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ゆぅ遊私゛的

自由人 ゆぅ の
ゆぅ遊私゛的 な ひとりごと

人間らしい会話を最近あんまりできてなくて

人間らしい会話 て一体なに?
なんだけど、自分的には 心の中で感じたことをただ話す事

聞いてくれて助言してくれる人はいる
けど、今は会えない

物理的な距離もだし、今の状況もあるから


お得意の脱線だが。。。
表現することは自由だと思ってる
でも、自分の考えと違うとそれに対して否定的な行動や発言を取りたくなってしまう

本来は他人の表現を否定せず
なんだよね?

だって自分の表現を

「自分とは考えが違うから」

で、否定されるのはイヤだから


その「違う」をどう取り扱うか

「違うのは そういうものだ」と、受け入れる
「違うから 見ないでおこう」と、流して立ち去る

否定はせず、そのまま流して以降、目に入れなければいいんだ
そう思うようにして自分の未来を考えよう


クリームソーダのしあわせの飲み物です

3.11 東日本大震災から9年

震源地から遠く離れた大阪も揺れた事を今でもはっきり覚えてます

9年前の記事を読み返してみると、仕事に自信をなくしてた自分はその日はテレビを見なかったのか、翌日 事の重大さを知ったと書いてました

次の年に長期の休暇があり、東北へ
その途中に陸前高田と気仙沼に立ち寄りました

普通に過ごす1年半といえば、何も無い土地に建物が出来、そこに人がいきかいといった感じだと思います

みた風景は、1年半経過したとは思えないものでした
もちろん、歩みが止まっている訳ではなく、土地の整備が少しずつ進み、人が訪れていました

それから1年後、また宮城を訪れる機会があり、石巻と女川へ
女川も津波被害が大きかった場所

目的地に向かうも、目印になるものがなく、スマホの地図アプリに頼りながら歩いていました

舗装もされてない道を大きなキャリーを転がす
どう見ても、その土地の人でも土地を整備する業者でもない

1人の婦人が声をかけてくださり、目的地まで車に乗せてくれました

「あなたが男の人だったら声をかけなかった。こんな大きな荷物を持って歩いてたから気になり声をかけた」
と。

数分間という短い時間。
その時、ご婦人が言った言葉が今も心に残ってます。

高台にある建物をさし
「(下の方は)何も無いでしょ?あの高さまで津波が来て、(津波に流され)全部なくなってしまった」

なんとも表現出来ない気持ちになり、目的地で一生懸命涙を堪えてた記憶があります

だけど、その人もその後出会った人もみんな前向きで、逆に私たちが何かお手伝いをしなければなのに、優しく地方から私に接してくれた事が嬉しかった

今もあの言葉は忘れること無く、宮城に来るといつも思い出します
今年は時間を見つけ、女川の今を見に行けたらと思います