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いつも大変お世話になっております。気まぐれですが、世の中があまりにも変わってしまったのでー。この先を生きていく人々へ送ります。皆さんの周りの人たちを大事にしてください。家族をはじめすべての方々をいつくしんでください。年寄りを労わってください。日本人の素晴らしいところは、人を大事にする心を持っていたんです。私の父とか母は、厳格でした。気位高かったです。父の叔父は、元新聞記者で、作家であり、リーチ麻雀の先駆者でもあります。子供の頃父が、酒乱だったため夜中にランドセルを担いで母と子供3人で板橋にある叔父の家に避難したものです。私の記憶では4,5回はあったと思います。父はその叔父に頭が上がりませんでした。酒ガ抜けて数日すると土下座して迎えに来たものです。素面の父は内弁慶の小心者の東大の整形外科医(主流派ではなく音羽の分院医)昭和40年ごろ。42年ごろにリヤカーで長屋住まいの西ヶ原から巣鴨地蔵通りのお地蔵さんの前にあるパン屋兼お菓子屋さんの2階で開業します。以前は精神科だった「巣鴨診療所」です。家族は其処の3階に住むことになります。まだ都電の走っている時代です。子供3人は越境入学で「文京区立誠之小学校」へ都電で通いました。その当時の東大進学裏ルートです「誠之~六中~小石川~東大」まだまだ、駄菓子屋とか駄菓子屋の中のお好み焼き屋さんがありました。そこにはおばあさんが必ずいましたよ。でもねー子供たちは忙しい大人から離れて少なくても近所の5,6人のグループで行動してました。「東京スイミングスクールのできる前の空き地。通称「諸永グラウンド」とか、巣鴨にあった「三菱グラウンド」ここはサッカー場だったけどよく遊びましたね。いつもはお地蔵さんの境内の裏で野球してました。勿論、庭球とか布球を使ってですが^^軟球を使っては東大のグラウンドまで行かないとできませんでした。管理人の目を盗んででしたけどね^^世の中のルールが今とは違って整備されていませんから子供たちは遊び場を選びながら遊んでいました。子供たちは今、遊び場さえも選択できない世知がない世の中になってしまっていますねー。近所には必ず口うるさいおばあさんやおじいさんが子供たちを見守っていたのにーそのじいさんばあさんも自分の主張権利など云うものだから・・・時代が変わってしまいました。子供たちよりも自分たちなんですよねー子供に声さえかけられない時代になりました。他人の子を叱ったらいけない時代です。なんでこうなってしまったのかな?日本人の大事な「無言の信頼関係」なくなってしまったんでしょうね。