仕事が立て込んでると
撫でて欲しい猫をしばらく待たせる。



こんな顔になる。



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ムッスゥーむかっ



なにこの可愛い生き物(笑)




わたしがこの子を引き取ったのは、
震災の年。2011年夏。
思案し続けて、
責任から逃れるいい訳を凌駕して
「迎えたい」想いが大きくなった。


震災のニュースから、
わたしはようやく、責任を持つ覚悟を
ほんのわずかながら肚に決められるように
なってきたんです。



猫を飼うのは、幼稚園の頃からの夢。

大学は寮にいた。
だから、新卒で部屋を借りるとき、
いつ飼えるかわからなかったけど
気に入ったその部屋がペット可の物件で、
いつでも飼える環境も自然と揃って
さっそく「猫の飼い方」本を
近所の本屋で買ったのを覚えてる。



仕事に慣れて、生活サイクルが見えたら
すぐに保護猫を引き取るぞ!って
ワクワクしてた3月の肌寒い夜。

新卒で、配属先がきっと定時部署の
あそこだろーなーと予想してたの。
面接の時からその部署に関する話ばかり
面接担当者からされていて、
内定式でも人事担当者から
「第1希望じゃない●●に配属でも、
大丈夫ですかね?」って
個別に念押し確認みたいなことをされて
同期の中でそんなこと言われてたの
自分だけだったから。



そこなら、第1希望でないけど
定時部署なのは聞いていたから
それはそれで、スタートして
数年後にまた異動の機会があるなら、と
受け入れてた。


けども、蓋を開けたら、
わたしは想像すらしたことなかった
セクションに配属されて
昼も夜もなく全国飛び回る仕事で汗

仮眠とシャワーに帰るのみの3年間。

たまの休息に、布団でうとうとしながら
猫雑誌や飼育本を読み込むばかりの日々(笑)


下手したら、飼ってる人より
雑学知識ばかりがあるかも、な
準備万端さ。


その次に異動して、
多少まともな生活になったから
ハムスターを飼った。

飼ったというより、ペットショップの店先で
あんまりな飼育販売されてて
なにかの飲み会帰りの勢いで
いてもたってもいられなくて
1匹だけ連れてきた感じ。


ペットショップが嫌いです。


生命に値段がつけられて、
月齢があがると、どんどん値引きされて。

生後1ヶ月もしないで親から引き離されて、
狭いケージに押し込められて。


血統がなんだというのか。


どの仔も、みんな、個性があって
みんなそれぞれに愛らしくて、
温かくて、やわらかくて、
懸命に生きてるのに。


ペットショップにいると、
胸苦しくて、息ができなくなってくるくらい
わたしはあの環境が嫌い。


販売主さんによっては、
心底動物を愛してて
大切にしているところもあるとは
わかっているけど。

ペットショップは、
飼育関係用品だけ扱って
生命は売る必要がない。
保護犬や猫を引き取るだけにしたらいい。
と思ってます。


ブリーダー資格は、超厳しくして
買うなら真剣で、それなりの対価でしか
扱ってはいけないようにしたらいいのに。



2010年の暮れ。
異動先の仕事も、生活サイクルも安定して、
がむしゃらで、バカみたいな生き方に
やっぱり心の拠り所、
パートナーがほしくて、
知り合いから「猫の引き取り手を探してる」と
話を聞いて、引き取りたいな、と思った。


自分に、生命を引き受けられるだろうか?


自分さえなんとかなればいい、という
当時の生き方や考え方を
改める必要がある。
経済的にも、もうひとつ生命を引き受ける
負担が発生する。

もしかしたら、その仔に病気や障害が
これから出るかもしれない。
人間よりも、医療費がかかる。
なにより、お留守番が多く退屈で、
マンションの限られた空間だけの
一生を強いることになる。


ものの本には、猫は、決めた縄張りからは
出歩かないともあって、
仔猫のうちからマンションの部屋が縄張りだと
覚えればストレスはないともある。

一方で、成猫になるときに
縄張りを持つために、育った場所から
冒険的にフィールドを広げる性質があり
オスは特に閉じ込めるのはかわいそうだと
いうような説も見かけたり。



