夫婦の絆 | you家のいろいろ☆ネフローゼママの食物アレルギーっ子育て

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2013年10月微小変化型ネフローゼ症候群発症。寛解し約一年でステロイドも終了。順調だったのに2017年11月再発(;´д`)
自分の病気、息子のアレルギーや発達障害など…いろいろあるけど頑張っていこ♪


10月の終わりに祖父が他界しました。



そしてその二日後

祖母も亡くなりました。。。





母方の祖父母には

特に私が小さい頃は大変お世話になりました。


うちの家庭は共働きだった為

学校から帰って来ると誰もいない。


それを気にして

低学年の頃は毎日のようにうちに来て

帰りを待っていてくれた祖母。


車だと30分位の距離だけど

免許を持っていないので

地下鉄、電車、バスを乗り継いで

1時間以上はかかっていたはず。



夏休みや冬休みには

長期間泊まりに行って

いろんな所にも連れて行ってもらって。



祖父はとても優しくて

祖母は少し厳しい。


よく祖父と一緒に祖母に怒られたり。

でも祖父は『また言ってるね』ってお茶目な顔して笑ってたなぁ。


一見祖母の方が強いように見え

祖父は言われ放題だったけど

「いい人と一緒になれて私は本当に幸せ者。」

「おじいさんにとても感謝している。」

と、祖母は祖父のことを敬っていた。


そんな素敵な夫婦でした。



祖父は定年後も町内の仕事を頼まれて断れず

忙しくしていて

75歳位の時に腰を悪くし

そういった仕事もできなくなり

出歩かなくなり

何もせずただ寝て起きての生活に…。


それまで頑張り過ぎていた反動で

何もする気が無くなった感じでした。。。


初めのうちこそ多少の会話はしてくれたものの

しばらくしてからはほとんど話さず笑顔も消えて…。


ほとんどの時間をベッドの上で寝て過ごし

食事も流動食になり。


二人暮らしだったので祖母が全部面倒をみていました。


確かオムツは一応使っていたはずだけど

トイレでしたい気持ちはあり

大きな身体の祖父を小さな祖母が介護する。。。


そんな生活が何年も続きました。



祖母はなんでもチャキチャキとこなし

身体も丈夫なのが自慢でしたが

今年の夏に圧迫骨折をし

祖父の世話も厳しくなりました。


祖父もその時食欲がなくなっている状態だったので

一時的に入院させてもらえることに。


その間も祖母は一人で暮らし

病院も徒歩で行ける距離なので

コルセットをして毎日のように病院へ。


通っていた整形外科では

出来るだけ歩くようにと言われていたそうです。


同じ病院に長く入院する事が出来ないので

祖父は少し離れた病院へ転院。


点滴で栄養を摂るようになってしまい

胃ろうをする予定だったのですが

事前の検査で胃ろうすることができる状態ではないとわかり…。


喉に痰が詰まるので

取ってもらわないといけなくて

そしてそれが上手く取れないと息が出来ないので

いつその時が来てもおかしくないと言われてしまいました…。


祖母は

圧迫骨折なら次第に治っていくことが多いらしいのですが

一向に良くならず

逆に痛みも増し食欲も無くなって…

整形外科で薬を出してもらった際

同時に飲む胃薬が毎回分出されておらず

そのせいで胃が荒れてしまったんじゃないかと言っていて

あそこへはもう行きたくないと

病院を変えてみることに。


それが10月の半ば。



痛みが強く、一人での生活が困難な為

新しく通うことにした整形外科に

しばらく入院させて貰えることになったのが

その一週間後。



そして翌週、母からの一本の電話。


「おじいちゃん、だめだった…」



最期には誰も立ち会うことができず

一人だったそうです。。


さらに


「おばあちゃんね、良くない病気がみつかったの」


……膵臓がんであちこちに転移していると。



整形外科に入院後

内科の検査も受けた方がいいと言われ

元々祖父が入院していた総合病院へ

検査を受けに行ってわかったそうです。


圧迫骨折もガンの転移で

骨もやられてしまったせいだろうと。



そのまま転院となった翌日に祖父が他界。



祖母が祖父に最後に会ったのは

一週間以上は前だったと思います。


10年間献身的に支えてきた夫の最期に立ちあうことなく

お通夜、告別式でお別れをすることも出来ませんでした。



そして火葬場で最後のお別れをする個室に入ったときに

病院から連絡が。


祖母の心臓がとまりそうだと…。



母だけが病院に走り

皆なんとも言えない気持ちで祖父とのお別れをして

火葬が始まって個室を出たタイミングで

祖母が息を引き取ったとの連絡がありました…。



母は間に合いませんでしたが

祖母のお姉さんが火葬場に行かず見舞いに行ってくれていたので

祖母の最期は一人ではなかったようです。




生前から祖父も祖母も言っていたこと。



『一緒に逝くから』



まさか本当に一緒に逝くなんて…。




祖父が一人では寂しくて手招きしたのかな。


自分が先に死ぬことはできないと言っていた祖母も

役目を終えたと安心したのかな。


手を繋いで一緒にお空へ昇って行く姿が目に浮かびます。。。



『余命◯ヶ月』とかよく耳にするけど

祖母はガンだとわかって3日後…。


そんなことってあるんですね。



祖父のお通夜の前の湯灌の儀式には

病院に外出届けを出して来る予定だったのに

来られなかった祖母。


お通夜までの空いた時間に

祖母の様子を見に病院へ行ったのですが

あまりに変わり過ぎていて愕然としました。


祖母だと言われなければわからないくらい…。


つい半月前に会った時は

痛みはあって動きもゆっくりだったものの

まだいつもの祖母だったのに

病床に伏す祖母の姿は見るに耐えなかった…。


限界まで痛みに耐え

頑張っていたのだと思います。


本当に本当に強い人でした。。。



祖父のお通夜から祖母の葬儀まで連続で4日間。


残された遺族は二重の哀しみでしたが

逆に祖母が苦しむ姿を見ながら

いつ逝ってしまうんだろう…と哀しむより

祖父と一緒に天国へ行けてよかったんだ、と思うことで

哀しみは軽くなったように思います。



いつも一緒だった祖父と祖母。


その絆は想像以上に強いものだったのですね。


これからも天国で

二人仲良く寄り添って過ごしていくんだろうと思います。



そして

祖父が亡くなった翌日

祖母が亡くなった前日は

私たち夫婦の9回目の結婚記念日でした。


お祝いの日だから

その日は避けてくれたんじゃないかな、なんて思ったり。


結婚10年目になりましたが

結婚記念日には祖父母夫婦を思い出しながら

二人の様に絆を深め

いつまでも素敵な夫婦でいたい。


心からそう思います






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