もう二十年くらい前になる。塾講師をしていた頃だ。
ある朝、目覚めたら左耳に水が入っているような違和感を覚えた。前夜の入浴で水が入ったのだろうと思い、激しく頭を左右に揺すった。プールでも、そのようにして遠心力で内耳に留まる水を外へと出す。しかし、何度振っても耳の閉塞感は変わらなかった。
「変だな」
状況が一向に変わらないので午後になって医者を探すことにした。インターネットがまだ普及していない時代だ。電話帳で耳鼻科を調べ、受診できたのは夕方になってからだった。
「即、入院してください」と言われた。「突発性難聴だろう」とのことだった。
「突発性難聴」というのは、古くはベートーベン、最近では浜崎あゆみが罹患したことで話題になった神経の病気だ。ストレスが要因とも言われるが、詳しい原因は分かっていない。そのために根本的な解決へと繋がる治療法も確立されていない。
この病気が治るか否かは時間との戦いだ。処置が早ければ早いほど聴力の回復が望める。逆に、三日以上放置してしまうと治る見込みは殆どない。
治療にはステロイド投与と高濃度の酸素吸引、そして絶対安静を要する。
耳の違和感を除いては、いたって健康体である青年がベッドで寝たまま過ごすのは実に退屈だった。しかも音楽を聴くのは禁じられた。とにかく耳を休めることが肝要だからと医師からは説明を受けた。
俺の場合、障害は左耳の高音部に起こった。
どういう状態か説明すると、例えば正面から「ツゥーーー」といった周波数の高い音が出ていた場合、音の方へ右耳を向けると「ツゥー」と聴こえるが、左耳を向けると「フゥー」と低い音にしか聴こえない。右、左と交互に聴くように頭を振ってみると「ツゥー、フゥー、ツゥー、フゥー」と聴こえる。さらには左耳だけ始終、「キーーン」という金属的な耳鳴りがしている状態だ。
三度の飯より音楽が好きな俺は、さすがにこれには参った。
自分にとって、とても大切な器官が壊れてしまった。
入院中は毎朝、ステロイドの点滴を受けた。それからマスクを口に当ててボンベからの酸素吸入。外出も出来ない。寝ているより他にすることがない。友人が見舞いに持参した本を読み、それにも飽きると用もなく病院内を散歩した。
ステロイドを投与されると身体に変化が起こる。洗面所で鏡を見ると顔なんかもパンパンに膨れている。オリンピックで使用禁止薬物に指定されているのは筋肉増強効果があるためだ。
ちなみに男性は下半身にも効果が現れる。俺は見舞いに訪れた彼女に、いつ看護婦が来るか分からない病室でステロイド効果を試したりもした。
退屈極まりない入院生活を二週間ほど過ごし、退院した後も半年ほどは月イチで病院へ通った。
しかし、俺の聴力が戻ることはなかった。
今、こうしてブログを綴っている最中も俺の左耳はキーーーンと止むことのない耳鳴りが続いている。おそらく死ぬまで耳鳴りは止まないだろう。当然、すっかり慣れて、もう気にはならないけれど。
ただ、通常の人よりも会話などが聴こえづらいのには不便を感じる。どうしても聞きたい場合には近づいて右耳を相手に向ける。仕事の際にもブリーフィングなどで人前なのにも関わらず小声で話すのが何人かいる。俺は何を言ってるのか、さっぱり聞き取れなくても分かったフリをしている。所詮、小声で話すような人間の語る言葉は大きな意味を持たない。
昨日、Amebaトピックスで「突発性難聴の新治療法」という記事を読んだ。
身体の麻痺した部分をリハビリするやり方、つまり不自由な部分にあえて無理を強いることで回復を促す方法を難聴治療に用いたところ効果が確認されたそうだ。例えば左耳が聴こえづらくなった場合、左耳だけにヘッドフォンを当ててクラシックなどを聴かせる。ステロイドだけの投与では五割強だったのが、ステロイドと片耳ヘッドフォン併用による治療法では八割を超える回復率が示されたと記されていた。
「二十年前に同じ方法が試されていれば俺の聴力も回復したのだろうか」
記事を読みながら、そんなことを考えた。
人生とは残酷なものだ。
ときには、かけがえのないものを失うことだってある。
「さよならだけが人生だ」
井伏鱒二が訳した漢詩の一節だが、年齢を重ねるとリアリティを増して響く。
「あらゆるものは通り過ぎる。誰にもそれを捉えることは出来ない。僕たちはそんな風にして生きている」
村上春樹の処女作「風の歌を聴け」のラストあたりだった気がするが、ある意味、同じことを述べている。
逆に捉えれば、変化を恐れてはならないということかもしれない。
生きるというのは経年変化であり、人はそれによって何かを失いながらも何かを得ているのだ。
ボディにはたくさんの傷がつき、あちこちの故障をリペアしながらもヴィンテージ・ギターは極上の音色を響かせる。俺も、そのようにありたいと願う次第である。
