日常黒歴史 -58ページ目

お引越しを検討中

ブログのですね。
俺のお引越しは当分先だと思います。

で、本題。
最近更新をちょくちょくやらせていただいてますが

どうなの?アメブロ。

といった感じであります。
記事を書いている画面は使いやすいのですが、
公開すると・・・
パソコンでは問題はないのですが、ケータイから見るとすぐに

次へ→

みたいになって新たにページを開かないといけないのがちょっとストレスだなぁ。
と思います。

あとは今度は完全に見る人には関係のない話ですが


ペタ


という機能があります。
これは気になったブログに見ましたよ。みたいな感じで足跡を残すことができるのです。
コメントとかは書かずに、ただペタだけするという。
これの足跡の大半がアフィとか怪しげな商売みたいなブログなのでちょっとイラっとするのですね。




今まで使ったブログは
livedoor
ameba
FC2
くらいです。

FC2なんかほんの少ししか触ってないのであまり使用感については覚えてませんが、悪くはなかった気が。
ちょっと久しぶりにライブドアのいじって何ができるか確認してみるかな・・・

共同企画「俺の人生ハイライト~社会人~今編」

今回で続き物は最後です。

この人生振り返り企画は最初はこの記事。




俺は順調に専門学校を卒業し、新聞のチラシを作る会社へと入社しました。

入社当初は

残業が多い

覚悟してたけどやりたいこととやはり違う

などと、ゴールデンウィーク辺りは欝でした。

友達も皆悩んでたけど。

けど会社の人たちがいい人ばかりだったので何とか頑張れたと思います。



そして、事件が起こった1年目の冬。



うちの会社はほとんど同じところのチラシしか作ってなかったのですが、

そこが某大手ディスカウントショップに買収される。

運営が変われば広告のプロモーション活動も当然変わってきます。

うちの仕事も一つの仕事辺りの収入も激減し、会社の収入が年明けには通常の1~2割程度となってしまいました。

新卒採用も決定した後に断り、

うちらも本当に遅い時間まで割に合わない安さの仕事をやったり泊まりだったりしました。

うちの会社はブラック企業ではないと思うけど小池徹平の出るブラック企業の映画が非常に楽しみ。

話がそれましたが、そんな終電が毎日続くのに耐えかねて一人暮らしを始めた二年目の5月。

そしてその一ヵ月後に希望退職者を募ることに。




新しいことをやりたいというのと、今の会社は多分残っても週何回泊まりになるかわからないなということで退職。

結局ちゃんと残った人一人しかいませんでした。

数人たまにバイトで手伝いには行くみたいですが。




そしてニートの夏。

すぐ決まるかと思いきやそこでまさかの大事件。




リーマンショック。




まさか就職氷河期がこんなタイミングで来るとは・・・

決まらない。

職が決まらない。

受けても受けても落ちるストレスと不安で50kgぐらいあった体重もあっという間に45kgまで落ちました。

で、結局今年の2月にふがいない感じで実家に戻り、契約社員の立場で販売の仕事を仕事をしています。

けど収入とか将来のこととか考えると、適当なところで正社員の仕事探したいですね。

今の生活もOFFが充実していて楽しいですけどね。

実家だから貯金もできてるし。

もちろん家を出るための貯金。




さて、来年はどうなるでしょうか?

長くなりましたがこんな感じで今回の企画は終わりです。




そして最近就職した共同企画の相方、さとゆう氏のブログはこちら。

サクッと習慣紀行

共同企画「俺の人生ハイライト~専門学校編」

この記事はここから順に読んでくれると助かります。




高校を卒業してさてどうしよう。

専門学校はデザインの専門学校へ。

理由は絵を描いたりものづくりをするのが好きだから

単純すぎる理由で入学。

この学校は個性のある人が多かったように思えます。

個性というか自分を持ってるというか。

やっぱりアートやりたい人って自分の世界があるんですね。

そう思いました。

授業は真面目にやってましたが、今思うと凄いもったいないのがせっかく学校が渋谷なのにあまり寄り道せずに帰ってきていたこと。

本当に信じられない愚行です。

渋谷原宿は本当にいいものが溢れてます。

展示会とかギャラリーも多いですし。

もったいなかったなぁ・・・





専門時代は言うほどネタもなかったかなぁ。

順風満帆。

強いて言うなら海外研修(パリ)からから帰ってきてすぐにへその辺りが膿んで手術、入院したことくらいですか。

手術後切った部分、へその下辺りからスゴイ毛が生えるようになってちょっと悩んでますw





学校行事では軽井沢に行きました。

軽井沢はいい場所で、卒業してからも行きました。

というか今年の7月ですね。

また来年辺り行きたいです。

初の海外もいい思い出です。

パリではフランス料理はあまり食べなかったけど。

買い物も土産と食事以外は漫画しか買ってないけど。

フランス語のワンピースとハガレンとネコマジンだけ買った。

あと乗ってはいけない国鉄で行ってはいけない場所へ行き、迷子になって人生の終焉を覚悟しました。

地図ないし電車も2時間3時間に1本しかないのに平気で1時間以上ずれてくるんですね向こうは。




あと最後に一つ事件を。

専門学生時代、人生初の彼女ができました。

共同企画「俺の人生ハイライト~高校編」

これは続き物ですので。まずはこの記事を。

ってパソコンからだとリンク貼ってますがケータイからだとこれは見れないのでしょうか?




