私のブログは長いので、読めない人が結構いるんだと思います。
Ameba的にはウケるブログはビジュアルが他点数あり、行間が空いてて、一文が短く、絵文字を多数使うって感じみたいですね。
私の場合は伝われば良い人にしか伝えようとしていないので、そんなのお構いなしですね。
そもそも活字を読めない人に影響を与えたところで、何かしたいわけでもなしと。
以前やっていたブロスタというゲームでいろんな人とDiscordなどで交流してましたが、行が3行を超えると理解できなくなるっていう人が複数人いて驚きました。
これは頭が悪いというレベルの話じゃなく、Z世代にはそういう人が多数いるという話でした。
これは完全に国の教育が間違えていると思いますね。
活字を読むのは、知的好奇心が読ませるのです。つまり、知的好奇心がな薄いから3行以上読もうと思えないわけです。
やる気がないから読まないのではなく、最初の何文字で読みたいと思う内容じゃないから読んで理解しようと思わないわけですね。
こういった人たちに何かを伝えるのに、動画や図が極めて有効なのですが、私は活字を読める人にしか伝える意思がないのであえて何かしようとは思わないです。お金をいただける仕事でしたら喜んで動画や図を作るんですけどねw
時代的に本を読まなくても動画を見ればいろんなことの断片的な知識が得られる時代なので、とっかかりは動画でいいと思うのですが、深い理解を得るのに書籍は欠かせないと思うんですよね。
例えばアインシュタインの相対性理論のコンテンツがYouTubeにありますけど、物理学をくみ上げていかないと相対性理論の意味も価値も理解しづらいと思うんですよね。動画で断片的にしったところでどうなんでしょうね? 周辺の知識を尋ねられた瞬間に無知が露呈するだけだと思います。
優れた動画コンテンツもたくさんありますが、断片的な知識しか提供しない動画もたくさんあるんですよね。
だから学問的な内容のコンテンツを見る場合、見る側はある程度学習が必要なのですが、それをするには活字に触れる必要がどうしても出てきます。
それにしても、国の罪は重いですね。
教育は人の根幹の一部を作り上げるものですから、教養の低い人を国が作り上げるのは賛同できないですね。
認知主義教育から抜け出さないと無理なんでしょうね。認知主義しか教育主義を知らない人たちには改革は無理かな。