あの西日本豪雨から6年

まだ爪痕は残っています。

自分の地区でも、裏山が崩れ、家屋が巻き込まれ、怪我をしたご近所さんがいらっしゃいました。

我が家も、目の前の道路が川のように水が流れ出し、ブルーギルが流されて行くのを見つめながら頭に浮かんだのは


あ、ヤバい…うきゃさん、帰宅出来んかも…


再び雨が振り出すま直前、出勤した旦那は、流水に追いかけられるように車を走らせたと言うっていました。


多分、生まれて初めての自然への危機感、だったかもしれません。


幸い、我が家は酷い被災はありませんでしたが、

それでも、床下浸水に遇い、

片付けていた時、自分は足を負傷し、町内は浄水場壊滅による断水となり、しばらく水不足に悩まされました。


自然相手にどうしようも無くて、雨が降る度不安は消えませんが、

未だ、〖完全復活〗とは言い難いですが、何とか、生活をしています。

色々、取り戻せないモノもありますがショボーン


それでも、みんな、生きていくしかないんですよね笑い泣き


頑張り過ぎなくて良いんです。

踏ん張りましょう筋肉


6月7日

午前8時44分

親父は旅立った

87歳

来年の誕生日には米寿のお祝いしなきゃ…なんて

来ないかもしれない

来年の誕生日を考えたりもしたが・・・

やはり、来年の誕生日は来ないのだ。


糖尿病から始まり、腎不全になり、人工透析になったり、肝細胞癌がみつかり、大学病院で治療を受け、癌との共存が始まった。


癌と告知された時点で、そう長生き出来ないと覚悟はしていたが、

それでも

まだまだ生きていて欲しかった

姉貴家族と話し合い、姉貴と自分が交代で付きっきりの介護を始めたのが約3年前


そして、その介護は、昨日

終わった


介護に後悔は無いと言いながら

まだ出来る事は有ったのでは無いか?

やり残した事が有ったのでは無いか?

と、思わない事は無い


片腕だけの自分だから、よく親父が倒れるのを支えきれなかったりしたし

喧嘩して怒鳴り合ったり

力不足だったし


ゴメンよ

親父おじいちゃん


でも、親父が親父で良かったよ…

次にまた逢えるなら

また家族になりたいよ


自分は

親父を介護していた間、伸ばしていた髪を切った

その髪を赤い糸で縛り、親父の手の中に忍ばせた。


最後に、自らのケジメとして、火葬場の点火スイッチを押したメラメラ


「悪いけど、オレは臨終は立ち会わないよ、


姉貴にそう話した。

我儘かもしれないけど、

それは自分が堪えられないから・・・

親父を送るまでは泣きたくなかったから……


「いいよ、あんたがそう決めたなら、それで良いからね…」


姉貴は納得してくれて、1人で親父を看取ってくれた。


そして、今日

親父の小さな身体は小さな骨壺に収まり…姉貴の自宅に帰った。

親父が子供時代に、疎開し、暮らした海辺へ……

四十九日まで姉貴が祀ってくれる。


ゆっくり出来るね

潮風に吹かれて


なぁ、親父

お母さんや弟には逢えたかなぁ❓

オレ達が逝くまで

そっちで楽しく待っててよね。


今まで

お疲れ様でした😢


6月2日の日曜日

親父が痙攣し、意識喪失したと姉貴から電話があった。

救急車で搬送


診断結果は絶望的だった・・・


脳出血

それだけならまだ良かったかも知れない

肺癌が見つかった

既に、肋骨への転移があり、骨が溶けているらしい


元々、肝臓癌なので、肝臓から転移したモノなのか?

原発なのか?

それは分からない

結果、人工透析を中止する事に。

腎不全になっている親父が人工透析を止めると言う事は…

確実に訪れる…死


分かっている

肝臓癌を告知された時から

いつか訪れる命の終焉


でも、やはり、気持ちが

納得しきれてない自分も居る


ツラいよ

苦しいよ


でも、親父はもっとツラいかもしれない


毎日が不安で、

胸が痛い

泣きたいのに、泣けない