「あ、またミスしてる……。でも、今言ったらモチベーション下がるかな」 「自分で直したほうが早いし、今回は黙っておこう」

 

部下に対して、そんな「物分かりの良い上司」を演じていませんか? 角を立てず、波風を立てず、相手を傷つけないように細心の注意を払う。

 

ハッキリ言います。 その「偽物の優しさ」こそが、部下から『自立する力』を奪い、プロとしての息の根を止めている。あなたは無意識のうちに、加害者になっているのです。

 

「そんな大袈裟な。相手を思ってのことだ」と反論したくなるかもしれません。 しかし、その優しさの裏側にある「醜い本音」を、あなたは直視できているでしょうか。

 

娘を児相に預けたあの日、私が突きつけられた「無責任な母性」

かつての私は、家庭でも「怒れない母親」でした。 娘が学校をサボっても、片付けをしなくても、「彼女なりに理由があるはず」「厳しくして嫌われたくない」と、物分かりの良いフリをして許し続けてきました。

 

それが彼女のためだと信じていたのです。 でも、その結果はどうなったか。

娘は「自分の行動に責任を取らなくていい」という歪んだ全能感を肥大させ、最後には社会との接点を失い、自傷行為にまで及びました。 一時保護所の職員の方に言われた言葉が、今も耳にこびりついています。

 

「お母さん、あなたが彼女から『壁』を奪ったんですよ。何がダメなのかを教えないのは、彼女を暗闇に一人で放り出すのと同じです」

 

私は、娘の成長を願っていたのではありません。 「怒る」というエネルギーを使い、相手と衝突し、嫌われるリスクを背負うことから逃げていただけ。 私の優しさは、ただの「育児放棄」であり、自分を守るための「保身」だったのです。

 

マネジメントにおける「陽」の欠落

「陰陽和合」とは、受容(陰)と規律(陽)の調和です。 今のマネジメント業界は「褒めて伸ばす」「心理的安全性」という「陰」の側面ばかりが強調されています。

 

しかし、太陽(陽)のない世界で植物が育たないように、適切な「厳しさ(規律)」のない組織で人は育ちません。

 

あなたが部下のミスを見て見ぬふりをする。 それは、部下が「社会という冷酷な戦場」に出たとき、丸腰で撃たれるのを黙って見守っているのと同じです。

 

「今、この場で恥をかかせたくない」という目先の優しさが、数年後の部下を「使い物にならない無能なベテラン」へと変貌させます。 それは果たして、本当に「優しい」行為なのでしょうか?

 

真の厳しさは、深い「慈悲」から生まれる

本当のマネジメントとは、相手の「今」の感情を満足させることではありません。 相手の「未来」に責任を持つことです。

 

ミスを指摘し、至らない点を突きつける。 そこには一時的な「痛み」が伴います。部下に不満を抱かれるかもしれません。 でも、その「痛み」こそが、相手がプロとして脱皮するために必要な脱皮痛なのです。

 

「私は、あなたのキャリアを使い捨てにするつもりはない。だから、ここは譲らない」

そうした明確な境界線(陽)を提示すること。 これこそが、相手を一人のプロとして尊重するということであり、真の慈悲なのです。

 

「いい人」という檻から出てください

もしあなたが、今も部下に嫌われることを恐れて言葉を飲み込んでいるなら、一度自分に問いかけてください。 「私は、部下の人生に責任を持つ覚悟があるか?」と。

 

嫌われてもいい。一時的に関係が冷え込んでもいい。 その「孤独」を引き受けてでも、伝えるべきを伝える。 その覚悟が決まったとき、あなたの言葉には初めて「重み」が宿り、部下の生存本能に響くようになります。

 

部下を「殺す」優しさは、もう終わりにしましょう。

 

では、具体的に「角を立てずに、しかし相手の魂を震わせる指摘」はどうすれば可能なのか。 

 

「本当の意味で部下を救いたい」と願う方だけ、読み進めてください。