「これを……お父さんが?でも、夏美はどうやってそれをーー」

 「手紙っ。お父さんがいなくなる前に手紙渡されてたの、この家を出るときがくるまでは絶対に読んじゃ駄目だっていって。でも約束破って読んだらこの袋見つけたの、どうしようお母さん」

 頭の中がパニックを起こしていて理解が追いつかない。唯一わかるのは、今目の前にあるものが六年前に現れた南が探しているといっていたものかもしれないということだ。でも今はそれよりもーー。

 「夏美、中身全部数えてみよう」

 夏美は頷くと袋の穴をさらに広げ、中にある札束を取りだしはじめた。景子がそれを受け取って数えながら布団の上に並べていく。

 「ーー85.86」

 夏美は袋同士の間もすみずみまで確認している。

 「これで全部、他にはなにもない。これさ、一つ百万だよね」

 布団の上で小さな山になっている札束に目を移す。そのどれもが緑色の細い輪ゴムでとまっていて、一つとして帯封をされているものはない。明らかにまともな類のお金でないことは察しがつく。

 「だと思う」

 「ってことは八千六百万か……お父さんこのお金どうしたんだろ」

 夏美はこのお金の出所を知らない。金額を数えてみて確信した。南が探していたものは間違いなくこれだ。長年しつこくこの家にまとわりついていた理由も納得できる。

 ふと景子の中で一つ疑問が生まれた。

 省吾は逃亡生活をしていくためにお金が必要だったはず。それなのにこんな大金を自分たちに残していった。そしてあれ以来一度たりとも連絡すらない。

 本当に……本当に省吾は今どこかで生きているのだろうかーー。

 嫌な想像だけが膨らんでいくが、今ここで考えても答えは出ない。それをわかってはいるのに、省吾の安否が頭を過ってしまう。

 お母さん!と呼ぶ声がして我に返った。

 「このお金持ってすぐに出ていこ、この家から。あいつにも見つけられないぐらいに遠くまでいってやり直そうよ。これだけお金あればどうにでもなるでしょ。それに、お父さんのことも探したい」

 「ちょっと待って、すぐに出ていくっていっても学校はどうすんのよ」

 「そんなのどうだっていい、どうせ高校なんかいかないんだし」

 「でもーー」

 「お母さんがっ、お母さんが風俗やってんのわたし知ってるよ。薬やってんのも。でもお母さん知らないでしょ、わたしがあいつにレイプされてること。やだよ、こんな生活……もううんざり……」

 景子は夏美の体を抱き絞めて背中をさすった。まだ小さかった頃の夏美が泣くたびいつもそうしていたように。目頭が熱くなる。

 「ごめんね、辛い思いをさせて……。夏美のいう通りにするから、もう辛い思いはさせないって約束するから。荷物まとめよう」

 「ゔん……」

 タツミには後日連絡しよう。説明すればきっとわかってくれるーー。

 夏美の体をゆっくり離した景子は、押し入れの奥から皮の剥げたボストンバッグを引っ張りだした。

実家を飛びだしたときに荷物を詰め込んできたバッグだ。またこうして使うことになるとは思ってもいなかった。

 ボストンバッグの中に現金を全て入れ終えると、もう隙間はほとんどなかった。景子の下着や最低限の衣類は夏美のスクールバッグに詰め込んだ。

 パンパンに膨らんだスクールバッグのチャックを閉めていた夏美が途中で手をとめた。散乱している押し入れの中に上半身を入れてなにかを探したあと、手にはカバーがやたらと光っている日記帳のようなものを持っていた。

 「なにそれ」

 「あ、これ?これねーー」

 夏美はページをめくって間に挟まっている写真を取りだして見せてきた。

 「懐かしいでしょ」

 「……うん」

 幸せそうに写っている家族三人、誰一人としてこんな未来が待っているとは思ってもいなかったはずだ。

 バタンッーー。

 外から車のドアを閉める音が聞こえて景子と夏美は目を見合わせた。

 二人はなにも言葉を発さずに阿吽の呼吸で、散らばったものやバッグを押し入れにしまって布団に入った。間一髪のところで間に合った二人は、身を寄せ合って眠っている振りをした。

玄関から聞こえてくる足音は居間でとまることはなくどんどん近づいてくる。すると突然かけ布団を勢いよくめくられた。

 「おめえらなに狸寝入りしてんだよ起きろっ」

 南が珍しく息巻いている。しかしまだばれてはいないはずーー。

 「なんだよあの表の穴はっ、なに掘ったんだよ、答えろっ」

 隣からくる小さな震えが景子にも伝染しそうになる。

 「わたしが掘っただけだけど、なにか問題でもあるの」

 声が震えそうになるのを堪えていった。

 「そんなこと訊いてんじゃねえよ、なに掘ったんだって訊いてんだよっ。それに掘ったのはおめえなんだよな?じゃあなんで娘の服だけ汚れてんだよっ。おいガキ娘っ、あの穴の中になにがあった」

