おはようございます、ねこです月曜にゃー。
 
 月曜恒例「ひとり朝活」です。
 

「ひとり朝活」って?

 
テーマから思い浮かんだ最初のコトバを
深掘りしていく自問自答ワークになります。
コミュニケーションや情報発信、
仕事への姿勢や、人生の価値観を
自覚して、自分軸を持つことが
スムーズに、楽に、自由に生きる
コツだと感じてます!
 
「なんで?」
「いつから?」
「誰の影響?(誰とのこと?)」
「どういうこと?」
「どんな風に?」
と、とにかく自分に畳み掛けていくものです。
好きな場所、好きなタイミングで、
10分間自問自答を集中して行い、
出てきたコトバを単語メモでも、
箇条書きでもいいのでメモしておいてくださいメモ
 
ブログやメールマガジンを発行している方は
ぜひその内容をまとめてアウトプットに
挑戦してくださいね。
 
「自分」が整理されて、
価値観や言葉が自覚されていきますよ♪
 
 
 

テーマ「今、1番会いたい人は誰?」

おばあちゃん
です↓☆
4年前に他界してしまった、
母方の祖母。
 
 
→「なぜ?」というと
 
わたしは、物心ついて幼稚園卒園まで
祖父母の家で育ちました。
小学校からは、両親と祖父母と
同居して、ずっと一緒だった。
 
 
共働きの両親に代わって、
面倒を見て、育ててくれたのは
祖母でした。
 
祖母は、突然倒れて
そのまま帰らぬ人となったので
看取ることはもちろん、
誰ひとり予想もしてない急な
お別れでした。
 
→わたしが結婚を決める
約半年ほど前の出来事でした。
 
 
誰より、わたしの幸せを
願ってくれて、
誰より、わたしを理解してくれて、
誰より、わたしを信じてくれてた
最愛の人。
 
母親以上の存在なんです。
地元は早く出たかった。
母とは折り合いが悪くて、
鬱陶しいという思いも抱いてしまってた。
 
だけど、祖母には一度も
感じたことがない。
 
 
→旦那さんを紹介できなかった。
花嫁姿を見せられなかった。
 
未だに、後悔しています。
 
 
→わたしの価値観、人格・性格、
行動基準、思考回路。
全ての基盤を作ってくれた祖母。
 
結婚して、個人での起業活動に
挑戦してみて、
そして、それを中止して
会社の業務に専念しようと
決意して、
それでも欲張りに好きなこと、
やりたいことをやっていて。
 
 
おばあちゃんが教えてくれた
考え方や価値観が、
どんどんどんどん表面に出て来る。
 
気づいたら、
あれ?「知っていた」ことだった
ってこと、日に日に増えてる。
 
 
→本当に貧しい家庭で、
炊事裁縫掃除となんでも自分でやって、
そういう家事育児を手抜きせず、
自分たちの食べる野菜を育て、
丁寧に丁寧に生きていた祖母。
 
いつも何かしらやってて、
働き者で、努力を当然のように
一生していた。
 
時代のせいで、小学校もろくに
通えず、戦後、家のために
働いて、就職も早くて、
結婚してからは家庭に入って
飲むと面倒な頑固者の夫を
支えて、立てて、
田舎の濃密な人間関係の中、
親戚たち全員に慕われてた。
 
近所の人たちからも
「おばあちゃん」と頼りにされて、
友達のお母さんなんかも
よく相談に駆け込んできていて
みんなに平等に、真摯に向き合ってた。
 
就職もしたことがないのに、
祖母の葬儀は想定以上の弔問客に
恵まれて、香典返しを葬儀屋さんが
二回も追加で搬入してきてくれました。
 
 
→わたしの理想の人間像は
祖母でした。
 
前から、そう思ってはいたけど、
自覚以上に、とてつもなく、
どんどんと、
「ここも」「あそこも」
「これも」「こんなところも」
祖母の姿、生き方だった。
 
おばあちゃんがわたしに
遺してくれたものは、
こんなに大きくて、
わたしにとって大事で、
とんでもない財産だよ。
 
幾つになっても、お小遣いを
用意しておこうとしてくれて。
年金暮らしになっても、
わたしのためのポチ袋と
お札を絶対用意してくれてたね。
 
申し訳なさそうに
「少ないけど」って。
「美味しいもの、食べて、
体に気をつけて」って。
 
 
 
お金なんか、いらない。
 
買えないものを、わたしにくれた。
 
何もいらないから、会いたい。
もっと、たくさん会いに帰れば
よかった。
地元を嫌って、仕事ばっかりして、
何も返せなかった。
 
 
 

やってみるメモ

 
チェックお墓参り
 
個人的な考えなので、他の意見を
否定したいのではありません、
あしからずご了承くださいね。
 
わたしは、お墓も、お墓参りも
重要視していません。
悪いことじゃないと思ってますが、
同時に、「そこにはいない」と
思っているから。
 
葬式だって、お墓だって、
残された者のためのものであって、
亡くなった人には関係がない、と
考えています。
 
形式のためだけ、ましてや開運とか、
厄除けのような意図の墓参は
意味がないと思ってる。
 
 
いつであっても、
墓前、仏壇前でなくても、
手を合わせ、想うということが
大事なんだろう。
 
 
だけど。
 
確かに、お墓や仏壇は
「会いにきたよ」という
想いを行動でしっかり明示できる
暖かな行為だとも思う。
 
 
おばあちゃんに、会いたい。
聞いてほしいことがいっぱい。
返したかったものが、いっぱい。
 
このお盆は、
 
こんなに幸せだよ。

って改めて伝えに行きたい。
 
 
 
 
 
 
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