一人称、何? ブログネタ:一人称、何? 参加中
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小説の地の文(括弧 内の会話文、以外の文章 )において「私は」「僕は」「俺は」などの主語 を用いる形式をいう。語り手が物語世界の内部で登場人物の一人として存在する。主人公 であることが多いが、それに限らない。また語り手が主観的に叙述することが一般的である。 例えば夏目漱石 の『吾輩は猫である 』の語り手は猫の「吾輩」である。従って叙述も猫の主観に立ったものとなり、「装飾されるべきはずの がつるつるしてまるでやかん だ」と人間 を描写する。アルベール・カミュ の『異邦人』では「今日、ママンが死んだ。もしかすると、昨日かもしれないが、私にはわからない」と語る。吉本ばなな の『キッチン』は「私がこの世で一番好きな場所は台所 だと思う」と始まる。

このように語り手の主観が作品の語りに色濃く投影されるが、一方ドキュメンタリー小説 でも同様の形式が用いられる。

また、小説の演出において、メタ 視点から「小説の中の世界における、小説自体の役割」が与えられている場合がある。例えばそれは報告書供述手記 などの形を取り、その文章の中でその手記等が書かれるに至った経緯を説明 しつつ、物語を進めていく手法である。例えばH・P・ラヴクラフト恐怖小説 である『ランドルフ・カーターの供述』では、尋問 を受ける主人公が、自らの体験した怪奇現象 を供述するという形を取っている。また、同氏の『ダゴン 』では怪奇な事件体験 を手記に認める主人公が、手記を書き終えようとした時に新たな怪奇現象に出会い、手記の最後は意味深な走り書きで途切れている、という演出がなされている


てな感じです


用は英語で言うと「I」ってことだね(* ̄Oノ ̄*)