27日、昼飯のソースカツ丼、冷やしおろしそばセットを食べた後、仲間とともに永平寺に上る。

↑開封前と開封後。

 

 自身のスマホの充電量は60%だったので、彼に写真を撮ってもらう。この写真もそうだが、永平寺の写真も同じくである。

永平寺の山門は澄んだ空気で満ち生命にあふれていた。500円の拝観料を払い、入る。何分、見る場所が多すぎるのと、人の多いこと、また寺から発せられる威徳に圧倒されて自身はなかなか中には入れなかったが、観光客と知人らはぐんぐん進んでいった。

知人のHは罰が当たっては困るからと仏様に賽銭を投げた。本宗らしい、信徒らしい数名が恭しく正座をし、銭をつまんで賽銭箱に入れていた。仏もそうだが、綺麗だと思った。年配の観光客の、仏像に金がついているからきっと高価に違いないだの、圧倒されることなく、金銭の事をいうのは作務中の坊主がいるのになんと悪い事だろうかとも思った。特に、この日は、年配のそういうあまりよろしくない方方が非常に多く、自身はああいう人間になってはいけないなと肝に銘じた。下らない事である。そういう事を神聖な場所で言うというのは。

 

 全く記憶から消えているが、知人の石君がとってくれた永平寺の写真をあげる。

↑入り口手前と、入ってすぐのところを撮る。(石君撮影)

 

 

 

 

今でも思うのはなぜ記念写真を撮らなかったのかという事だ。もう二度と会えないかもしれない、会った事の記念、卒業旅行の記念にとろうと話したら、今生の別れでないのだから別にいいと軽くあしらわれ、帰り際、福井駅近辺で夕飯を食べた時も同じ事をいわれた。私は悔しい。Hはどうでもいい、どうでもいいとはいえないが、一応大学生であった軌跡さえ、残しておけばいいではないか。これが駄目なら、全体で同窓会か、現役の日研メンバーに対しての慰労会でも何でもいい、その時になってもいいから撮る機会をとかく作りたい。

 

(なぜか写真をあげられなかったので、別日あげます。)

 

 永平寺本体を見に行き、かなり疲れたが、宝物庫で国宝などがただで見られるとの事なので見に行く。(永平寺は土足厳禁である。)宝物庫の照明が壊れているらしいとの事でなかに入った。薄暗い程度だろうと思っていたが、暗闇だった。何も見えない。その分、仏画や、教科書に載っている道元禅師の肖像画の色が鮮やかに見え、印象に残りはしたが、解説文が絶望的に見づらい。スマホの明かりを頼りにして見る人が多くいた。僕と石君以外のメンバーは収蔵品にまったくの興味がなく素通りしていた。おそらく、恐竜博物館に行きたかったのだろうし、別の場所にもよりたかっただろう。メンバーの中で有り難い線香を買っていたのは私一人だけ(仏壇が我が家に引っ越したのでそこに供えるために買ったのだ、)で、他のメンバーにせかされた(早起きで気分が悪かったというのも起因するかも)。その後、急いで帰りのチケットを買い、バスに乗込み、福井駅に着いた。

 

 彼らは福井駅で土産を買った。私にはなぜ、大本山で土産を買わなかったのか不思議でならない。現代人は仏への帰依心が薄いのか、それとも割り切っているのか知らないが、とにかくありがたがる形が少ないようにすら思う。まあ、普通に考えて1000円近くする線香を買おうなんていう人間の方が現代では異常かもしれないけど。

 

 福井駅で土産を買い、自分用のボールペンと、菓子も買った。

菓子は既に平らげて、今、手元にはない。

 

 その後、H君がトレーディングカードを買いたいと言うことで、やむを得ず、福井近くのアニメイトに寄り、彼と女子部員であったNさん以外の男子メンバーは無駄な時間を過ごした。その後、Hにゲンをかついだらとささやき、宝くじを買わせ、いや買っているのをみた。 なぜかサイゼリヤに行き、ティラミスを食べた。夕食の店は迷った末、あみだそばという所にした。自身は

にしんそばを頼んだ。Nさんは山かけそばを頼み、石君はかけそばを頼んだ。他のメンバーのは覚えていないが、Hと中村さんはエビスビール一瓶分と、福の井(限定の酒)1合を頼み、大いに酔った。石君はそばを残した。宝くじは2枚、400円分当たったが、H君から見れば、はずれたとの事だった。帰り際、その介抱をし、別れ、帰路につく。

 

 これで卒業旅行についての日記を終えたい。