footballistaが見たF1ドイツGP | ゆうのなりきりスポーツコメンテーター

footballistaが見たF1ドイツGP

編集長の木村浩嗣氏は “Foot!”にも登場しているので知っている人は多いと思う
CLの全戦を観るという兵(つわもの)のフットボールクラスタであり、風貌からして強烈な第一印象の持ち主
ゆうのなりきりスポーツコメンテーター  彼の主催するfootballista8/11号の巻頭、F1ドイツGPを題材に
「熱い血たぎる、スペイン人記者に勝つには」
というタイトルで、スポーツ記者のスタンスについて述べている

“F1なんて知らないし、観てないよ!”って方(不届き者)に簡単に説明すると・・・
フェラーリというチームがルールを無視して、優勝者をチームの理屈で、わざと先頭交代をさせて、その選手が優勝した
というもので、チームの無線が国際映像に流れて、その後チームは罰金という制裁を受けた というものです

整理する点は全部で3つ
①チームスポーツとは何か
②ルールとは何か
③それを報道するメディアのスタンスはどこに置くべきか

チームスポーツなら自転車のロードレースのように協力すればいいじゃないか (PKの件(クダリ)は秀逸な例え、笑える!)
 →納得 私も同じようなことを記事にした→チームスポーツと娯楽産業の境界線
 
 極端なこと言えば、優勝争いをしているチームメイトに譲ることがペナルティーなら、シリーズチャンピオンを争うライバルを
 邪魔させることだってペナルティーだろ!って話だ
 ブラックフラッグを受けたマンセルがチームメイトをアシストする為に、セナにぶつけてリタイヤさせた件は永久追放もの

ルール違反はルール違反 その点に限って批難すれば良かったはずだが・・・
 →納得 ルールが悪かろうと、その中で競技する以上は違反をすればペナルティーを受容れるべき
 
 イギリスメディアは色々な事例を挙げて批難したが、取り扱いは公平ではなかった そこにはルールは無いのか?

記者がファンと同じ目線に立っては、プロとしての大問題
 →その通り!

 記者はそれぞれの属する国のファンに向けて記事は書いているはずだが、ファンと同じ目線で記事を書くことは自殺行為
 読者受けするような記事なら誰にでも書ける なぜ、彼らはプロとして多くの読者の目に触れる記事を書けるのか
 それはプロとしての競技を見る視点、スタンスが確立しているということであり、冷静に事象を判断できるということ
 ファンは一喜一憂してもいい 彼らはそれでは困るのだ
 所謂、"ワイドショー的"に怒ったり、泣いたり、感情的に批難したりすれば、読者の共感は得られやすい
 『そうそう、私もそう思う・・・』 ・・・だったら、読者や視聴者にコメンテイターをして貰えばいいだけの話だ
 
 問題点があれば、なぜ、それが問題なのか ルールはどうなっているのか どうすれば適切な行動だったか等
 冷静に、素人にも分かりやすく噛み砕いて説明する必要がある
 彼らは誰に対して発信しているのかという事を常に頭の中の中心に置かなければならない
 それは決して読者や視聴者に阿(オモネ)ることではないのだ
 
私はWEBで記事を読んで、それを発信しようとするときには、そのソースをなるべく確認することにしている
F1の記事なら、どの国の、今までどんなスタンスで記事を書いている記者か
サッカーなら、例えばその発信元が、アスなのかマルカでは、その記事の信憑性はそれぞれ違うということだ
ソース元を明らかにせず、外国報道をそのまま記事にするようなサイトも散々ある

私はメディアというものを斜めに見ている いや、見るようにしている
というのは、必ずしも信頼性のあるものではないからだ 
こういう風にメディアを見る人間が多くなれば、マスで配信するメディアはマスコミとはもう言えなくなる
マスコミ=いかがわしい記事 では存在意義は乏しくなる

読者、視聴者、聴取者にとって、何が有益なのか を見失っては、やがて彼らに捨てられる時期は目の前だ

そんなことを考えさせる巻頭コラムだった 


ペタしてシュート

ぺたして-☆