その後、俺の周囲で小さな幸運が続いた。
 高三になる娘から携帯電話の機種変更をねだられていた。二年前、やはり娘の要望で一緒にアイフォンに変えるために俺はauからソフトバンクへと乗り換えたのだ。
 俺は自分の娘に甘い。ねだられれば何でも言うことをきいてしまう。親として、そういう姿勢は如何なものかと思うこともある。しかし離婚によって寂しい思いをさせたという負い目を感じていて、罪滅ぼしのような気持ちが働くのだろう、叶えられる要望は全て了承してしまう。
 今回も仕方ないと思った。俺のアイフォンもバッテリーの持ちが悪くなっている。ソフトバンクのショップに入り、店員に尋ねると端末代金は一台7万近くかかると言われた。
「どうする」と娘に聞くと「他のお店も見てみようよ」と答えた。
 駅の反対側へ戻り、携帯各社を取り扱うショップに入った。auに乗り換えれば一万数千円で乗り換えられるという。
「それでいいじゃん」
 俺がそう言うと娘は「もう一軒だけ見てみようよ」という。面倒くさいが、それに従った。
 今度はドコモへの乗り換えにしてみる。すると端末がタダで入手できた。さらに利用料金も安くなり、電波の繋がりもこれまでに比べて格段に良くなった。別にラッキーでも何でもなく、新顧客獲得のキャンペーンに乗れただけの話だ。しかし親子で十数万かかると踏んで、金まで用意していたのがタダで済んだのは大きい。
 また、フィギュアの浅田選手が出場する世界選手権のチケットが、これもタダで手に入った。職場の仲間がお気に入りの女の子にねだられてチケットをネット購入したのだけれど、さらに良い席が関係者から入手出来たために最初に買った分が余ったのだ。不要となったチケットだが、相当なプレミア価格で入手していて、直前にネットで売りに出してみたものの買い手は付かず、正規料金だって出し渋る俺の元に「土曜日が休み」というだけで舞い降りてきたのだった。
 俺は双子兄と観にいくことにした。以前、フィギュアを是非、生で見たいと話していたからだ。
 小さな幸運でも連続すると、人生が上向きになっているように思えてくる。
 これから、もっと大きな変化が訪れるかもしれない。俺は予想の出来ないターニングポイントへの期待に胸を膨らませていた。
 土曜日はフィギュアを観にいき、日曜はバンド練習で秋葉原に集まった。
 俺はバンド仲間に練習後に一軒だけ付き合って欲しい店があると話していた。詳細を話せば長くなるし、またメイド喫茶のような店に興味のない連中なので、反対にあうのを避けるため行き先は言わずにおいた。
 当日、練習合間の休憩時間になって、これまでの顛末を仲間に話してみた。
「俗に言うソウルメイトじゃないかと思うんだよね」
 そう話す俺の言葉には安易に同調しないものの、重なった偶然に関しては不思議な縁を感じたようだった。
 
 ここで「ソウルメイト」に触れておく。
 ソウルメイトとは魂の世界、つまり死後というか前世というか、肉体の存在しない次元において親類や兄弟、あるいは恋人や夫婦のような近しい関係であったもの同士のことを指す。または一つの魂が分化して二つになり、この世で再会するケースもあるようだ。
「ソウルメイト」という語は繋がりのある魂同士の全てを指す総称で、その関係性によって「ツインソウル」とか「ツインフレイム」など、いくつか種類がある。しかしソウルメイトであるという目に見える確証があるわけではないので、解釈や捉え方は様々だ。
 俺は普段からスピリチュアル系の話に強い関心を抱いているわけではない。でも、そうした目に見えぬ精神世界を頭ごなしに否定もしない。
 世の中には科学では解明できないことが、まだまだたくさんある。自分の獲得した知識だけで、未知なる世界を許容しないのは可能性を狭めることになる。
 常々、俺は少々怪しげな話であっても興味深い事や、信じてみることでプラスに作用する可能性があれば、積極的に乗っかってみるのを心がけている。
 例えば、それはパワーストーンであったり、「自己啓発セミナー」に誘われて付いて行ったらアムウェイの集会だったりもしたのだが、それによって何かを失うわけでもないし、簡単に妙な思想に感化されてしまうほど愚直ではない。「乗っかってみていい事あればラッキーじゃん」という程度の軽いノリなのである。それより何より、未知の世界を覗いてみるのは実に面白いではないか。
 今回の奇妙な一致が何を意味するのか、自分なりにあれこれ考えてみた結果、「ソウルメイト」というワードに突き当たった。
 つまり俺は彼女と魂の繋がりがあるのではないかと踏んだ。
 ソウルメイト同士が出会うと強い親近感を覚えるそうである。そして、いくつもの偶然の一致、つまりシンクロニシティが起こる。
 ソウルメイトが出会うのには意味があって、魂の再会は何らかの目的に向かうためであり、目的を果たした魂は更なる高みへと至る。彼女とは歳が離れているが、魂の次元で捉えれば年齢は関係ないそうだ。
 彼女とソウルメイトであった場合、お互いに相手を求める精神作用が働く。元々、魂同士が近しい関係であったため、自然と親近感を覚えて一緒に在ろうとするようだ。
 ただし、これが重要なところだが、「お互いに必要とする」ことが条件となる。
 俺は二十三歳の女の子に執拗に付きまとうストーカーような真似をするつもりはない。そんなことしたら、娘を持つ一人の親として彼女の親御さんに申し訳ない。
 関係はお互いに欲してこそ成立する。
 もし「もう店に来ないで」と言われれば、二度と顔を出すことはないだろう。
 ただ、何の関係性も築けずに終わるのであれば、ここまでの偶然の一致は何だったのかという疑問は残るが。

