マタイ13:10~17



【Jくんと話せた!】


一昨日、阿倍野区昭和町4丁目にある「街の秘密基地」に行った。

打ち合わせをしていると、放課後等デイサービスの時間が始まった。

築85年の町屋を天然素材で改装したプレイルームで自分のテーマに熱中している子どもたち。

その中で、重い障がいと闘ってきたJくんが嬉しそうに私の傍に寄ってきてくれた。

発語がほとんど出来ない彼とはずっと、身振り手振りで話してきた。

この日も私は言葉によるコミュニケーションは「出来ない」と思い込んでいた。

いつものように曖昧な遣り取りをしていると、彼が「ちょっとそこで待っとけよ!」という身振りをし、隣の部屋に駆けていった。

しばらくして彼は国語ノートを持って戻ってきた。

ノートには丁寧な平仮名とカタカナでくっきりと「ゴリさん、あるくときはもっとしずかにしてください」と書かれてあった。

私がJくんに「これは早紀ちゃん(指導員の名前)に書いてもらったの?」と訊ねると、彼は憤慨した顔をして、地団駄を踏みながら身振りで「僕が書いたんだ!」といった。

去年の3月放課後等デイサービスに通い始めた頃、彼はまだ文字を僅かしか書けなかったはずだ。

もちろん文章が書けるなど思いもよらなかった。

それがどうだ、この10ヶ月で、コミュニケーションのための文章が書けるようになっていたのだ!

溢れる思いを伝えるために、恐らく猛烈に文字と文章を磨いたJくんの努力に思いを馳せ、私は激しく感動し思わず泣きそうになった。

しかし、それと同時に私は自分の慢心、思い上がり、決め付けがとても恥ずかしくなった。

常々「○○とは、こういうものだ」という決め付けはしないように周囲に対して注意している自分が、いつの間にか「Jくんの能力はこの程度だ」と決め付けていたのだ。

「見ているつもりだが、実は見えていない」「聞いているつもりだが、実は聞こえていない」とはこういうことなのだと思った。



【見えているから幸い、聞いているから幸い】


16節に「幸い」という言葉が出てくる。

元のギリシャ語では「力が発揮される」ことを意味する。

慢心せず、思い上がらず、決め付けず、

ありのままの姿を、外側でなく内に秘められた本質を見る。

内から発せられる魂の声を聞く。

そこにこそ「神の力が発揮される」のだ。



【神の力が発揮されると何が起きるのか】


では、具体的に「神の力が発揮される」とはどういうことだろうか。

神の力が働くと何が起きるというのだろうか。

見えている、聞こえていると思い込んでいる慢心、思い上がり。

この子はこの程度だという勝手な決めつけ。

これらによって、私はJくんの能力や未来に対する信頼を喪い、さらには彼の可能性を奪おうとしていた。

しかしJくんによって直接彼の内なる力を見せつけられ、魂の声を聞いた瞬間、私と彼との間に新しい繋がりが生まれた。

神の力が働くと、人と人との間に新しいコミュニケーションが生まれる。

繋がれなかった者同士が繋がる。

信頼を喪っていた者同士が再び信じ合う。

諦めていた者同士が、未来に希望を抱くようになる。



お互いに「こいつとの関係はこんなものだ」と諦めているのだとしたら

私たちはまだ、互いに本当の姿が見えていないのだ。

互いに魂から発せられる声が聞こえていないのだ。

見えた瞬間、聞こえた瞬間、私たちの関係は回復される。

そこに神の力が働くからだ。