誕生日に娘からお祝いメールが届く。
そこには期末テストで、苦手としている英語でクラス内最高得点をマークしたことが記されていた。もちろん当人が勉強に励んだからではない。前夜に俺が行った直前講習、「エーデルワイス学習法」が功を奏したのである。
当然「お前のクラスって、どういうレベルなんだ?」という疑問は残るが、わざわざ睡眠時間を削って仕事前に勉強を教えに出向いた甲斐はあったと、予想以上の成果に俺も満足している。

ふと気が向いて谷崎潤一郎の「痴人の愛」を読み返してみた。過去に何度か読んではいるが、久々にページをめくると面白くて止まらなくなり、結局は昼から夕方にかけて読み通してしまった。大正の頃に書かれたストーリーが、文体や言葉遣いはさておき、現代の読者にもリアリティを持って伝わるのって凄いことだと思う。
俺の場合、主人公に最近の自分を重ねてみたかったわけだが、ナオミの悪女ぶりにはやはり気圧されてしまい、妙に感心して読み終えるだけとなってしまった。

自分を重ねるといえば、同じようにシンパシーを覚えた作品に星新一の「おのぞみの結末」という短編があって、これは中学生くらいに読んだので大人になってから読み返すとあまりに単純ではあったものの「メロンライスにガムライス」という符丁で仲間と通じ合う瞬間のフィット感は数ヶ月前に俺が感じたものに近い。
誰が何と言おうと、依然として俺には揺るぎようのない確信があるのだが、どう物語が展開していくにしろ本編同様に障害のようなものは立ちはだかってくるわけで・・・。

その一つが指名制を持たない店のシステムであり、当人に責任がない事は十分に知りつつも、開店直後に入ったにも関わらず当人と言葉を交わすまでに「2時間待ち」というのはあまりに長いわけで、いい大人がその健全な店側のポリシーに従う上で強いられる「お預け状態」はある種の屈辱であり、さすがにダルいのである。

「だったら俺がバイト料払うから。この店の5倍払うからさ。さらっとお茶でも付き合えよ」と喉元まで出かかるのを我慢しながら、カウンター席で「全くのぞんでない娘」が作るオリジナルカクテルの尋常ではない甘さに気が遠くなっていくのでした。




開店早々に行く。行くけどレフトサイド(喫煙側)に居てくれない?無理かなぁ?
他の娘と楽しそうに会話しているように見えるかもしれないけど、大人だからそう振舞ってはいるけど、当初から話す通り、俺は君以外には興味の欠片もない。
女の子にも、店自体にも。
わがまま言うようだけど、そうしてもらえると助かります。