何気ない時にふと思うのですが、友達ってなんだろうって。


人に左右される良さと、人に左右されない良さ。

私達はこのバランスの中で生きているわけです。


先月父を亡くしたことをお伝えしました。

そして昨日叔父が亡くなったとことを聞きました。

叔母からきたメールは、コロナで葬儀には出られないだろうけど、3万円香典を入れなさいって。


親戚ってなんだろうって思わされました。

別にお金の話はどうでも良いのですが、人が亡くなるってそんなもんの話なのかなーって。


何か助けられたことってあったのかなー?

何か楽しかったことってあったのかなーって。

時間が経ってるから色々忘れてるのかなーって。


親戚ですらそんな感じだけど、友達っていうのもなんなのかなぁーって改めて考えさせられました。


お金を沢山貸してあげてた友達は連絡をしてこないとか外国に帰ってったりとか、残念に思いますね。

まあ私の見る目がなかったと言えばそれまでなんですが、そういう残念な気持ちに思わないのは今や職場が一緒の人がほとんどなんですよねー。


同じような生活環境や生活レベルでないと安心して人付き合いができない感覚が非常に大きくなっています。


音楽が好きで付き合い始めた人達もこの4-5年で付き合い始めた人で友達と言えるような人は最終的にはゼロに近いですね。

いても数名で、それもお金に困ってない人達で、ライブに私が来てもこなくても良いって思ってる人だけですね。(きちんと生計を立てられてるプロのミュージシャンだけです)


なんていうか、友達じゃなくて、皆さん客を探してるんですよね。演劇をやってる人もそんな感じでしたしね。


お店をやってたら食べに来い、飲みに来い。

音楽やってたらライブに来い。

芝居をやってたらそれを見に来い。


ぜーーーーーーんぶ、お金の支出や時間の消費を伴う話ばかりですね。


時間をかけて徐々に気づいてきましたが、こんなクソな人間関係があまりにも多くて、いわゆる文化活動には人の繋がりなんて不要って思うようになりました。

自分が楽しめてやれればよくて、コラボなんて何のメリットもない。自分の時間が無駄になるだけだって。


別に否定的な話をしてるわけじゃなくて、単なる自戒なんです。


ゲームなんかも自分一人で楽しめるゲームでもうよくて、他人との関わりの中でプレイするゲームはもうお腹いっぱい。やるなら元々知り合いの人としかやろうと思えないですね。

例えばモンハンやるなら、入って知り合いに声をかければすぐ途方もない量のアイテムをもらえるわけですし。


こういうことに気付き出すと気が楽になってきますね。思い出す必要がある人がすごく少なくて済むので、自分のために使える時間がより多くなるわけです。


友達は必要なんですよ。

自分で気づけない新しい何かは友達が持ってきてくれるんです。

私がお金を使ってでも求めていたのはそれなんですが、お金を使わなくても、自分の多大な時間を使わなくても新しい何かは自分が探せば良い話なんだっていう結論ですね。


そんな感じで、自分がやりたいようにやりたいことをするのが最高の人生なんじゃないかって思わされるに至るようになってます。


他人は最高の刺激かもしれないし、なんの刺激にもならないかもしれない。なので自分を犠牲にして付き合うようなものじゃないんだって。


ということで、これからはヨガとピラティスを楽しみつつ、読書と映画やドラマを楽しんでいこうと思います。