※このブログは、9月8日(日)午前と午後の2回、日本コイノニア福祉会の2つの特養ホームで行われた礼拝説教の草稿です。

※説教題は、私が応援している中学生TAKAの詩から一部を拝借しています。TAKAに感謝です。
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詩編 第23編


【じいちゃんの見送り方】

誤嚥性肺炎で入院した義父の病室で
ずっと考えているのは、
「じいちゃんを出来るだけ楽に、出来るだけじいちゃんらしく見送るにはどうしたらいいんやろ?」
ということ。

点滴と酸素吸入と、痰の吸引のお陰で、熱は下がり、酸素摂取量も安定したけれど
手足を動かす回数は減り、声を出すこともほとんどなくなった。
わずか2週間前まで自分で歩き、自分の手と口で食べ、一生懸命喋ろうとしていた人とは思えないような状態。

しんぼうばかりの人生だったじいちゃん。
最期の時までしんぼうしんぼう、ていうのは余りに残酷過ぎると思う。

せめて、大好きなアイスとプリンを食べて
嬉しそうに「旨い!」といってもらいたいと思う。

とはいっても、入院した以上医師の許可がなくては退院できない。
思うようにいかないのが人生だ、といってしまえばそれまでだが、
慚愧に堪えない、忸怩たる思い、とはこのことかと思う。


【死の影の谷を歩むときも】

しかし、聖書にはこのような苦しい瞬間、苦しい日々を
乗り越えた人々の言葉が書かれています。
状況は好転しなくても、ほんとにそのまま死んでしまうような苦しみは続いたとしても
詩編23編の著者は「死の陰の谷を行く時も 私は災いを恐れない。」と書いています。

何でそんなことを書けたのかというと、
「あなたがわたしと共にいてくださる」から
「あなたの鞭、あなたの杖 それがわたしを力づける」から
だというのです。

わたしが苦しい時、辛い時
神さまは必ずあなたの傍にいて下さる。

わたしに寄り添い、肩を貸し、背負い、抱きかかえ、
私と一緒に歩いて下さる。


【あなたが夢を忘れても】

中学生の詩人TAKAはこう書いています。
「あなたが夢を忘れても、夢はあなたを忘れない」。

目の前のこと、自分のことで精一杯になって、自分の夢を忘れてしまった時でも
夢はわたしのことを忘れていない、とTAKAはいうのです。

「夢」とはまさに「神さま」のことだと思う。

わたしが神を忘れ、いや神を呪い、神を罵るときでも
神はわたしを忘れてはいないのだと。


【また会いましょう】

いま私たちはそれぞれのグループでテーブルを囲んでいます。
実はイエスが十字架にかかって殺される前の夜にも、
イエスと弟子たちとはこんな風にテーブルを囲んで歌をうたい、食事をし、
酒を酌み交わし、いっぱいお喋りをしました。
そしてそこでイエスが約束して下さいました。
「また天国で会おう、天国でまたこんな風にテーブルを囲んで歌をうたい、食事をし、
酒を酌み交わし、いっぱいお喋りしよう!」と。

わたしはこの方の約束を信じたい。

イエスと、みなさんと、また天国で再会できる日を楽しみにしています。