以前、「数字に支配される男」の物語を書こうと思いついたことがありました。簡単にあらすじを説明しますと、一人の中年男性が何の気なしに数字を選んで買ったロトが大当たりする場面から始まります。大金を手にした男は予備知識もないままに「自分にまつわる数字」や「ふいに頭をよぎった数字」を頼りにギャンブルや投資を行い、ことごとく的中させて、あれよあれよと言う間に資産を増やします。

生活環境が様変わりします。女にモテまくります。湯水のように金を使います。そのようにしてつかの間、この世の春を味わうのですが、ある出来事を契機にパタリとツキを失ってしまいます。
ジェットコースターさながらに急転直下していく資産状況に焦りながらも、再びツキを取り戻すべく、幸運の数字を探し求めるのです。微妙なアップと大幅なダウンを繰り返しながら、男は徐々に精神のバランスを崩していきます。終いには駅の電車の到着時刻、目に入った車のナンバープレートなど、自分を取り巻く数字に完全に支配されてしまうといったストーリーです。

結局、数字の語呂合わせパターンなど、物語を構成するファクターを用意しきれずに、アイデアの段階で頓挫したのですが「事実は小説より奇なり」とはよく言ったもので、いつだったかテレビ番組が「強迫性障害」という精神疾患を取り上げているのを観ました。
例えば「異常なほどの潔癖症」なんてのはこれに該当するのですが、要は勝手な思い込みによって生じる不安や不快感で社会生活に支障をきたすようにまでなる病気です。

他人の触ったものに触れない人もいます。番組では外出先から家に戻るとまず財布の中の紙幣を全て水洗いし、その後で財布自体も洗ってベランダに干している人が紹介されました。
また、数字に囚われてしまった人。「死」を連想させる「4」が怖くて仕方がない。携帯電話でも「4」のボタンが押せない。エレベーターも5階まで上がって4階へは階段を使うそうです。日テレが観たい場合、テレビのリモコンを「チャンネルの+と-」を使って4chを選ぶそうです。まったく、どうかしているとしか言いようがありません。

しかし、かくいう私にも妙な癖があり、前を走る車のナンバープレートがゾロ目の場合、特にそれが「888」である場合、写真に撮りたくてたまらなくなるのです。理由は判然としませんが、「777」だと少々嫌らしいけれど、「888」の「微妙にズレながらも軽くラッキーな感じ」が愛おしいのだと思います。かつて某SNSで「888」と名乗っていたこともあります。「8」は生まれ年にも誕生日にも全く関係ない数字なのですが。

私の場合はカメラに収めてしまえば、それで満足。後になって他人様のナンバープレートを見ながらニヤけることもありません。まだ正常の範囲であると考えています。

いや、程度の差こそあれ、私も軽くイカレちゃってるのかもしれません。

今週は土曜日に伺います。