 「だからわたしが掘ったんだってば。昔客からもらったーー」

 「るせぇっ」

 南の足が見えた次の瞬間、顔面に重い衝撃を受けてうしろに倒れた。

 「お母さん」

 「どうせこんな狭い家じゃ隠す場所もねえか」

 南は部屋の中をぐるっと見回してから真っ先に押し入れを開けた。土のついた黒いビニール袋をつまんで取ると、にやっとしてそれを放った。次にチャックを開ける音がした。夏美が急に立ち上がって居間の方へと走っていく。南もその足音に気づいているはずだったが気にもせず、ボストンバッグを押し入れから出して中身を確認しはじめた。

 「これ全部でいくーー」

 「今すぐ出てけっ」

 振り向くと部屋の入り口に夏美が戻ってきていた。  

その手には包丁が握られている。

 「出てかないならお前を殺すっ、それ置いて早く出てけっ」

 「夏美ぃ、危ないからやめてっ」

 「こいよガキ娘……こいよおっっっ!……こねえならこっちからいくぞ」

 「やめてっ、そのお金はもういらないから夏美に手をださないで」

 夏美が持っている包丁を両手で握り直して切っ先を南に向ける。南は押し入れの中に手を突っ込んで服をつかむと、それを全部夏美に投げつけた。と同時に蹴りを二発見舞った。

 「うあっ」

 包丁が飛んだ方とは逆へ夏美が倒れる。

 「夏美っ」

 景子は飛びつくように夏美に覆いかぶさった。すかさず太い棒で殴られたかのような鈍い痛みがつぎつぎと体に襲いかかってくる。

 「おめえら二人ともよ、あの男と同じように、おらぁ、このまま殺してやろおか、おらぁっ」

 体の下からすすり泣く声が聞こえてくる。

 やっぱり省吾はーーうっ、生きてなかっーーあっ。

 ピーンポーン、ピーンポーン。

 「誰だ、あの若い男か」

 そんなわけない……タツミなわけがない。首を横に振るのがやっとだった。

 ピーンポーン、ピーンポーン。どんっどんっどんっどんっ。

 《すいません、警察の者ですが少しよろしいでしょうか》

 「ちっ、んでだよこんなときに。ここで大人しくしとけ」

 南は包丁を拾って部屋を出るとうしろ手に襖を閉めた。二人はじっと耳を澄ませる。

 《昼間っからなんの用だよ》

 《こちらにとまっている車に何者かがいたずらをしているという通報がありまして……》

 《はあ?》

 《今わたしが確認したところ、本当にタイヤがパンクさせられているので、ご主人におはなしを伺わせていただきたいのですが……。急いでるようでしたらなるべくお手間は取らせませんので、少しだけお時間いただけませんでしょうか》

 《なんだよそれ》

 がちゃん、と鍵をはずす音が聞こえた。

 ガラガラガラーー。

 《てめーー》

 バチバチバチバチバチ、どたんっ。

 ーー!?

 なにが起きているのかはわからないが異様な空気を感じた。来訪者は警察と名乗っていたはずなのに、明らかに様子がおかしい。靴を履いたままのような硬い足音が少しずつ大きくなっていく。唾をのむ音がごくりと鳴った。足音がぴたりととまり、襖がゆっくりと開いていく。

 そこに現れた男は、映画やドラマの強盗シーンでよく目にするものと同じような黒い覆面をつけていた。一瞬目が合ったが男はすぐにそらして夏美の横にあるチャックの開いたボストンバッグに目をとめた。

 「あんた誰よ」

 夏美が声を震わせながらいった。男はまるで聞こえてなかったかのように無言でボストンバッグに近づいて手を伸ばした。

 「駄目っ」夏美がボストンバッグに体をかぶせる。「やめてっ、このお金はお父さんがわたしたちのために残してくれたものなのっ。このお金でお母さんとわたしはやり直すのっ。だから、お願いだから、やめてください」

 男は涙を流しながら訴える夏美の顔をじっと見つめていたが、首を横に振り手を差しだした。

 「やだっ。誰かーっ!助けてーっ!どろぼーっ!」

 男は強引にバッグを取ろうとはせず、困ったように立ち尽くして夏美を見ている。景子はその光景を不思議な気持ちで観察していると、視界の端を影が動いた気がした。目で追うと影の正体は南だった。南は台所の下の戸を開けてなにかをしている。そして立ち上がってこっちを向いた南の手には、黒いかたまりのようなものが握られていた。

