Language Surgeon│50代、書くことで、心を整える

Language Surgeon│50代、書くことで、心を整える

書くことで心を整える、50代の私の日常。
昭和世代のあるあるや気づきを、ゆるっと綴ります。

「お前には俺は必要なのか?」そう言われた夜、私は一瞬、言葉を失った。この問いを投げてきたのは配偶者ではない。長い時間をかけて関係を築いてきた、いわば“セカンドパートナー”とも呼べる人だった。冗談でもなければ、感情に任せた勢いでもない。ただ静かに、本気の声音でまっすぐに。私は、すぐには答えなかった。迷ったわけではない。けれど、「必要」という一言で片づけるには、あまりにも長い年月がそこにあったからだ。私たちは平坦な道を歩いてきたわけではない。近づいては離れ、もう関わることはないだろうと思ったこともある。それでも完全に切れることはなかった。気づけば、その人は人生の重要な場面にいつもいた。日常のちょっとした困りごとが起きたとき、ふと頭に浮かぶのは配偶者ではなく、その人だった。そして、家庭内でかなり厳しい状況に立たされたとき、何も言わずに見守ってくれたのも、その人だった。一方の私は、毎日のようにスキマバイトを入れ、働いて、消耗して、稼いだものを生活の中で吸い取られていくような感覚の中にいた。そんな私に、その人は言い続けた。「早く別れるなり、離れるなりしろ」「そのままだと、お前が壊れる」正直、最初は厳しく感じた。けれど今ならわかる。どうでもいい相手に、人はこんな言葉を繰り返さない。あの言葉は命令ではなく、“自分の人生を生きろ”という促しだったのだと思う。そして私は、少しずつ変わった。恐る恐る、自分のためにお金を使った。罪悪感を覚えながらも、「これは私の人生だ」と言い聞かせながら。象徴的だったのが、メルカリでデパコスの化粧水をぽちった夜。配偶者に好かれるためではない。誰かに評価されるためでもない。ただ、その大切な存在と並んだときに、胸を張れる自分でいたかった。そこでようやく気づいた。「必要か?」という問い自体が、どこか違うのだと。必要だから一緒にいる——そんな損得で続く関係なら、とっくに終わっている。もっと静かで、もっと深いところで、すでに互いの人生に組み込まれている。だから、あの夜、私は即答しなかった。必要かと問われたら、答えはきっと「必要」。でも、その理由は一言では済まされない。長い時間、積み重ねたもの。支えられた記憶。変わっていった自分。そのすべてを「必要」という二文字に押し込めるのは、あまりに乱暴に思えた。大切な存在に対してほど、人は少し沈黙する。それが誠実さだと思う。問いが違う。必要かどうかじゃない。もう、とっくに——私の人生の一部になっているのだから。そしてあの夜、メルカリで静かにぽちったのは、誰かに愛されるための一本ではない。自分の人生を取り戻し始めた私にふさわしい、Givenchyの化粧水だった。