服を作る仕事をしている人との出会い。
その人の話、音楽を作る人間としては、どうしても自分の創作媒体であるメロディとか歌詞とかに置き換えながら聞いてしまうけど、それはきっとよくなかったかな。
例えば悲しみを表現するとき、悲しみっていう手に持てる形の無いものを音っていう手に持てる形のないもので表すのは割りとやりやすいことだと思ってたんです。
でも彼女は形のあるもので表すのが得意で、でもそれを説明するのはすごく難しいって言ってた。形の無い悲しみがどうやって形のある悲しい服になってくのか、その構造の説明。
わたしも質問を返されて、それは確かに戸惑う質問でした。
悲しい音は悲しい音だもんなぁ…。理論的な話はできるけどそこで説明できることなんて奥には全然届かないし。
それでもなんだか同じところで作っているような気配、同じ源泉から湧いているような空気感をまとう他の創作を選んだ人には、たまに出会える。
だから、あーなんとなくわかる、あれだよねきっと、なんて、主語も述語もあいまいで、どこで話してるかなんて二人ともよくわからなくて、それでもなんだか通じあっているような安心感の中で時間なんか無力で、あっという間にさよならでした。
またお話ししたい。時間の外で。