マタイ18:15~20
【君は差別者】
関学神学部に入学して間もなく「同和問題の研究」という講義で
アンケートが配られた。
そこには
「あなたはこれまでに部落差別をしたことがあるか?」
と書かれていた。
私は「ない」を○で囲み、その理由の欄に「クリスチャンだから」と書いた。
翌週この回答が元で、私は神学部のH教授に呼び出されることになった。
H教授は
「人は誰でも差別をする、という危険性を有している。」
「そういう意味でクリスチャンだから差別をしない、ということはない。」
「君は『自分も誰かを差別する可能性がある』という危機感を持って生きるべきだ。」
「そうでなければ君は意図せず誰かを差別してしまうだろう。」
「一番厄介なのは、君が意図せず誰かを差別した時、それを善意の第三者から指摘されても『クリスチャンだから』という理由でそれを認めず反省もせず行動を改めることもしない、ということが起きることだ。」
と仰った。
【クリスチャンでも罪を犯す】
15節~17節に書かれていることは、これと同じことだろう。
クリスチャンでも差別する。
聖徒の交わりといいながら教会のメンバー同士で争いいがみ合う。教会の役員でも指導者でも牧師でも罪を犯す。
ということがマタイの教会で既に