やまさんは中学のクラスメートで、出席番号は俺の一つ前だった。だからといって特に仲が良かったわけじゃない。どちらかと言えば仲間と一緒になって馬鹿にしたり、からかったりする対象だった。
背は低く、ずんぐりとした体型で、肌色は俗に「酒焼け」と呼ばれるような不健康な黒さを呈していた。
目蓋はいつも半開きで、表情にも覇気がない。勉強もできず、部活にも入っていない。口数も少なく、特に親しい友達もいないようだった。

中2で初めてクラスが一緒になった頃、やまさんは毎朝のように俺や仲間数人にチョコレートを配った。それは不二家のペンシルチョコかパラソルチョコだった。当時でも一本、三十円くらいはしたはずだ。それが毎日重なれば、中学生には大きな出費となる。
あまりにも頻繁にくれるので悪い気がして「いつもチョコくれるけど、小遣いは大丈夫?」と訊いたことがある。やまさんは薄い笑みを浮かべながら「ええ、小銭の続く限りは」と、いつもの敬語で妙に大人びた言葉を返した。

ドッジボールなどで遊ぶ際、やまさんはいつも格好の標的にされた。狭いコートの中を無様に逃げ回り、ついには避けきれずにボールに当たる瞬間、奇妙な形に体をくねらせる。それが面白くて俺たちはゲラゲラと笑った。やまさんは照れ笑いを浮かべて、女子のような小走りで外野へと引き上げていくのだった。

バレンタインデーには悪戯をした。誰かが貰ったチョコレートの空き箱を、やまさんの机の中に入れておいたのだ。そして意地悪く、遠くからやまさんの反応を観察した。授業前、机に手を入れた瞬間、何かがあることに気づき、そっとチョコの箱を引き出し、確認てから再び机の中へと戻す姿を見ながら必死で笑いを堪えた。休み時間に悪戯だと白状すると「そんなことだろうと思いました」と笑みを浮かべたが、やはり少しがっかりしたようだった。

そんなやまさんだが、実は密かに情熱を注いでいるものがあった。野球だ。もちろん運動神経が鈍いため、自分でプレイするわけではない。プロ野球や高校野球をテレビ観戦するのだ。しかし、休み時間に野球の話を熱く語ったりしているのを一度も聞いた事がなかった。だから同じクラスの俺たちも、やまさんが野球に詳しいことなど全く知らなかった。それは、ひょんな出来事によって周囲に知られることとなる。

ある日、学校へ行くと野球部の連中が騒いでいた。スポーツ新聞に、やまさんの投稿が載っているというのだ。見せてもらうと小さな欄だが確かにやまさんの名前が載っていた。記事内容は詳しは覚えていないが選手の起用法、あるいは監督の采配ミスといった中学生の視点としては大人びているというか、マニアックな批判だったような記憶がある。やまさんの意見には編集者の言葉が添えられていた。「なかなか鋭い意見を述べてくれた山口君は、まだ中学生。もちろん野球部のキャプテン、ポジションはサード」。そんなコメントだったように思う。数人の野球部員から「お前、いつからキャプテンになったんだよ」などと吊し上げられもしたが、一目置かざるを得ない様子でもあった。俺たちも知らない一面を見せられて大変驚いたものだ。

でも、それだけではなかった。やまさんには、学校では決して見せないダークサイドがあった。例えば、「小銭の続く限りは」などと言いながら俺たちに毎朝配ったチョコレートは全て万引きによるものだった。しかも、俺たちのために盗むのではなく、日常的な窃盗の戦利品のごく一部をお裾分けしてくれていたのだ。

放課後、帰宅部のやまさんは真っ直ぐに家へと帰らない。必ず「怪獣公園」と呼ばれる団地内の広場に立ち寄る。そこで遊んでいる小学生の中に、やまさんの子分が数人居るのだ。どうやって手なずけたのかは知らないが、その子らに命令して空き瓶を拾いに行かせるらしい。で、集めた瓶を酒屋で換金してワンカップ大関とスポーツ新聞を買う。顔色の悪い中学生が学ランのまま、公園のベンチでコップ酒をちびりちびりやりながらスポーツ新聞を広げる。それが、やまさんの本当の姿だった。

ある日、高校野球の話が盛り上がる中、突然やまさんが宣言した。「今年は絶対に市立銚子が甲子園に出ます」。野球に詳しいやまさんが言うのだから、何か自信や裏付けがあるのだろう。また、やまさんは市立銚子という高校にどういうわけだか特別な思い入れがあるようだった。ちなみに俺たちの住む船橋市と銚子市は房総半島の真逆に位置しており、地元校でも何でもない。また、習志野高校や銚子商業などの強豪校がひしめく中、今夏の市立銚子が特に注目されてるといった話も聞かない。

何故に市立銚子に拘るのか理解しがたいが、あまり頑固に言うものだから「じゃ負けたらどうする」となった。やまさんは「負けたら何でも言うことを聞きます」と答えた。そこで俺たちは厳しい罰を課すことにした。それは「もし市立銚子が甲子園に出場しなかったら、みんなの見ている前でオナニーをする」というものだった。童貞の中学生男子が面白がるのは、そんなレベルである。「それだけは無理です」と哀願すると思いきや、やまさんは平然とその罰ゲームを了承した。そして、やまさんの思いは届かず、市立銚子は地方予選2回戦であっけなく敗退してしまった。