ある朝、目覚めたら左耳に水が入っているような違和感を覚えた。前夜の入浴で水が入ったのだろうと思い、激しく頭を左右に揺すった。プールでも、そのようにして遠心力で内耳に留まる水を外へと出す。しかし、何度振っても耳の閉塞感は変わらなかった。
「変だな」
状況が一向に変わらないので午後になって医者を探すことにした。インターネットがまだ普及していない時代だ。電話帳で耳鼻科を調べ、受診できたのは夕方になってからだった。
「即、入院してください」と言われた。「突発性難聴だろう」とのことだった。
「突発性難聴」というのは、古くはベートーベン、最近では浜崎あゆみが罹患したことで話題になった神経の病気だ。ストレスが要因とも言われるが、詳しい原因は分かっていない。そのために根本的な解決へと繋がる治療法も確立されていない。
この病気が治るか否かは時間との戦いだ。処置が早ければ早いほど聴力の回復が望める。逆に、三日以上放置してしまうと治る見込みは殆どない。
治療にはステロイド投与と高濃度の酸素吸引、そして絶対安静を要する。
耳の違和感を除いては、いたって健康体である青年がベッドで寝たまま過ごすのは実に退屈だった。しかも音楽を聴くのは禁じられた。とにかく耳を休めることが肝要だからと医師からは説明を受けた。
俺の場合、障害は左耳の高音部に起こった。
どういう状態か説明すると、例えば正面から「ツゥーーー」といった周波数の高い音が出ていた場合、音の方へ右耳を向けると「ツゥー」と聴こえるが、左耳を向けると「フゥー」と低い音にしか聴こえない。右、左と交互に聴くように頭を振ってみると「ツゥー、フゥー、ツゥー、フゥー」と聴こえる。さらには左耳だけ始終、「キーーン」という金属的な耳鳴りがしている状態だ。
三度の飯より音楽が好きな俺は、さすがにこれには参った。
自分にとって、とても大切な器官が壊れてしまった。
入院中は毎朝、ステロイドの点滴を受けた。それからマスクを口に当ててボンベからの酸素吸入。外出も出来ない。寝ているより他にすることがない。友人が見舞いに持参した本を読み、それにも飽きると用もなく病院内を散歩した。
ステロイドを投与されると身体に変化が起こる。洗面所で鏡を見ると顔なんかもパンパンに膨れている。オリンピックで使用禁止薬物に指定されているのは筋肉増強効果があるためだ。
ちなみに男性は下半身にも効果が現れる。俺は見舞いに訪れた彼女に、いつ看護婦が来るか分からない病室でステロイド効果を試したりもした。
退屈極まりない入院生活を二週間ほど過ごし、退院した後も半年ほどは月イチで病院へ通った。
しかし、俺の聴力が戻ることはなかった。
今、こうしてブログを綴っている最中も俺の左耳はキーーーンと止むことのない耳鳴りが続いている。おそらく死ぬまで耳鳴りは止まないだろう。当然、すっかり慣れて、もう気にはならないけれど。
ただ、通常の人よりも会話などが聴こえづらいのには不便を感じる。どうしても聞きたい場合には近づいて右耳を相手に向ける。仕事の際にもブリーフィングなどで人前なのにも関わらず小声で話すのが何人かいる。俺は何を言ってるのか、さっぱり聞き取れなくても分かったフリをしている。所詮、小声で話すような人間の語る言葉は大きな意味を持たない。
昨日、Amebaトピックスで「突発性難聴の新治療法」という記事を読んだ。
身体の麻痺した部分をリハビリするやり方、つまり不自由な部分にあえて無理を強いることで回復を促す方法を難聴治療に用いたところ効果が確認されたそうだ。例えば左耳が聴こえづらくなった場合、左耳だけにヘッドフォンを当ててクラシックなどを聴かせる。ステロイドだけの投与では五割強だったのが、ステロイドと片耳ヘッドフォン併用による治療法では八割を超える回復率が示されたと記されていた。
「二十年前に同じ方法が試されていれば俺の聴力も回復したのだろうか」
記事を読みながら、そんなことを考えた。
人生とは残酷なものだ。
ときには、かけがえのないものを失うことだってある。
「さよならだけが人生だ」
井伏鱒二が訳した漢詩の一節だが、年齢を重ねるとリアリティを増して響く。
「あらゆるものは通り過ぎる。誰にもそれを捉えることは出来ない。僕たちはそんな風にして生きている」
村上春樹の処女作「風の歌を聴け」のラストあたりだった気がするが、ある意味、同じことを述べている。
逆に捉えれば、変化を恐れてはならないということかもしれない。
生きるというのは経年変化であり、人はそれによって何かを失いながらも何かを得ているのだ。
ボディにはたくさんの傷がつき、あちこちの故障をリペアしながらもヴィンテージ・ギターは極上の音色を響かせる。俺も、そのようにありたいと願う次第である。