Q:宝くじで3億円当たったら、何に使う?

A:俺なら山の中に家を建てる。

Q:家が火事になって一つだけ持って逃げるなら何を持って逃げる?

A:赤いセミアコのギター買ったんだけど、それ持って逃げるね。

職場の喫煙室で仲間との談笑中に自分がそう答えたのをはっきりと覚えている。


半年前、偶然に仲間と入ったメイド喫茶で同じ質問に全く同じ答えを返す女の子と出会った。
俺にはどうしても「ただの偶然」とは思えなかった。

「この女の子との出会いは、絶対に何か意味があるに違いない」

そう確信した俺は、彼女の出勤日には必ず、他の用事でもない限り、つまりどうしても行けない場合を除いては百パーセントの確率で、店に通った。ちなみに一人の女の子目当てに、これほど同じ店に通い続けた経験はない。個人的には人生初である。それだけインパクトのある出来事だった。正確に数えてはいないが、来店回数は二十回を超えているはずだ。

ただ、指名制度のないメイド喫茶なので思い通りにいかないことも多い。例えば車での通勤路で赤信号ばかりに引っ掛かる日があり、逆に交差点もノンストップで次々に青信号をつっ走れるケースがあるのと同様に、店通いにおいても運が悪ければ会話らしい会話も出来ないまま帰る日もあり、ツイている時は長々と話をすることが出来た。

先月は酷かった。第一週は三時間ほど居て話せたのは一時間未満、第二週はお休みで、第三週はせっかく出向いたのに一時間ほどで彼女は帰ってしまった。第四週は言葉を交わしたのは一瞬のみである。さすがに、こういう事例が続くと「それでも店に通う意味があるのか?」と自分に問うことになる。
そこで出た結論は「これ以上、店に顔を出しても、そしてカウンター越しに話をしても、何がどうなるわけでもない」というものだった。

最初は三ヶ月だけ通うつもりだった。それが半年まで伸びたのは、性急に結論を出すのはもったいないと思えたからだ。それだけ彼女は俺にとっては魅力的であり、また似ている部分も多く、容易に手放せなかったのである。

店へと通う理由は何なのか。もちろん最も美しい年頃だし、ルックスだって可愛い。女性として充分に魅力的ではある。だからといって「口説いてやろう」とか「肉体関係へ持ち込もう」という腹積もりもなかった。ゼロと言えば嘘になるが、俺は住所や連絡先など一切知らないし、聞き出そうとしたこともない。

それでも彼女に対する愛は多分にある。家族や友人、あるいはバンド仲間や職場の同僚など近しい相手を除いて、つまり赤の他人の中では、おそらく一、二を争うレベルの思い入れだろうと自負している。本当に困っているならば腎臓の一つもあげたいくらいだ。

そうした個人的な感情移入、あるいは足繁く店に通う自分を客観視してみて、一体、何故にここまで彼女に拘るのかを冷静に己に問うた時、当てはまる最も相応しい言葉は「信仰」だった。
神を信じて神社へとお参りする信者の如く、俺は自らの内に湧いた根拠のない運命論(あるいは直感)を信じて秋葉原へと通っていたわけである。

昨日、彼女のブログが更新され、今月限りで店を辞めることが明かされた。「もう店に行くのを止めようかな」と考えていた矢先だったが「逆に、店に行っても彼女が居ない」という状況になるのを考えると少なからず動揺はある。だって半年間、ほぼ毎週、彼女に会うためだけに全く興味のない店に通い続けたのだから。ただ一方では、それでいいと思えるのも事実だ。

理由は先にも記したように「店の女の子とお客さん」という関係である以上、何も生まれないであろうことが薄々、実感されていたからだ。個人情報の漏洩や客とのプライベートな繋がりを徹底的にシャットアウトするのが店の方針らしく、そうした状況下では何の発展性も望めない。だから、そこから離れてみるべきだと言うのが俺の結論でもあった。

もちろん今後、何かしらの関係性を維持することを彼女に強要するつもりはない。したがって彼女側に俺と繋がるメリットが感じられなければ、それまでである。ザッツオール、それまでの縁でしかなかったと諦めるより他にない。

このブログでも、FBでも、以前に残したメールアドレスでも、彼女が俺と連絡を取ろうと思えば方法はいくらでもある。そのために俺は偽名を避けて店のカードにもあえて本名を記してきた。また、彼女を店の源氏名で呼ぶことも殆どしなかった。あえて「君」と呼んだ。そこには黄色いメイド服でカウンターに立つ店の女の子ではなく、その中身であるリアルな本人にしか当初から興味がないとする俺の隠れた意思があった。

彼女が店を辞めて個人的な連絡が可能になったとして、では一体何がしたいのかと問われれば俺にも正直、よく分からない。でも何か美味いものを食わしてあげたり、一緒に酒を飲んだり、一度くらいはスタジオで一緒にギターでも弾ければ楽しいだろうな、とは考えている。で、依然として正体不明ではあるのだか、やはり何かしらの出会った意味を探ってみたい。俺の思惑ではコンビネーションによってもたらされる幸福追求の鍵が必ず潜んでいる。

もう二度と会うことがなくなったとしても、それはそれでいい。この半年間、彼女に出会ったことで、いろんな想像が俺の頭を巡り、いろんな思いが胸に去来した。気分が高揚する日もあれば、ネガティブで惨めに思える日もあった。でも概して実に楽しい日々だったことだけはちゃんと伝えておきたい。

この曲が、俺が秋葉原通いをした日々を象徴している。何年経ってもこの曲を聴けば、東船橋で車を止め、総武線に乗って秋葉原まで行き、昭和通り口で降りて信号を渡る時の気持ちが蘇るに違いない。





今度の日曜はBBQの予定があるが、早めに抜け出して店に顔を出すつもりでいる。