それが銃であると気がつくまでに時間はかからなかった。

 景子が目を見開くと男も振り返ったが、そのときにはもう二、三メートルの距離で南が銃を構えていた。

銃口を男に向けたまま近づいてくる。

 「手ぇ上げろ」

 男が黙って手を上げると南が蹴りを入れた。腹を抱えて床に膝を突いた男に連続して殴る蹴るを繰り返し、黒い覆面をつかんで引き剥がした。

 「ーーてめえはたしか」

 南がこっちを見る。景子は驚きのあまり息がとまりそうになった。

 苦しそうに顔を歪めているのは紛れもなくタツミだった。

 どうしてーー。

 「どういうことだ、なんでこいつが金のことを……。まあこの際細けぇことはいいか。あとは負け犬同士で反省会でもやっとけ。ほらどけガキ娘」

 銃口を向けられた夏美の体を景子は力いっぱいに引っ張った。南はボストンバッグを拾い上げると景子を見た。

 「安心しろ、もうここにはこねえ。おめえらのことはおれの気まぐれで生かしといてやる。でも覚えとけ、少しでも余計な真似したときにはその気まぐれも引っくり返っちまうからな」

 そういい残して南は部屋を出ていった。

 「ーーどういうこと」

 「……」

 タツミは顔の傷を確かめているばかりで目も合わせようとしない。

 「初めからあのお金を狙ってわたしに近づいたんだろうけど、なんであなたが知ってたの、あのお金のこと」

 「……」

 「ーーこの人が」

 夏美はタツミを見て呟いたあと、思いだしたようにズボンのポケットからスマホを取ってどこかに電話をかけはじめた。

 「もしもし……事件です、拳じゅーーちょっとなにすんのよ」

 タツミが夏美からスマホを奪い取って耳に当てた。

 「すいません、中学生の妹がお酒呑んじゃたみたいで酔っ払ってて……」

 「なにぃってんのあんた、誰が酔っーー」

 「よくいって聞かせますんで、すいませんがこれで失礼します、それじゃ」

 タツミはそういってすぐにスマホの画面をタッチした。

 「返してよっ」

 「警察に電話するなら返せない」

 「なんでよっ、あいつのせいでわたしたちの人生めちゃくちゃにされたのっ。今あいつ拳銃持ってんだから警察にいえば捕まるでしょっ。それにお父さんのことだってあいつが……」

 気持ちは痛いほどわかる。できることならこの手で南を殺してやりたい。

 「警察にいったところでせいぜい銃刀法でしか逮捕できない、お父さんの件はもう証拠なんかないだろうから。そうなったら五年かそこらで出所してきみもお母さんも探されることになるんだぞ」

 「それなら逃げればいいでしょっ」

 「お金もないのに?」

 「あいつが捕まればさっきのお金返してもらえるじゃん、うちの庭から出てきたお父さんのものなんだから」

 タツミは真剣な表情をしたまま鼻から息を吐いた。

 「残念だけど金は返ってこない。あの金はお父さんが殺した相手から盗ったものだ。南が捕まってそれを喋れば間違いなくあの金は警察に押収されることになる」

 「じゃあどうしろっていうの、あいつになにもかも奪われたまま黙って見てろっていうの?」

 「そうはいってない」

 「いってるじゃないっ」

 タツミが初めて景子を見た。

 「取り引きしよう。おれがあの金を南から取り返してくる。一時間待ってもおれが戻ってこないようなら通報するなり好きにしてもらって構わない。でも一時間以内にあの金を持って戻ってきたら、そのときはそっちとこっちできれいに半分で割って四千三百万ずつ分ける。どうする、あんまりもたもたしてると南を捕まえられなくなるから、乗るか乗らないか今すぐ決めてくれ」

 「乗らないっていったらどうするの」

 「そしたら娘さんから通報を受けた警察よりも先に南を捕まえるだけになる」

 ならわざわざ取り引きなんかーー口から出かかった言葉を飲み込んで夏美を見た。夏美も景子を見る。どっちからともなくお互いに頷き合う。

 「わかった、乗る。もう一度だけあなたに賭けてみる」

 腫れた頬を押さえながらタツミは笑い、夏美にスマホを差しだした。

 「交渉成立だ」

 タツミは景子と夏美にしかわからないバッグの中身の金額を知っている。それに機を窺っていたかのようなタイミングで現れた。

そして銃を持っている南からお金を取り返しにいくという。

少しも怖がる素振りを見せずにだ。

それどころか自信に満ち溢れた顔をしている……。

 タツミくん、あなたはいったいーー。


 ここまでお読み頂いてありがとうございました。

より多くの方に読んで頂きたいと思い残りのストーリー全てノベルというサイトに掲載しています。

 よろしければ、引き続きそちらのサイトでお読み頂けたら幸いです。