1泊2日の弾丸ツアー。
東京から名古屋へ新幹線で出て、そこからツアー会社アテンドのバス移動でした。
幸い道が空いていて、渋滞ストレスもなく、うとうとしているうちにドライブイン休憩。
朝ごはん食べてなかったので、ドライブインで買い食い
手作り豚まん ウァン というお店の、あん饅。
豚まんウリのはずなのに、あん饅。
夫が松坂牛饅とあん饅買って来てくれたのですが、あん饅サイコー!
赤福のこし餡に似たタイプの、軽いこし餡に栗が入ってました これまた食べたーい!
車中で駅弁ランチタイムがあり、2時間もせずに最初のスポット、花窟(はなのいわや)神社へ到着!
熊野ツアーですが、ここはまだ三重県です。
磐が御神体で、社殿の無い神社でした。
神社って言ってますが、日本書紀神代巻上の記述では、伊奘冉尊の埋葬地が「紀伊の国熊野の有馬村」ということで、季節の花を供えて祀った、から、お墓なんでしょう。
実際、この地のどこかに人骨が埋葬されているわけじゃないと思いますが(神様だし、肉体がある話じゃないよね。骨あったのかしら?とか)
狭い境内に、そそり立つ高さ45mの絶壁。
ここに綱をかけ、花飾りを吊るす「御綱掛け神事」の花飾りが社名の由来だそうで。
この神事、2月2日と10月2日に年に2回行われるそうです。
「なんで年に2回なのか。なんで2日なのか。」とか気になっちゃう
そうやって調べようリストが無用に長くなっていくわけです。はい。
お綱掛け神事
紀伊続風土記に花窟(東西六十五年間南北百十間)禁殺生伊弉冊尊陵拝所鳥居村 の北一町ばかり往還の側海辺にあり。石巖壁立高二十七間南に面へり。其正 面に方三間許の壇を作り、玉垣を周らし拝所を設く。日本書紀の一書に云々 (文略)とある是なり(古事記出雲国と伯耆国との境なる比婆山葬るとあるは 誤伝なり)花窟の名、増基法師が紀行「庵主」に始めて見えたり花を似て祭より起れる名なり。下より十間ばかり上に方五尺ばかりの洞あり。村人「御か らうど」といふ。寛文記に三臓法師大般若経を籠めし所といふ。
此事既に増基が「庵主」にも見えて弥陀仏の出現の世にとり出す経なりしよし いへり。是より花窟を般若の窟と称す。皆浮屠氏の妄説なり。出典:花窟神社公式サイト「例大祭」
元々は、近くの別の場所に鎮座していて、ここの磐座は神事で使われていた、とか。
日本最古の神社の1つ。
元宮は産田神社の名前で案内が出てました。
産田神社御朱印は、花窟神社でいただけます。