心屋認定心理カウンセラー
梶ヶ谷ようめいです
読んでくださる方がだんだんと増えてきたので
はじめまして…の方に向けて
プロフィール欄に記していた内容に肉付けしたものを記事にすることにしました
だいぶ長いので2つにわけています
<幼少期>
幼少期・小学校
理由がわからず、仲間外れや嫌がらせの対象となることがよくあり、小学校1年生の時には、クラスの男子ほぼ全員から囲まれることがありました。
この時テキストが無くなって近所の山から中に貼ってあったシールが全てはがされて見つかることもありました。
その後の学校生活は、時々遊ぶ同級生はいるものの仲の良い友達はできず、私自身も過敏になっていたのもあると思いますが、なにかあればいやがらせに発展していました。
段々と自分が我慢をすれば長くは続かないことがわかり、我慢をしてやりすごすようになりました。我慢の限界がくるときに言い返すことはしていましたが、多勢に無勢…返り討ちにあっていました。
小学校時代はあんまり楽しい記憶はありません。
学校へ行きたくありませんでしたが、それが許される家でもなかったし
自分自身も行かなくては行けないと思っていました
小学校6年生
小6の時に同級生が海の事故で亡くなる事故がありました。
直前まで自分もその近くにいたことで、彼の友人から「お前のせいで死んだ」と直接言われます。
このことが自責・他責の念を染みつかせる最大の出来事となったと感じています。
自分のせいだと言われたこと、自分のせいかもしれないと思ってしまったことを誰にも話せず、自分で処理しきれなくなり、段々とふさぎ込むようになりました。
この頃から、他の人は自分の考えを全て読めるのではないかという妄想を持つようになっていました。この妄想が薄れたのは中学2年の頃だと思います。思い返すとかなり病的な状態だなと思います。後に母親からは当時うつだったんじゃないかと思うと言われました。
「お前のせいだ」と言ってきた相手がチームメイトにいる、もともと嫌だった地元ソフトボールチームをやめたいと母親に泣きながら頼みましたが、父が役員をしているからメンツを守るため我慢してほしいと断られ、逆らえずに通い続けることになります。
この出来事がきっかけで「わかってもらえない」「嫌なことはやめられない」「自分の意見は言ってはいけない」というような類の前提を抱えることになりました。
※これはずっと古傷として触れられずにいましたが、心屋マスターコースに通い、自分と向き合う中で両親とあらためて話す時間を持つことで、解消することができました。
<結婚前>
※結婚前に関してはこの記事を読んでいただくと私のめんどくささがよくわかると思います(笑)
<社会人>
結婚、長女誕生
24歳で結婚。26歳で長女が誕生しました。子どもが生まれたことをきっかけに、サービス残業が基本だった職場(福祉の現場)の環境改善にも取り組むようになりました。
当時は子育てをしている男性が職場にいなかったこともあり、新たな効率的な働き方や取組みを提案したりサービス残業を拒むことについて理解がされずに注意を受けることもありました。※子どもはめっちゃかわいかったし、保育園の行事も楽しかったんですが…
うつ病、長男誕生
28歳の時に2人目の子どもが生まれた年に、うつ病になります。妻は子供二人を連れて出ていき、購入していた新築一戸建てについては「一人で住んでいるのはおかしい」と注意を受け、泣く泣く売却します。
職場からはダメの烙印を押されて、病状は悪化し、自死念慮、自暴自棄なことが増え、休職を余儀なくされていきます。
※社会から消え去りたくて真夜中に山の中に歩いていって見つけたベンチで横になったり、高速道路を涙ボロボロで走ってトラックに突っ込みそうになったり色々あったころです。よく生きてたなってこれを書いてて思いました。
休職、休む練習
実家に帰省して療養生活を始めました。はじめは休み方も好きなこともわからず、好きだったミスチルや槇原敬之の曲も全く聴きたくなく、本当にどう過ごしてよいかわからず、「休む練習」から始めました。
この年、心理学系の本や仏教やキリスト教などの宗教に関連した本、生き方などの本を読み漁りました。参考になることもいろいろと試してみました。今だから笑い話ですが、「死んだふり」っていうのもやってみました(笑)もうこの頃は藁をもすがるです…。
出会い
本をたくさん読むうちに、ある作家…遠藤周作さんの価値観に出会った時、「この人なら自分の気持ちをわかってくれるかもしれない」という生まれて初めての感覚が起こりました。孤独感から解放された瞬間でした。
会ってみたいと思いましたが、すでに亡くなった作家さんであったため、会うことはできませんでした。それでも「自分のことを理解できるかもしれない人がこの世に存在していた」これは私の大きな勇気となりました。この出会いは大きな転機となりました。
※彼からもらった新しい価値観は私の宝物でした。来年2017年に遠藤周作さんの原作が映画化されるのも何か不思議なご縁を感じます。
自前の復職プログラムとうつの完治、天然の魔法の言葉
医師からそろそろ職場復帰も考えても良いかもしれない…そう言われたため職場に相談したところ、「プログラムを用意する」表面上は言ってきましたがプログラムは出てきません。自身で復職プログラムを考えることにしました。
うつが治る感触こそなく、一生このまま治らないのでは・・・と思ってもいたときでしたが、復職プログラムを実行する過程で私は、うつのままでもやれることはあり、うつのままでも生きていくこともできると確信を持つようになります。
そんなときに
「もううつのままでもいいや」と思うようになり
「うつのままでもいい」と無意識に口にするようになりました。
そこからの好転はすごく早かったように思います。その後。無事に復職を果たし、1年間無理をせずに働く中でうつ病完治の感覚を自分でも感じ、医師からも太鼓判を押されて通院も終了となりました。※この経験が心屋の「言ってみるカウンセリング」の効力を信じられる下地になっていることは言うまでもありません。