ロジカル・コミュニケーション No.0 | ゆうのなりきりスポーツコメンテーター

ロジカル・コミュニケーション No.0

改名?にあたってコメントたくさん頂きましてありがとうございました

日頃SPORTSを小難しく記事にしているので、初めてコメント頂けた方も多く、

自分の記事のあり方についてもチョッと考えさせられました(;^_^A


それと、デザインのカスタムに対してお褒めの言葉ありがとうございます

気になるのがブログパーツのせいで読み込みに時間が掛かっているのでは?という点です 私のPCの性能が低いせいもあり、色々な方のブログを訪問させて頂くと、なかなか記事まで辿り着かなかったりという事がしばしばあります

そうなると、ペタを頂いても拝読しない限りペタしない!

という主義を貫けないので、ペタしないままに引き返すこともあります

いかどうかだけでもコメントください

今後の参考にさせて頂きます ってかスグに工事します(´∀`)


さて、私の記事の全体の4割程度がサッカーを題材にしていますが、中学校の図書室で読んだクラマーの教本1冊以外、この年齢まで読んだ事が無かった私は、このブログで記事にするまでは、感覚と経験でしかサッカーを捉えてませんでした

まず、理論というものは別世界のもの、若しくはそれほど役には立たないものという捉え方でした


で、初めて自分で買った雑誌とサッカーの本の証拠です(*^o^*)

ここ1ヶ月程度のものですが・・全て読破したわけではありません(;^_^A
ゆうのなりきりスポーツコメンテーター-20090802本

サッカーのためのロジカル・コミュニケーション”考える力”はサッカーを変える。/三森 ゆりか
 
特に気になって、今読み進めているのがこの本です
イントロダクションで元日本代表相馬直樹氏と著者の三森ゆりか氏の対談があるのですが、非情に興味深く含蓄に富んだ内容になっています

“SPORTSは文化”と言っても、伝達できなければ文化足りえない

伝達するためには画像や映像は非常に便利な手段だが、受け手の捉え方次第で、どうにでもなる代物であることに注意しなければならないのだが・・

例えば絵画
ゆうのなりきりスポーツコメンテーター-PICASO泣く女

私はピカソの画がとても好きなのだが、その中でもとりわけこの「泣く女」に代表されるキュビズムの絵画が好きだ

しかし、嫌いな人にとっては絵画とすら認めない人も多い
幼児の落書きと罵る人に至ると私は言葉を失ってしまう

ピカソ自身は晩年に子供が描く様な画を描く事を望んだと言われるのだが・・


では、この画がどう優れて、なぜ絵画の歴史を変える作品となり得たのか

ということを説明する、若しくは落書きと言う人にどう反駁するか


そこには理論付けられた、そしてその人に伝わる言葉で説明しなければ、議論も平行線、若しくは話にならないということになってしまう


「好きだから」「いい感じ」「感性が合う」では相手に「どう、好き」なのか、「なぜ、いい感じ」なのか「なにと感性が合う」のかということは、私たちはなかなか言葉にしない習慣がある

言葉にしないというより考えようとしないと言った方が適切だろう

そこを変えていかなければ、文化の伝達者とはなり得ない


どんなに感性や感覚が優れていても、その人個人の捉え方は言葉にしない限り、他人には伝わらない


サッカーを題材にしているこの本を、これから読み進めるごとに、その内容を私なりにロジカル・コミュニケーションについて、書いていこうと思っています

今回はそのイントロダクションと言う意味でNo.0です

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