 日曜の夕方、練習後のバンドメンバーを連れて「声優の卵たち」へなだれ込んだ。
 彼女は店にいたが今回も別な客の応対をしており、すぐに俺たちのテーブルには来なかった。代わりに別の女の子が俺たちに付いた。俺たちはとりあえずビールを注文して乾杯した。
 飲んでいる内に、彼女が俺たちのカウンターに現れた。
「これ、俺の赤いセミアコ。ES330、エピフォン・カジノの原型になったギター」
 ギグバッグを開いて俺は彼女に自分のギターを見せた。自慢したいわけじゃない。本当に彼女と同じ赤いセミアコを持っていることを証明したかったのだ。
「火事になったらこいつを持って逃げるよ」
 そう言ってから、ギターをケースに仕舞った。
 バンドのメンバーは俺を含めて4人。
 酒類の並んだメインのカウンターを背に、反対側の壁に向けて設えたカウンター席に一列に並んでいる。
「誰がどのパートなんですか?」
 質問に誰かが順々に説明する。
「えーとね、こっちからドラム、ベース、ギター、ギター」
 彼女もバンドをやっているようなので、少しは興味があるのだろう。
「お前、今日の演奏を見せてやれよ」
 双子兄が言った。正直、他人に見せられるレベルではないが、隠す必要もないので携帯で撮った動画を見せた。
 六月に結婚する職場の仲間へのビデオレター用の演奏だ。ボ・ディドリー風のジャングルビートに乗せて、1コードで「H島、おめでとう」と繰り返すだけだが、彼女は食い入るようにその演奏風景を眺めていた。
 今回もまた、彼女が休憩に入るタイミングで店を出た。
 呑み助揃いなので酒も飲めるとはいえ、ろくなつまみもないメイド喫茶では話にならない。会計を済ませて表通りに出ると、俺たちは近くの居酒屋へと移った。
「可愛い子で良かったよ。俺、あのタヌキみたいなのだったら、どうしようかと思ったもん」
「いやぁ、でもさすがに二十三歳は若えよなぁ」
 メンバーたちは、口々に先ほどの店や彼女に対しての感想を述べた。
 俺はネットで調べた程度だがソウルメイトという概念を語ってみせたが、やはりスピリチュアル系の話に乗ってくる者はいない。
 女性に比べて、男で精神世界に興味を抱く者は少ない。占いの類に、さほど興味を示さないのに似ている。俺だって彼女に遭遇しなければ、ソウルメイトなんて事象について調べることはなかっただろう。
「ほら、俺が昔、クリスチャンになったことあったろ?」
 まだ二十代の頃、俺が面白半分でキリスト教の洗礼を受けた話をすると「あったな、そんなこと」と当時も一緒にバンドをやっていたドラマーが笑った。
「昔からそうなんだよ。何か面白そうなことがあると、とりあえず乗っかってみるのが性分だからさ」
「そうだよね。なるほどね」と笑いながら納得たようだった。
 
 話はソウルメイトからバンドや音楽の話に移っていった。そして二十代の頃と変わらずに飲むヤツはとことん飲み、眠くなるヤツは途中で寝て、それでも終電近くになると割り勘で会計を済ませ、秋葉原の駅で四人は別々の方向へと別れていった。
 男という生き物は進歩しない。外見こそ歳相応に老けているけれど中身は学生時代と何ら変わっていない。あらためて、そう感じた。
 
 総武線に揺られ、最寄駅で降りると、俺は歩きながら財布の中身を確認した。大して入っていないことは分かっていた。後は駐車料金の1300円さえ払えればいい。しかし、財布には1200円しか残っていなかった。仕方なくコンビニのATMで金を下ろすことにした。
 ところが日曜の深夜でキャッシュカードの取り扱いが出来ないようだった。
 困った。あと百円なければ車を出せない。
「どうしよう。とりあえず背負っているギターを車に積んでから考えるか」
 俺は車に機材を置いて、それからおそるおそる駐車場の清算機の前に立った。
 1日最大料金千三百円と看板にある。午後三時過ぎから停めているので、もうマックスの金額に達しているはずだ。
 駐車番号を入力し、思い切って清算ボタンを押した。
 料金が表示された。赤いデジタルの数字で1200となっている。
 どういうことだ。
 どんな計算をすれば、この金額になるのだ。びっくりしながらも、俺は有り金ギリギリで車を駐車場から出すことが出来た。
 
 自宅に戻ると、まずアクセサリー入れを覗いた。実は、お気に入りの革製のブレスレットを巻いて出かけたはずだった。しかし、スタジオで無くなっていることに気づいた。血相を変えてアンプの裏やら、休憩所のソファの下など、落としたと思える場所を全て探したが見つからなかった。
 すっかり気落ちした俺はバンドのジャムセッションの中でレゲエのリズムに合わせながら即興で嘆いた。
 
 あー落としちゃった
 俺のブレスレット
 あー革のブレスレット
 気に入ってたのに
 多分、もう手に入らない
 あー俺のブレスレット
 ホワイトハウス・コックス
 イギリスの老舗ブランド
 華奢で細いが値段は高い
 あー俺のブレスレット
 
 苦笑しながらもメンバーは俺の語りに合わせてリズムを刻んでくれた。

 部屋の丸いケースの中にブレスレットはあった。
 単に身に着けて行かなかっただけの話だ。でも、すっかり無くしたと思って落ち込んでいたのだけに嬉しかった。
 俺はツイている。
 彼女と出会ってから、俺にはツキが回ってきている。
 そんな気がした。