読者登録している方が以前、「今求められているのは経済的な評価ではなく、そのものの価値を評価すること」というような概要を書いていらっしゃって感銘を受けました。
そうですね、気がつけばやたらに経済的な評価が即そのものの価値をあらわしているような風潮がますます強くなっている傾向のように思います。
久しぶりに安部公房氏の「砂の女」を読みました。
その中で、
「観光産業は当然名所があってその名所の絵はがきができる。しかし最近のご時世は先に絵はがきを作ってそこが名所になるようだ」
というような記述があり、はっとしました。
名所そのものの素晴らしさが絵はがきになるより先に、善意をこめていえば、絵はがきが名所を創造するということでしょうか。
だいぶ前の話ですが、うちの母が以前車を買い換える際に試乗し終わって、
「じゃ、「これ」下さい」
と言ったらディーラーさんが、
「では後日お届けしますので、いつがよろしいですか?」
と尋ね、うちの母が激怒!
「あなた私は「これ」を下さいと言っているんだから」
と、試乗用に使っている車を気に入ったようで、
後日同じ車種の車が届くと言っても、それは違うものだ!と、帰宅してから僕に散々当たり散らされたのにはほとほと困りました(笑)
今思えば、「これ」と指差す母にとって送られてくるであろう車は自分の指差した「これ」でなかったら、「これ」ではないでしょう、という理屈も分からなくもないです。
インターネットがこれだけ浸透し学校でかつて習った「情報化社会」とやらが日常になると、学生時代にはどれだけ便利になるかと目を輝かしたものですが、
実際になってみると、それはそれで問題もあるのかもしれません。
母が指差した「これ」の手堅さに勝るものはないわけですね。
つまり恐らく経済的評価(ヒットチャートなど)も、そこに「同等のもの」とみなす背景が車の車種や絵はがき、ネット広告と同じくあるのでしょう。
そりゃ確かにお金や言葉を使うこと自体が、「同等のもの」とみなしているからに他なりませんが。
けれども、いつの時代も僕たちは「これ」の手堅さを追求してやまない。
僕はそう思います。
ユアミュージックと名付けた由縁もそこにあります。
何かと同等のものとして分析しサポートするのではなく、
うちの母がいう「これ」の圧倒的な存在感を尊重するのです。
しかしながら「これ」を伝わることは、これまた容易ではありません(笑)
暑くなってきましたね。
水分補給をしましょうね。
飲み物だっていつも同じとは限らず、いつも違う環境にあるわけですし、僕たちもいつも違うコンディションで生きているわけです。
試しに飲む時には「これ!」って心の中で叫ぶと、水分の浸透がより効果的かもしれませんね(笑)
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