※冒頭で申し上げます。思ってることを書き綴ったら大変長くなりました。お読みにならないようお願いいたします。
「あなたはなぜ生きるのですか?」
小学生はそんなことは考えもしない。それ以外の選択肢は見えず、ただ前を向くしかない。
中学生は分岐点。陰も陽もここで決まる。陽は楽しいからと答える。高校生になるためと答える者も多い。
高校生は未来を考え始める。多分この質問の答えは出ない。とりあえず大学生になるため。
大学生は大人になるために生きる。
大人は?
「あなたはなぜ学ぶのですか?」
小学生はママが言うから。
中学生、良い高校に入るため。
高校生、良い大学に入るため。
では6年分の想いを引いた大学生は?
ほとんどの人間は、1度は勉強する意味を考える。そこで答えを導き出せなかった者は堕ちていく。しかし、それは人間的に悪いものではなく、むしろ勉強のできる奴よりも優秀という側面がある。それは森鴎外のいう近代的自我の目覚めである。
高校に入って近代的自我に目覚めた私は、ほとんど学校に行かなかった。ただ単に朝が弱いという理由もあったが、行く気がしなかった。学校に行く意味が、学ぶ意味がわからなかったから。怒られるのが嫌で、起きれた時には学校に行った。たまたま学校に行った日に、森鴎外の舞姫を国語の授業で取り扱っていた。近代的自我。気付け馬鹿共。お前たちは何のために勉強しているんだ。他者よりも先に近代的自我に目覚めたという、少々の優越感に浸った。結局、高校1.2年の頃で得たものはなかった。この頃には学年でも底辺の学力となっていた。2年生の1月には学年で下から2番となっていた。318人中317位。そこで一瞬だけ勉強氷河期の氷が解けた。1年だけ。これも国語の授業の受け売りだが、尊大な自尊心とやらが傷付いた。
もともと理系だったが、最も勉強する意味を見出せそうで実学的な経済学部を選び、尊大な自尊心のみを糧に大学には入ったものの、やはり勉強する意味がわからず氷河期に入った。
そして最近になって、自分の堕落ぶりに気付いた。クラスでも1.2を争うクズ。今、何のために生きているんだ?ふと思った。
答えは出なかった。
大人という次のステップの残っている大学生でこの様だ。大人になったら生きる意味をなくし、死ぬと確信した。
死ぬんだったら勉強する意味もないな。
なぜ学ぶ?
生きる意味も見つからないのに学ぶ意味など見つかるわけなかった。
私は楽しいことが好きだ。将来大人になって、決められた時刻に出社し、いつも通り業務をこなし、同僚と飲みにいき、帰りまた同じ朝がくる。こんなのはまっぴらごめんだ。
と考えた時、どうせ死ぬなら失敗を恐れず、すげーことやってやろう。そう思った。そう思ったら起業というものに対するリスクなんかなくなった。
起業するんだったら、起業の勉強が必要だ。この瞬間、「生きる」と「学ぶ」が繋がった。
「学ぶ」ために「生きる」
「生きる」ために「学ぶ」
こんな長い駄文を良く読んだなー!
俺は将来、ビッグになって本を書く。
このタイトルで本を書く。
本にするんだったら、冒頭部分はもうちょっと修正が必要だな笑
この続きを書くために!
私は学ぶのだ!!