高校時代。
思春期なのに女には目もくれず、ひたすら部活、バイトの日々。
今ひとつ嘘をつきました。
女性には目もくれてもらえませんでした。
高校入学してすぐのゴールデンウイーク明けにはもうバイトをしていました。
それは土日だけで、平日は部活。

目指せ県大会の勢いで入部した部活、陸上部はそう甘くなく、弱小でした。
個人の能力が低い。
リレーなんて参加校の半分は県大会に出れるのにそれも出れない。
あ、これはマズイ。
入部して即思ってしまいました。
とりあえずとっとと部で一番になって、県大会とかはそれからだな・・・
物凄く腹黒いこと考えてました。

で、いい感じに戦えるようになってきた高2の春。
最大の怪我をしました。
これが人生のターニングポイントと言ってもいいくらい。
片足疲労骨折、もう片方も疲労骨折寸前、さらに左足首捻挫。

これを同時に発症。

もうここまで来ると医者にどこが痛いのか聞かれてもどこかわからないんですよ。

レントゲン取って大体判明しましたが。

疲労骨折はまぁ治るとして、捻挫が問題でした。

足首の腱が一本機能しなくなっていてその伸び縮みしない腱が無理やり動かされることで足を痛めると。
もう基本的に手術しないと選手としてはオシマイのようです。

レントゲン見ても右足と違って左足は足首が浮いてその間にカルシウムの玉ができてました。





残念。

本当は部活である程度結果出せれば体育大学行くつもりでしたが、それはその瞬間諦めました。

が、部活はとりあえず続けたいので地獄のリハビリ生活です。

部活の数倍ハードでした。




と、そこで体育大諦めたのはある意味ターニングポイントでしょう。

部活の成果は結局走り幅跳びで地区2位、県全体で年間通して20番台の順位。

400mは怪我する前の52秒0が最高。

怪我してからは怖くてあの距離まともに走れませんでした。

100mも怪我後の取り組みで、試合一ヶ月前に腎臓を悪くしかけて医者から三週間の運動禁止を受け、11秒4が限界でした。

筋トレすらやらせてもらえないとかもう総体無理でした。

練習しようとしてもジョギング数百メートルで息絶え絶えで死にそうでしたから。




リアルターニングポイントひとつじっくり書いたところであとはかなりのダイジェスト版で。

・すこぶるモテない
・クリスマスはバイト皆勤賞
・そんな怪我ばかりの生活でも健康には気を使い、メールしてない日とかは夜10時には就寝。
・部活とバイトのおかげでいつの間にか脱オタでした。

次、専門時代編も早めに更新したいと思います。

共同企画「俺の人生ハイライト~中学編」

前回の続きです。
前回のを読んでない方は趣旨などを含め、前回の記事を見てからお読みください。



中学。
驚異的ガチヲタへと進化しました。
ヲタクなんてのも今でこそ市民権を得ているようなもんですが当時は風当たりがキツイキツイ。
放課後なんかはひたすら友人宅でゲームしたり漫画読んだり。
週に何度も深夜アニメを録画し、早寝をしていた。
毎月アキバへ行き、グッズやらカードやらを買っていた。
カードゲームも大会へ出向き、何度か優勝させていただき、それを高値で売るというバウンティハンターぶりでした。
大会優勝限定カードとか一枚数万で裁けるんですよね。
コレクションより対戦だった俺はそんなの所有するとかしないとかお構いなしです。
あと中学時代は文化放送をひたすら聴いてました。
電話出演とかするコーナーにも応募して出るというヘビーユーザーぶり。

そしてパソコンとの運命的出会い。
狂ったようにパソコンやってた。
オンラインゲームのトリコでポトリスというゲームに物凄くハマッてました。
あとボンバーマンオンライン。
夜中に自宅で知らない人とボンバーマンができるのは感動です。
そんなダメな生活を送り、当時65くらいあった偏差値も卒業する頃には50くらいまで落ち込みました。
先生いい高校行かないでごめんなさい。
でも、俺頭良くても近い学校がよかったのです。




ってことで試験日前とかもずっとプレステしながらすごして入学したうちから最も近い高校での高校時代へと続きます。