こんばんは、Yoyoです。
物の見方には百者百様あるということは多くの方がご存知かと思います。
人が何かを捉えることをセンスという言い方をします。人には多種のセンサーがあり、視覚、聴覚、嗅覚などがセンサー的な機能となります。
そのセンサーの質や多次元軸での捉え度で、幅広い質でそれぞれの多軸での高い捉え度ができる人という説明のしづらい人がいます。
簡単に言うと、人の話を聞いたり、書籍を読んで、あらゆる角度から物事を考えることができる人です。超高感度人間とでも呼びましょうか。
一般に私達は視覚を通して目の前の情報を把握します。例えばアジサイを見るとき、一般には単純に花を見て、角度を連続的に変えながら自分が最も良いと思う観察態勢をとろうとします。通常は無意識で行っている行為なので、自身の快感原則の中で無思考で行動をしています。この動きを意識的にしている人というのが稀にいます。スケートボードで自分の動きを視覚を起点にコントロールできている人なんかが良い例です。ジャンプして空中で回転するボードを視覚的に確認しながら足でコントロールしてます。もちろん様々なセンサーが期待通りに働いた結果、いろんな技術が達成されるわけですが、スケートボードの場合も模倣からの技術の獲得になるため、他のスポーツや楽器などと同様に無思考での習熟という過程が必要になってきます。いわゆる反復運動あるいは反復練習です。
習熟した技術の下地があって、そこに思考からの結果を差し込んでいく、これが様々なものにおける上級者の共通項になります。
ちょっと話が長くなりましたが、要は熟達の後には思考からの結果を付加していくことで、自分を表現することが可能なのです。
ピアノでトルコ行進曲が譜面通り弾けるようにならないと、トルコ行進曲という材料を使った自己表現ができる状態には至れないので熟達が必要条件になってきます。
まあ習熟してなくても超高感度人間であれば、人から聞いた話をまるで自分が経験したかのように物事を語ることができます。そうしたいかどうかは別として、自分のセンサーが機能している時には多大な思考をしておくと超高感度人間になれる可能性があるのです。ただし、超高感度人間は夢想家とは違うので、論理的に辻褄が合わないとか、多少特殊な感性の持ち主でも持ちえないような感覚で物事を語るということはないです。
さて本題の「あなたが見ているものが現実なのだ」ということについてですが、まず最初にあなたの目の前にあるもの、これが現実ですね。現実というものは幸か不幸かに関わらず、あなたに直面します。この現実をどう捉えるか、これは最初にお話しした通り百者百様なのです。あなたの捉え方によって現実をどう言葉にするかが変わっていきます。
このとき、受け入れる情報についてあなたがどう処理するかによって受け方が変わっていきます。無思考で無条件的に現実を受け入れる人は、良く言えばダイナミックな生き方をすることができます。その場その場の変化を自身の感覚で対応していくことになります。悪く言えば刹那主義なのかもしれません。
認知から思考への橋渡しがスムーズな人は自分自身の思考を未来に反映させることができます。例えば書店で誰某の作品を見かけた瞬間にその著者、タイトルから一瞬で多種多様な情報にたどり着き、それらの情報を総合的に判断して未来の活動を行います。買う、次回買う予定にする、他の作家との比較を行うなど様々な形で自分の未来に思考が反映されることになります。この思考するという行為は自分自身の中にある情報を取り出して、それらをまとめることをしています。
思考するということは自分自身を鍛えていることに等しい行為なのです。
現実といっても百者百様ですし、時が変われば瞬時に状況も変わります。
私はゲームが好きなのでゲームをよくやりますが、ゲームは状況が目まぐるしく変わるので、思考を鍛えるのにもってこいな環境だと思っています。確かに創造性は大きく欠如しますが、私のような分析好き人間からすると、ゲームは思考を鍛える最高の場だと思えます。
現実を何も考えずに反射で生活するよりも、何か1つ1つ考えてみるということができるようになるといいですね。
実はこの行為は脳を他者の何倍も使うことになります。このときに物事を分析的に見て論理的な思考をすることができたら、何も考えていない人よりも何倍も人生の体験をすることができるようになります。人の脳の働きで、瞬時に蓄積された情報を取り出して並べ替えや比較などを行うことができるので、様々なことでの思考の時間短縮も可能になります。だから脳内で何倍も時間を得られるようになるのです。
これがゲームだけでなく、日常の仕事であったり、趣味やスポーツの場でも同じように実践できるようになると、今まで100%の力でやっていたことが25%くらいの能力で対処できるようになります。同じ仕事をするにしても、75%の時間を自分のために使えるようになるって凄いことだと思いませんか? 脳の世界は無限の広がりがあるんですよ!
イニシャルDというアニメで豆腐屋のお父さんがコーナーでハンドルから手を放してタバコに火をつけるシーンがありますが、ここで会話までできるのは習熟によるたまものなのですね。楽器演奏も一緒ですね。ジャズのギタリストはギター演奏に習熟していて、コード進行の中で自身が考える演奏を行うことで表現をしていきます。
ということで、今日は頭を使えって話をしました。
習熟が先か頭を使うのが先かって話になるかもしれませんが、両方同時並行でいきましょう。
ゲームで頭を使ってる人は、それを実生活の場でも実践しましょう。
コンビニに入って商品を見たら、原材料を見る、他の商品と比較してみる、どういう比較の仕方があるのか考えてみる、自分自身がどういう思考の末にその商品を買うことになったのか振り返ってみる等々、たくさん考える材料がありますね。
脳を使うか使わないかの選択をしているのはあなたなんです。