ジョン・レノンの直筆原稿が合計3億円で落札されたニュースを読んで、殺されてから三十年以上経った今でも高い人気を誇っていることに驚いているわけだが、その中にあったフィル・スペクターに宛てた葉書が実に興味深い。
そこには「失われた週末」と呼ばれるヨーコ・オノとの別離期間を共に過ごした悪友のキース・ムーンとハリー・ニルソンがスタジオのコンソールに小便をしたことが綴られていて、半ば自棄になっていたジョンからしてもキース・ムーンってのは別格の悪ノリ野郎だったことが窺える。
一緒につるんでいながら、その過ぎた悪戯にジョンも手を焼いていたのだ。赤いペン字で記された文の内容から、ジョンの常識人的な側面が垣間見える。
1970年代半ば、ヨーコと別れたジョンはL.A.で上記の2名やリンゴ・スターなどと遊び呆けていた。その時期を「失われた週末」と呼んでいるのだが、どれほどクレイジーだったかは面子から想像できる。キース・ムーンは言わずと知れたバンド「ザ・フー」のドラマーで、そのオリジナリティ溢れる傍若無人なプレイスタイルは多くのロックファンを魅了した。その後、割とすぐにドラッグの過剰摂取でこの世を去っている。
ハリー・ニルソンはアメリカのNY出身のシンガーソングライター。デビューはビートルズよりも遅いが、ほぼ同年代である。ビートルズのカバー曲も含むニルソンのデビューアルバムを聴いたジョン・レノンは興奮して、当時はまだ知人でもないニルソン本人に直接電話をかけて「お前のアルバム、すげーよ」と言ったのは有名な話だ。その後、二人は親交を深め、「プシーキャット」というニルソンのアルバムをジョンがプロデュースしたりもしている。
ジョンがニルソンを気に入った以上に、ニルソンにとってもジョンは憧れの存在であり、一緒に居たいがために深酒を続けた結果、喉を痛めてしまい、この「失われた週末」でニルソンは持ち合わせていた伸びやかで美しいハイトーンが出なくなってしまった。俺はニルソンフリークでもあるため、彼のアルバムは全て所有しているが、この70年代中期を境にして、その前後では歌声に違いがあるのは明らかである。
さて、そもそも何故にヨーコと別れたかであるが、応援していたアメリカ大統領候補が選挙で敗れた夜に酒を飲みすぎたジョンが、ヨーコが同席していたにも関わらず取り巻きの女をトイレに連れ込んでファックしたのが原因で、酔いが覚めてから土下座して謝ったが許してもらえず、のべつまくなしに二人で過ごした関係を見なおすべく別離を決めたのである。
自分じゃ何も出来ないジョンのために、ヨーコは身の回りの世話をする女を一人あてがって家から放り出した。ビートルズ結成時より妻子持ちだったジョンは久しぶりに訪れた自由気ままな独身気分を謳歌するつもりでいたが、実際にはヨーコへの想いが募るばかりで、ついに寂しさに耐え切れなくなってニューヨークへと戻るのだ。
その頃にレコーディングしたのが「ロックンロール」というタイトルの、全編カバーのアルバムで、その収録曲としてベン・E・キングの「スタンド・バイ・ミー」がある。
ジョンという人は「変わり者」と呼ばれながらも実は非常に率直な性格であり、露骨なまでに己の感情を顕在化させてしまうのだが、そこが強力な魅力の一つにもなっている。
この曲でもヨーコへの募る想いが痛いくらいに伝わってくる。
おそらく世界中で最も多くの信者を抱えるスターは、いまだにジョン・レノンなのだろう。
そして俺にとっても絶対に変わることのないNo.1ヒーローであり続けている。
そこには「失われた週末」と呼ばれるヨーコ・オノとの別離期間を共に過ごした悪友のキース・ムーンとハリー・ニルソンがスタジオのコンソールに小便をしたことが綴られていて、半ば自棄になっていたジョンからしてもキース・ムーンってのは別格の悪ノリ野郎だったことが窺える。
一緒につるんでいながら、その過ぎた悪戯にジョンも手を焼いていたのだ。赤いペン字で記された文の内容から、ジョンの常識人的な側面が垣間見える。
1970年代半ば、ヨーコと別れたジョンはL.A.で上記の2名やリンゴ・スターなどと遊び呆けていた。その時期を「失われた週末」と呼んでいるのだが、どれほどクレイジーだったかは面子から想像できる。キース・ムーンは言わずと知れたバンド「ザ・フー」のドラマーで、そのオリジナリティ溢れる傍若無人なプレイスタイルは多くのロックファンを魅了した。その後、割とすぐにドラッグの過剰摂取でこの世を去っている。
ハリー・ニルソンはアメリカのNY出身のシンガーソングライター。デビューはビートルズよりも遅いが、ほぼ同年代である。ビートルズのカバー曲も含むニルソンのデビューアルバムを聴いたジョン・レノンは興奮して、当時はまだ知人でもないニルソン本人に直接電話をかけて「お前のアルバム、すげーよ」と言ったのは有名な話だ。その後、二人は親交を深め、「プシーキャット」というニルソンのアルバムをジョンがプロデュースしたりもしている。
ジョンがニルソンを気に入った以上に、ニルソンにとってもジョンは憧れの存在であり、一緒に居たいがために深酒を続けた結果、喉を痛めてしまい、この「失われた週末」でニルソンは持ち合わせていた伸びやかで美しいハイトーンが出なくなってしまった。俺はニルソンフリークでもあるため、彼のアルバムは全て所有しているが、この70年代中期を境にして、その前後では歌声に違いがあるのは明らかである。
さて、そもそも何故にヨーコと別れたかであるが、応援していたアメリカ大統領候補が選挙で敗れた夜に酒を飲みすぎたジョンが、ヨーコが同席していたにも関わらず取り巻きの女をトイレに連れ込んでファックしたのが原因で、酔いが覚めてから土下座して謝ったが許してもらえず、のべつまくなしに二人で過ごした関係を見なおすべく別離を決めたのである。
自分じゃ何も出来ないジョンのために、ヨーコは身の回りの世話をする女を一人あてがって家から放り出した。ビートルズ結成時より妻子持ちだったジョンは久しぶりに訪れた自由気ままな独身気分を謳歌するつもりでいたが、実際にはヨーコへの想いが募るばかりで、ついに寂しさに耐え切れなくなってニューヨークへと戻るのだ。
その頃にレコーディングしたのが「ロックンロール」というタイトルの、全編カバーのアルバムで、その収録曲としてベン・E・キングの「スタンド・バイ・ミー」がある。
ジョンという人は「変わり者」と呼ばれながらも実は非常に率直な性格であり、露骨なまでに己の感情を顕在化させてしまうのだが、そこが強力な魅力の一つにもなっている。
この曲でもヨーコへの募る想いが痛いくらいに伝わってくる。
おそらく世界中で最も多くの信者を抱えるスターは、いまだにジョン・レノンなのだろう。
そして俺にとっても絶対に変わることのないNo.1ヒーローであり続けている。