考えても考えても、
猫じゃないわたしには、「しあわせ」が
どんなことを指すのかわからなくて
猫を飼ってる部署の面々に
いろんな意見を聞いて回ってた(笑)


もう飼いたくてたまらんのは
明らかだけど、自信がなかったんですね。

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2011年2月。

いよいよ肚を括ろうと
最後の長期旅行、と決めてハワイへ行った。

ハワイでも、ふっとした瞬間に
「猫を飼ったら……」
と自分にできることを妄想してばかりで
同行者に笑われた。

「正解はわかんないけど、
そこまで思い悩む本野が飼うなら
不幸になることだけはないんじゃない?」

と励まされたり。
帰国して、引き取る相談を具体的に
開始して1週間後に、あの地震がおきたんだ。



幸い、東京はさほどの被害はなかったけど
あの日、帰れなくなった友人が
入れ替わり立ち代わり、我が家に寄って
休憩して、徒歩でまた家を目指し、
親友は我が家に泊まって、
テレビのニュースを凝視し続けた。


避難所のペットたちの様子を見て、
わたしは一度、飼うことを諦めました。


家にいるときに被災したならまだしも、
仕事で離れた場所にいたら
閉じ込められたペットたちは
どうなるんだろう。

ひとりで、自分だけじゃなくて
猫のことも守って、
避難生活を自分にできるんだろうか?


考えれば考えるほど、
「なにもできない」
と落ち込むばかりで。

今振り返ると、この無力感は
飼おうとしていた猫のことより
テレビに映る被災地と
自分の生活のギャップのものが
大きな原因だったのだけど
全部ごちゃまぜになって、
つらくなるばっかりで……
ボランティアに行っても、
支援物資を募る活動や
西日本のクライアントさんに協力を
仰ぎに出向いたりしても
気が塞ぐばかりだった。


傲慢だけど、
誰も救えない自分
ってのに打ちのめされてたんだな。


仕事も、余波でキャンセルが相次いで
溜まりに溜まっていた有休代休を
消化すべく、ひとりで島根へ出かけ
ミネラルウォーターの企業さんに
提供依頼へ出向いたりしてみたり。

5月から、リスケ保留になってた仕事が
一気に動き始めて、
贖罪のような気持ちで、通常の5倍もの
案件をひとりで切り盛りしまくって
2ヶ月間本気で無休、睡眠5時間未満を
ぶっ通しで続けて。


心配してくれてた知り合いのお兄ちゃんが

「本野。
なにもできないからこそさ、
猫、やっぱり引き取ったら?」

と。


今もまだ、本当に自分のことで
精いっぱいのわたしの元に
この仔を引き取ってよかったのか。
幸せを与えられているのかはわからない。

きっとお互いが死んでもわからない。
種も違うし、なにより、
人間同士だって、わからないんだから。


ただ一つ、ハッキリしてること。


わたしは、幸せだ。
毎日、幸せだ。

ただそこで、自由に過ごしている猫を
眺めているだけで
多幸感が湧き上がってきて、
世界中にこの感情を配りまわっても
有り余ると思う。


それだけで、充分だと思う。
万が一、突然明日目が覚めないまま
「死」を迎えることになっても
この幸せだけは変わらない。


あくびをする。
ごはんを食べる。
じゃれてくる。
時々寝言を言う。
すやすやと寝息が聞こえる。


そこにあるだけで、
こんなに幸せな感情を
わたしの中に満たしてくれる存在がいる。


自分だけなら、その日暮らしの流浪を
しても、なんだかんだやっていかれると
妙な自信があるけれど
猫にはそれは負担しかないと思う。

だから、わたしは家を買った。


この仔が最期まで、
安心しきって爆睡して、
お腹丸出しで遊んでいられる
その縄張りを、安全な家を
確保しておきたかったから。


経済的損得とか、
投資的価値とか、
まーどーでもいい。


地震や火事など天災・人災は
いつ起きるかわからない。
野良猫でいても、
飼い猫でいても、
人間だって、いつ最期がくるか
どんなものかなんてわからないから。



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猫に対して思うように、
仕事に対しても、
他人に対しても、
後悔しない本気を差し出し続ける。

そんな猫的人生を、わたしはいきたい。






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