通りに出るタイミングをはかっていて、右から来る霊柩車の、助手席の女に目がとまった。
よく晴れた午後のことだった。
 
 美しいひとだった。
彼女はじっと窓の外の空をみていた。彼女の瞳は濡れているようで、まなざしは悲しみを堪えようとしているようで、その表情は小刻みに震えているようだった。
彼女の顔を、西日が照らしていた。

 僕は感じた。
彼女が背負う悲しみを少しでもやわらげたいと。
いつもと変わらない日常のなかの僕と、激しい渦にもみくちゃにされている彼女。
 ひとつの区切りを迎えた彼女の物語。

霊柩車をみたら、指を隠すものだとばかり思っていた。
沖縄の返還40?周年ですね。
うちの嫁に戦争の話をくだくだとしていたのですが、
ずいぶん退屈らしく、相手してくれないので、ここに書きます。
敗戦の後、西洋列強の植民地だった東南アジアの諸国は西洋諸国に対し、次々に独立戦争を起こし、自由を獲得していきました。その中には、日本の敗残兵も混ざって独立のために戦っていました。太平洋戦争で日本は、アメリカ合衆国、イギリス、オーストラリア・ニュージーランド連合軍、カナダ、オランダ、中華民国重慶政府、ソビエト連邦(1945)、蒙古人民共和国(1945)、八路軍、自由フランス(1945)の各軍隊と戦っていました。東南アジアの諸国は、同じアジアの片隅にある日本の戦いを見て、「自分たちも西洋人に勝てる!」と思ったのです。それでいまの世界地図ができあがりました。
 当時の日本人は本当に強かったらしく、大勢の戦死者のなかで大半が補給線が届かないことでの餓死や、それに伴う栄養失調による感染症のための病死が主だったようです。これは本部の無謀な作戦立案に依るところが大きいとするのは大半の史家の見解です。闘おうにも武器、弾薬がなかったというのが実情らしいです。もう少し歴史を勉強したら、街角で外人を見かけてもおどおどしたり、余計に胸を張ったりしないで済むかもしれません。
熱く語りましたが、ここまで読んでいただいた方、ありがとうございます。書き足りないので、続きをいつか書きます。
つい、さがしてしまう。
糸をたぐって、砂を掻いて。
暗闇のなかのあなたをさがす。
それはとても空しくて
だけど心がくるしくて
なんどもなんどもボタンを押す
たぐりよせた文字は
あなたとの距離を
しらじらしく伝えるだけのものだとしても
ぼくはそれすらもとめる。
枯れかけた樹木のように
幾重にも根を張って
あなたをもとめる
どれだけ残酷な
無常な言葉の羅列があるだけだとしても
ぼくはそれすらも欲する
あらぬ予感が戦慄となり
それがぼくをもだえさせるとしても
ぼくはじっと耐えるだろう
そして
やがては痛みに酔い
快楽すらおぼえるだろう
望みを絶たれた落伍者として
路傍に痴れる狂人として。