人の足を知れば知るほど・・・

そのカタチや様々状態。

その多くのこと、外反母趾などのような様々な症状や変形の足を知るほど、靴の量産は人の足に悪く影響を及ぼすことが分かるはずです。



先日、朝、AM6:30にシューフィッターの会長からLINEが。

私はシューフィッターの資格を持つ意味は無いので何の意味があってのことなのか?そのことも私から問い聞く必要は無いので挨拶だけで済ませた。


その前の会長ならば話せる話題はあっただろう。

それは人の足と靴の関係について、数多くのこと、既成靴では出来ない技術的なことは特に多くの具現化と障壁、量産することの矛盾と人の健康への影響などは共通のこととして30年前に語り合ったので・・・・・


もし、その既成靴の矛盾やその靴が人の健康に及ぼす影響を気づいているのなら話しは広がっただろうが、そのことには気づいてはいない様なので話し、明かす必要もないと思っています。


その組織、その文化が無駄とか、方向性や育て方を誤ったことを話したいのであれば、その心の内を話して理解出来る人はいないだろうから、一生を終える前に心を開いて話しておいた方が罪悪感も薄らぐと思うことと、何よりも、前任者の会長や早くして亡くなった奥さまのことを思っても良いことだと・・・


ただ、ご自身が当時、発言したことは私は覚えています。

その発言が今の靴社会を象徴し、人の健康に影響し、外反母趾などな対処、対策には役に立たず、むしろ・・・・

なので、心を開いていただければ、気持ち良く私もお話出来ると思います。


靴屋でもない職業から靴に関わり、気付いたのであれば、それはそれで素晴らしいことであり、靴の業界の人でもその努力、気づこうとしない人が多いことから見ても、もう遅いと言えますが、私としては気づいていて欲しい、たとえ、ご自身に技術が無くても感じていて欲しいとは思います。


あのLINEはどういう意味だったのか?

もう、関わることは無いと思っていたので本当に無念などお心を知っておきたいと思ってしまいました。



この国だけの話ではないのだろうが、組織はそのことのプロとして成り立っている風にませているが、むしろ、その文化の発展や向上の妨げとなっていることに気付く人は少ないのかもしれない。

シューフィッターという制度は当初、現状の様になることを求めて作られたとは思えません。

それは、そこに尽力したり、その協力を求められ、そのことを考えると大きな違和感でしかなく、そうなることを感じていたからその意思、意識に対しては素晴らしいとは思えても人が群がり、群れとなってなった時の現状は予測出来る人と出来ない人がいて、それを感じざるを得なかったことが見事、違った歩みとして文化とした時を刻み、解決なされることのない深みに進んでいることはこのことだけでは無く、多くの組織の持つ、人を無視した弱さを感じます。

もう遅い。

この組織は。

本当はこうなる、意味のないモノにするはずではなかったのに。

創設者もそう感じて晩年いたのでしょう。



私が靴を量産化しない理由

量産される靴と人の足の関係は構築できない。

いわゆる、誰の足にも合わない靴を作ることになり、そのことを理解しないからシューフィッターという制度がいつまでも人の足に適合性、適正を求めることができない。

なので必要性として交わることのできない靴の量産とその靴を人の足の適合、適切なモノとしようとしても無理なことは現代とこれからも変わらない。


よって外反母趾などが増えるいわば外反母趾製造となってしまい困った方を増やし、悪化の原因を作る。


そのことを考慮しても靴とはそう言うモノであってはならないと言う靴に関わる人はほとんどいないで組織を拡大させたりすらことは文化の発展と本質をいつまでもその期間が長い分失い、誤った常識を一般常識としてしまう恐ろしい文化や被害者を増やす。


せめて、新品の靴を根本から直し、人の足に合わせることができればいいが、それも出来るレベルにない量産された靴を人に説明も不十分なモノとして販売に至ることの危険をまずは感じていないのが人として、職業として問題を感じます。


何よりも、靴が作れても・・・人の足に・・・そしてその違い、靴が原因で悩んでいる外反母趾、内反小趾、ハンマートゥ、巻き爪などの様々な方々の足とその原因に対応、対処しない人、出来ない人、その技術のない人が出来るような組織として成り立つことの矛盾は社会悪でしかありません。

そうなってしまったことに気づかないことも実際は職業とした問題でしかないとも気づかない。


いつかはバレて、みなさんが感じ始まる時が来るとは思いますが、それをまだ、100年、200年・・・とやるのかは現実を見ない人が多い社会、そんな大人たち、判断が適切でない人たちの社会では・・・・