もあきらめて金を貯めてきたので何とかなるはずだ。先のブログにも記したように、下劣かつ無責任な理由で離婚した男の、親としての最低限の責任と考えている。
「大学って、こんなに簡単に入れると思わなかった」と娘からのLINEにはあった。しかし、本来はそう簡単ではない。娘だって一般受験では今回の滑り止めにすら合格できなかっただろう。
都内唯一の私立商業高校に進学した娘だが、高三の今日まで無遅刻無欠席を貫き、それこそ足を骨折しても松葉杖で登校した。また部活ではバド部のキャプテンを務め、毎朝5時に家を出て朝錬にも通い続けた。定期試験だって、それなりの結果を出してきたのだろう。そうした積み重ねがあったからこそ推薦枠がもらえたのだ。
だから「いや、簡単じゃないよ」と返信した。上記の内容に触れ、日々の努力が報われたのだと褒めてあげた。ただ、これから一般受験をする周囲の友達には寒くて、辛くて、厳しい季節が訪れる。そういう仲間への気遣いを忘れるな、と諭しておいた。
偉そうなことを娘に述べながら、自分自身を振り返ると実に不甲斐ない親父だと自覚する。そんなダメ人間がダメ人生の中で最底辺を味わった数年間の恥辱にまみれた日々を「ホワイトアルバム」という題名をつけて、まとめようとしているのだ。これを娘が読んだら、どう思うだろう。先に書いた1、2の段階はピークだ。どういう意味かと言うと、離婚が成立したあたりは遊ぶ金にも余裕があって、生活も気分的にも楽しかったのだ。以降、ひたすら転落の一途を辿る。
恥ずかしいだけの、言い換えれば「他人には言えない話」だが、そんな話こそ他人からすれば面白いのもよく分かっている。ただ、それをわざわざこの場に晒す必要があるのかとの疑問は生じてくる。
また一旦、ネット上に晒してしまえば写真でもテキストでも手の届かないところまでコピペされ拡散される可能性を孕む。それを覚悟してまで己の恥ずべき過去の悪行を語るのかという問題だ。また暗く哀しい時期のことを思い出すのは精神的にも楽ではない。
ただ、書こうと決めた理由は一つ。これをきっかけに着手しなければ、おそらくこの先、この物語に手を入れて完成させることはないだろうと感じるからだ。
最近、よく思うのは「死」についてである。「死にたい」とか「死にたくない」ではなく「いつの日か、必ず死ぬんだよなぁ」という漠然とした自覚が芽生ている。そういう年頃なのだ。
この世から消えてしまう前に、自分の暗黒時代をまとめ上げておくのも悪くない。どれだけの人の目に触れるかは俺には関係ない。個人的に重要なのは完成させるか否かだけである。
そんなわけで休みなので、これから校正して第二弾をアップしようと思う。
本文は限定公開にするから、読みたければその時に申請してください。
最近、車の中では延々と「ゴルトベルク変奏曲」。55年録音よりも81年の方が好きだ。